結局ラウス様の眼が覚めるまでの一刻ほどの間、私はずっとラウス様を見つめていた。
それは仲睦まじい男女が愛する異性の寝顔を眺めて……なんてそんなロマンチックなことは一切ない。頭に浮かぶのはいかにして効率的に筋肉をつけるか、そしてラウス様の身体を運ぶ方法についてだ。
どこに腕を入れれば力を入れずに、スムーズに運べるのか、そればかり考えていた。それが悪かったのだろう。寝ている間も視線を注がれ続けたラウス様の目は起きたばかりとは思えないほどに見開かれており、それでいてなんとも言えばいいのか自身でもわからないようで口を動かして何か言葉を発しようとしてはまた閉じるといった行為を繰り返している。
「モ、モ、モリア?」
「おはようございます、ラウス様」
宰相の補佐を務めるラウス様は普段なら頭の回転は私よりもずっと早いのだろうが、起きぬけとなると話は変わるらしい。起きてすぐに脳内がフル回転し、緊張すると一気にショートする私とは同じ脳とはいえ全くの別物のようだ。
『ラウス様は朝は弱い』
そう頭の中のラウス様メモに書き入れてからもう一度「おはようございます」と声をかける。すると今度はラウス様も「おはよう」と返してくれた。それでもまだ何か気になることがあるのか、しきりに視線をあちこちに泳がせてはいるが……。
一応私がこの部屋で、このベッドで寝る許可はラウス様直々に得たから怒られることはないだろう。だがこんなに大きなベッドを独り占めしたことは責められるかもしれない。そう思うと身体を起こしてもラウス様から視線を逸らすことはできない。
『お叱り』というものは避けることの出来ないことであり、逃げ続けるよりもさっさと受けてしまった方が楽だということはもう十分身に染みて理解している。だからひと思いにさっさと怒って、そして反省後は頭の隅っこの方の、記憶処理待ちコーナーにでも並ばせてほしいものだ。
だがラウス様をじいっと見つめても続きの言葉が飛んでくることはない。
「モリアが寝室に……。夢じゃ、ない……よな?」
それどころか私が寝室にいるという事実をうまく飲み込めていないようだった。
昨日は半ば強引に寝かせたくせになんなのだろう?
やはりラウス様のことはまだよくわからない。
「ラウス様?」
「…………モリア、その、なんだ……おはよう。今日もいい天気だな」
ラウス様は窓とは真逆の方角に視線を向けながら、なんてことないような世間話でこの場を切り抜けようとする。けれどその話題は今日に限っては使えない話だった。
「ええっと、王都の方角に薄暗くて厚い雲がかかっていますのでそろそろ雨が降り出すかと……」
ラウス様の視線と反対側に視線を向ければ、空の雲たちは出てきたばかりの太陽を隠そうと画策しているのだ。あれだけ分厚ければ雨が降り出すのも時間の問題だろう。早ければラウス様が屋敷を出発するよりも早く雨は地面を目指して落ちてくることだろう。
昨日、ラウス様は行きも帰りも馬車を利用したようだったが傘は使うのだろうか?
