「お義姉様、お上手ですわ!」
結論から言おう。
先生の腕前はさすがとしか言えないほどだった。ただ私は先生に身体を任せていただけで一曲分のダンスで一度もステップを間違えることなく踊ってみせたのだった。
「ありがとう、アンジェリカ」
微笑みを返しながら、心の中でホッと一息つく。
失敗しなくて良かったと。
自分よりもいくつも幼いアンジェリカに醜態を晒さなくて良かったと。
だが一つ大きな問題がある。
踊ってみて実感したのだが、以前参加した夜会から随分と時間が空いてしまったせいか、だいぶダンスの腕前が落ちている気がするのだ。今回はその道を生業とする先生がリードしてくださったから良かったものの、もしも他の人だったらと思うと心配になってしまう。赤の他人の足を踏むなんて失態をするわけにはいかないのだ。
幸運にも動きが固くなっているだけでステップを忘れたわけではない。カリバーンの屋敷に滞在しているため、共に練習してくれるお父様、お兄様はいないのが痛手ではあるが、これなら持て余した時間で練習すればすぐにまた感覚が戻ることだろう。
しばらくしてからお帰りになるのだという先生に感謝の意味を込めて玄関まで見送りに行くと、先生と入れ替えになるようにしてお義父様とラウス様の馬車が走ってきた。
「お帰りなさい、お父様、お兄様!」
アンジェリカは馬車から降りたばかりのお義父様とラウス様に駆け寄ると、自慢げに今日の出来事を話し始めた。
「今日はお義姉様のダンスを見せていただいたのです! まるでお義姉様の周りだけ世界が切りとられたかのような神々しさ! さすがお義姉様ですわ!」
なぜか一日の成果の最後の部分を重点的に話したアンジェリカ。褒めてくれるのはありがたいのだけど、誇張しすぎというか、事実と異なる表現というか……。ラウス様もさすがにそんなの信じるわけがないけれど、それでもやはり居心地が悪いことには変わりない。
「そうか。モリア、私とも一曲踊ってくれないか?」
こちらに歩み寄り手を差し出すラウス様は楽しそうな笑みを浮かべている。アンジェリカの言葉を信じていないと思いたい。
「えっと……私、ダンスはあまり得意ではなくて、ですね……」
ラウス様から視線を逸らして、今晩からでも練習をちゃんとするから見逃してはくれないだろうかとの意味を込めながら何とかこの状況を切り抜けるための方法を考える。
「私がしっかりリードするから安心してくれていい」
「ですがラウス様の足を踏んでしまったらと思うと申し訳が立たないので……」
今回は遠慮させていただきたい、との意味を語尾に含めて申し訳なさそうに上目遣いでラウス様の表情を伺う。この方法はお兄様達には効果バツグンだった。お姉様には効かなかったどころか角度がダメだの何だのと指導まで受けてしまったのだが、今のところ成功の割合は半々くらい。是非ともラウス様には効いて欲しいものだ。
だがラウス様の答えは私が望んでいたものと大きく異なった。
「モリアになら踏まれてもいいさ」
ラウス様が多くの令嬢から好意を寄せられる理由がよくわかった気がする。
『紳士』の基準がよくわからない私がいうのも何だが、自らが一歩引き、女性を立てるような、この対応こそが紳士的な対応というものなのだろう。
そんなことを言ってくれる相手などお父様以外にもいたのかと目から鱗である。
お父様は娘である私を大切にしてくれていたが、それはラウス様も同じなのかもしれない。ラウス様という人は愛した女性はとことん大切にする男性なのだろう。……人違いだが。
本当に私がここに居てもいいのかと考えては日に日に心が痛くなる。人違いをしたのはラウス様の方であり、未だに彼は私が想い人なのだと思い込んでいる。そして彼が本当に想いを寄せる相手が誰なのかがわからない今、借金のある私がとれる行動など限り少ない。
だが結婚式前に、婚姻を済ませる前に本物を探し出すことがカリバーン、ひいてはラウス様のためになるのではないかと思わずにはいられないのだ。
あまり頭のよろしくない私が多く抱え込んだところで解決なんて出来ないだろうとはわかっている。サンドレアのためを思うなら私は初めに下した判断通り、何事もなかったようにここにいるのが正しいのだ。本物が見つかった時に退けばいい。……そのはずだったのに、こうも思ってしまうのはきっとこの屋敷の人たちが優しすぎるからだろう。向けられた優しさに申し訳なさが募る。
「モリア、手を……」
「……はい」
逃れることは出来ないラウス様の手に手を重ねた途端、なぜだか急に身体が熱くなる。きっと緊張のせいだろう。
さっき、ダンスの先生と踊った時はこんなことなかったのだが、やはり相手がラウス様では緊張も倍以上なのだろう。脳裏でラウス様を先ほどの先生と重ねると少しだけ熱が下がったような気がした。
さっきは踏まなかったのだからきっと大丈夫だと自分に言い聞かせた。
出迎えにやって来た使用人達とアンジェリカ、帰宅したばかりのお義父様、そしてお義父様の帰宅を告げられ、やって来たのだろうお義母様とサキヌを観客に据えて、音楽も何もない玄関ホールで踊り出したのだった。
冷めたはずの身体は触れた箇所から熱を帯び、そして絡まる視線すらも温かいものへと変わっていった。
