突然だが私は今、非常に戸惑っている。
 この状況を打破する方法を絶賛募集中だ。まぁ、募集したところで誰からの応募もないだろうから早々に打ち切ることにするが、それにしても困った……。

 あれからダイニングルームへと入った私たちの前に食事が並べられるまでそう時間はかからなかった。
 朝食のように机全体にいろんなご飯が並べられているわけではなく、初めに用意されたのはサラダだけだった。これから順番に料理が運ばれてくるのだろう。貴族の食事なんて大抵はそんな感じで、朝食とサンドレア家での食事がイレギュラーだけだったのだと言うことは重々承知している。食事が進み、メイン料理のステーキへと差し掛かった時、違和感を覚えた。

 私以外の五人が手を止めてこちらを凝視しているのだ。

「な、何か間違ってましたか?」
 下級貴族の間でも食事会のようなものは何度かあり、そのために一通り食事のマナーを学んだつもりだった。サンドレア家ではどちらかといえば野菜中心の食生活ではあったため、ステーキが食卓に並ぶことなんてまずなかった。だが食事会では実践を何度も経験していた。
 というのも王都を挟んで向こう側から海の魚を仕入れるのはさすがに私たちのような下級貴族では無理だ。コストがかかりすぎる。だからといって川魚なんてお客様に出すものではない。そうなればメインは決まってお肉になるのだ。そんなこともあり、緊張して妙に力が入ることはあれど、何度も経験した通りの行動を起こしたはずだった。
 それなのに、なぜこんなに見られているのかと不安になる。
 食事方法が下級貴族と上級貴族で違うなんてことはないだろう。もしあったら夜会デビューの前にきっちり仕込まれているはずだ。なんといっても私の夜会デビューは王都で開催されたものだったのだから。
 緊張していたとはいえ、記憶がほぼないとはいえ、頭より身体に覚えこませるタイプの私なら教えられた通りに実行していたのだろう。違ったら恥ずかしすぎる……。恥をいろんな場所でさらし続けていたことになるのだから。
「ふふふ。変なことを気にするのね。心配しなくても何も間違ってなんかないわ。初日だってちゃんと綺麗に食べていたじゃない。気張らずに好きなだけ食べてちょうだい」
「……はい」
 どうやら間違えてはいないようだ。良かった、良かった。恥ずかしさのあまり身近な山にでも籠りだすところだった。何はともあれ初日も大丈夫だったようだし、未だに身体に覚えこませたマナーは健在のようだ。美味しいご飯をしっかりと味わうためにと家族総出で行われた食事のマナー講座は無駄ではなかったようだ。これからは食事のマナーには自信を持とう。
 だが、マナーが間違っているのでなければなぜ私はこんなにも見られているのだろう?
「お義姉様!」
「は、はい!」
「よろしければ私の分のステーキも食べませんか?」
「へ?」
「あの、ですね……実は先ほどのお茶会でお腹いっぱいになってしまいまして……」
 確かに結構食べていたようにも思える。
 残すのは勿体無いと思うのはやはりどの階級でも同じと言うことか。私、昨日の朝食残しちゃったからもったいないことをしたな……。そういえば量を減らして欲しいと告げるのをすっかり忘れていた。今日はしっかり残さず食べたけど……。
「アンジェリカ、嘘なんかつかずに自分で食べなさい」
「お父様……」
「モリアさん、君にはお代わりを用意させるから安心して欲しい」
「え、いや……そんな……」
 このお肉は確かに美味しい。今まで食べてきたお肉の中で一番といっても過言ではないだろう。だが、他人の家でお代わりを出してもらうほど図々しくはなりたくないのだ。
「遠慮しなくていいんだよ」
 お義父様はなぜかニコニコとすでに用意されたお代わりをずずいと差し出そうとしている。距離があるから少し違うかもしれないが、お茶会の時のお義母様たちのそれとよく似ていた。私が戸惑っていると、ラウス様を挟んで隣の席に座るサキヌは呆れたように大きなため息をつく。
「お父様、地道に好感度あげようとしてるんですね……」
「私はしばらく休めないからね。こんなときくらいしか交流できないんだから怒らないでくれよ?」
「怒りはしませんけど……」
 お義父様はチラリと期待したような視線をこちらに投げかける。差し出されたお皿は好意の表れだと思っていいのだろう。それなら受け取らない方が失礼だ。
「いただきますね」
「ああ。たんとお食べ」
 2枚目のお肉を頬張るのは決して私の食い意地が張っているとかではないのだ。
 お茶会に引き続き、色々ともらってしまった私のお腹はなだらかな山のようになっていた。さすがに食べ過ぎかと思ったが、美味しいご飯を勧められ断れるような性格ではないのだ。遠慮はほどほどにして、せっかくの好意をいただくことにした。後悔はない。ない……のだがどうにかした方がいいとは思っている。今日の主だった行動を振り返ると明らかに摂取したエネルギーの方が多いのだ。
 明日、歩き回れるといいな。
 翌日ならまだ取り返すことができるだろう。筋力トレーニングで腕立て伏せくらいしかできることのない私はお散歩に一縷の望みをかけた。今履いているヒールは特に震えないようにと踏ん張るため、歩くだけでもいい運動になりそうだ。
「明日、楽しみにしているよ」
「私も楽しみです」
 別れ際に言葉通り楽しそうに頬を緩ませたラウス様につられてこちらの頬も緩む。今日は同じ部屋では寝ないようでラウス様はいつもとは違う部屋のドアへと手をかけた。
「モリア、良い夢を」
 部屋に入る直前にラウス様はそう言ってから私の頭を優しく撫でた。それはお父様やお兄様がするのと同じようでどこか違うような気がした。
 大きな手も伝わる体温も同じなのになぜだろうか?
 優しい手に続いて落ちて来たのはおやすみのキス。それは家族のものではなくて夫婦のものだった。
「お、おやすみなさい、ラウス様……」
 次第に赤く染まって行く顔を隠すようにして、俯きがちに呟いてからそそくさと自室へと戻ることにした。閉じたドアに背をつけてしゃがみこむ。電気もつけずに真っ暗なその部屋には誰もいない。それでも今の顔を誰かに見られでもしたら恥ずかしくて顔を手で覆い隠す。両手を使っても顔全体は覆えなくて、覆えたところでさえもジリジリと熱は確実に伝わってくる。それが余計に恥ずかしくてならなかった。
「早く冷めてよ……」
 それは他ならぬ自分にかけた言葉。
 けれど私の身体は切実な願いを中々叶えてはくれなかった。