結論から言おう。
先生の腕前はさすがとしか言えないほどだった。ただ私は先生に身体を任せていただけで一曲分のダンスで一度もステップを間違えることなく踊ってみせたのだった。
「ありがとう、アンジェリカ」
微笑みを返しながら、心の中でホッと一息つく。
失敗しなくて良かったと。
自分よりもいくつも幼いアンジェリカに醜態を晒さなくて良かったと。
だが一つ大きな問題がある。
踊ってみて実感したのだが、以前参加した夜会から随分と時間が空いてしまったせいか、だいぶダンスの腕前が落ちている気がするのだ。今回はその道を生業とする先生がリードしてくださったから良かったものの、もしも他の人だったらと思うと心配になってしまう。赤の他人の足を踏むなんて失態をするわけにはいかないのだ。
幸運にも動きが固くなっているだけでステップを忘れたわけではない。カリバーンの屋敷に滞在しているため、共に練習してくれるお父様、お兄様はいないのが痛手ではあるが、これなら持て余した時間で練習すればすぐにまた感覚が戻ることだろう。
しばらくしてからお帰りになるのだという先生に感謝の意味を込めて玄関まで見送りに行くと、先生と入れ替えになるようにしてお義父様とラウス様の馬車が走ってきた。
「お帰りなさい、お父様、お兄様!」
アンジェリカは馬車から降りたばかりのお義父様とラウス様に駆け寄ると、自慢げに今日の出来事を話し始めた。
「今日はお義姉様のダンスを見せていただいたのです! まるでお義姉様の周りだけ世界が切りとられたかのような神々しさ! さすがお義姉様ですわ!」
なぜか一日の成果の最後の部分を重点的に話したアンジェリカ。褒めてくれるのはありがたいのだけど、誇張しすぎというか、事実と異なる表現というか……。ラウス様もさすがにそんなの信じるわけがないけれど、それでもやはり居心地が悪いことには変わりない。
「そうか。モリア、私とも一曲踊ってくれないか?」
こちらに歩み寄り手を差し出すラウス様は楽しそうな笑みを浮かべている。アンジェリカの言葉を信じていないと思いたい。
「えっと……私、ダンスはあまり得意ではなくて、ですね……」
ラウス様から視線を逸らして、今晩からでも練習をちゃんとするから見逃してはくれないだろうかとの意味を込めながら何とかこの状況を切り抜けるための方法を考える。
「私がしっかりリードするから安心してくれていい」
「ですがラウス様の足を踏んでしまったらと思うと申し訳が立たないので……」
今回は遠慮させていただきたい、との意味を語尾に含めて申し訳なさそうに上目遣いでラウス様の表情を伺う。この方法はお兄様達には効果バツグンだった。お姉様には効かなかったどころか角度がダメだの何だのと指導まで受けてしまったのだが、今のところ成功の割合は半々くらい。是非ともラウス様には効いて欲しいものだ。
だがラウス様の答えは私が望んでいたものと大きく異なった。
「モリアになら踏まれてもいいさ」
ラウス様が多くの令嬢から好意を寄せられる理由がよくわかった気がする。
『紳士』の基準がよくわからない私がいうのも何だが、自らが一歩引き、女性を立てるような、この対応こそが紳士的な対応というものなのだろう。
そんなことを言ってくれる相手などお父様以外にもいたのかと目から鱗である。
お父様は娘である私を大切にしてくれていたが、それはラウス様も同じなのかもしれない。ラウス様という人は愛した女性はとことん大切にする男性なのだろう。……人違いだが。
本当に私がここに居てもいいのかと考えては日に日に心が痛くなる。人違いをしたのはラウス様の方であり、未だに彼は私が想い人なのだと思い込んでいる。そして彼が本当に想いを寄せる相手が誰なのかがわからない今、借金のある私がとれる行動など限り少ない。
だが結婚式前に、婚姻を済ませる前に本物を探し出すことがカリバーン、ひいてはラウス様のためになるのではないかと思わずにはいられないのだ。
あまり頭のよろしくない私が多く抱え込んだところで解決なんて出来ないだろうとはわかっている。サンドレアのためを思うなら私は初めに下した判断通り、何事もなかったようにここにいるのが正しいのだ。本物が見つかった時に退けばいい。……そのはずだったのに、こうも思ってしまうのはきっとこの屋敷の人たちが優しすぎるからだろう。向けられた優しさに申し訳なさが募る。
「モリア、手を……」
「……はい」
逃れることは出来ないラウス様の手に手を重ねた途端、なぜだか急に身体が熱くなる。きっと緊張のせいだろう。
さっき、ダンスの先生と踊った時はこんなことなかったのだが、やはり相手がラウス様では緊張も倍以上なのだろう。脳裏でラウス様を先ほどの先生と重ねると少しだけ熱が下がったような気がした。
さっきは踏まなかったのだからきっと大丈夫だと自分に言い聞かせた。
出迎えにやって来た使用人達とアンジェリカ、帰宅したばかりのお義父様、そしてお義父様の帰宅を告げられ、やって来たのだろうお義母様とサキヌを観客に据えて、音楽も何もない玄関ホールで踊り出したのだった。
冷めたはずの身体は触れた箇所から熱を帯び、そして絡まる視線すらも温かいものへと変わっていった。