だったら傘をしまう場所の確認もしておきたいものだとハーヴェイさんにその場所を教えてもらうことを朝食後の予定に加えておく。
「……そうか」
私が傘に意識を取られている一方で、せっかくあげた会話のネタを潰されたラウス様はひどく落ち込んでいた。選ぶべき返答を盛大に間違えたことに今更ながらにして気づいたが、少なくとも天候の話題はもう取り返しはつかなそうだった。
「と、とりあえず私は着替えを貸してもらってきますので……」
こんな時はこれ以上気分を害さないようにこの場を立ち去るに限る。
昨日の朝はクローゼットがないことを不便に感じたが、今日はそれを言い訳にこの場を去ることができることに感謝をした。
実は隣だった自室へと逃げこむようにして、扉を背にしゃがみこむ。
はぁ……どうして私はこうもダメなんだろう。
役に立つって決めたばかりなのに気分を害していては元も子もないではないか。誰かの代わりを務めるならばそれなりにはならなきゃいけないのにな……。
どうも私はラウス様の思う相手の様にはなれそうもない。きっとその相手ならうまく会話も続けられるだろうに……。会ったことないけどきっとそうに違いない。というよりも私と比べれば大抵の人はうまくやれるのだろう。
『仕方ないわね……』
『全くモリアは俺たちがいないと何も出来ないんだから』
『これじゃおちおちお嫁にも出せないな』
そう長年言われ続け、家族はおろかご近所さんたちにもしょっちゅう世話を焼かれていた。
手先は器用な方だし、体力はある。それに料理もまぁそこそこはできる方だと思いたい。だが致命的にドジでさらに言えば空気が読めない。
手先が器用になった理由は山で服を引っ掛けてしまうことが多く、それを直していたから。
体力があるのは何も私に限ったことではない。サンドレア領の人なら大抵他の領土の人達より体力はあるし、お年寄りだろうが強い足腰を持っている。山に囲まれた地形であるがゆえに自然と鍛えられるのだ。
料理は……まぁ出来なくはないが塩と砂糖は3回に一回くらいは間違えるので見張りが必要だったりする。
「はぁ……」
カリバーン家に来て今日で3日目を迎えるわけだが、どういうわけかこの家に来てからというもの自分の欠点と向き合う機会ばかりだ。
婚期まっ盛りといえば聞こえのいいものの、これを逃せば生涯の結婚を8割方逃したものだと言われる年齢に差し掛かってもなぜか嫁いでいない娘から色々と問題があって嫁ぎ先のなかった娘へと変わっていく。
そうなると人違いではあるもののカリバーン家に嫁がせてもらえているのって奇跡にも近い気がしてならない。
始まりは確かに借金のカタに〜とかだったけど、結果的に見ればカリバーン家に嫁入りが決まらない娘を引き取ってもらった形になっているではないか……。
ご家族が揃いも揃って歓迎するほどにラウス様が何かしらの大きな問題を抱えていたとしても、私も中々にポンコツだ。
それなのに下級貴族が一代では払いきれないほどの大金を叩いて、引き取った役に立たない娘に高待遇をして。さらにここに気持ちがあればまだしも、人違いときた。
カリバーン家は損しかしてないといっても過言ではない。
勘違いをしたのはラウス様の方で、顔を見てもなお勘違いをし続けているのだから私に非はないのだろうが、家を助けてもらった恩がある。長年の夢を諦めなければいけなかったが、嫁にもらってもらった恩も少しだけあったりするわけで……。
「はぁ……」
再び大きくて長いため息をつくと背中のドアが小さく振動した。
「モリア様、お着替えをお持ちいたしました」
「あ、はい!」
身体をぐるりと反対に向け、ドアを開けると昨日と同じ様に何着ものドレスを腕にかけた使用人が部屋へと入ってきた。逃げ込むことしか考えていなかったせいで声をかけるのを忘れてしまっていたのだが、そんなことは有能なカリバーン家の使用人にはあまり関係のないことなのかもしれない。
「今日はどのドレスにいたしましょうか?」
「えっと、じゃあこれで」
「かしこまりました」
何着ものドレスをまじまじと見て、その中から一着を選び出すというのは面倒で一番右側のドレスを指差した。
今日のドレスは黄色味がかった白のドレスだ。もちろん地味な私には似合わない。
お姉様なら似合うだろうに……。
鏡に映る、着せ替え人形のような私は他の領土にお嫁に嫁いでいったお姉様たちを思い出す。
お姉様たちは私と同じく、金色の髪と山の木々を想像させる鮮やかな緑色の瞳をもっている。髪の長さは三人とも違うが、長いことには変わりはない。毎日その長い髪をアレンジしては私に似合うかと確認することを怠らなかった。
お母様とお父様のいいとこ取りをして、私にその成分を全くもって残してくれなかったお姉様たちは自分たちのその日のコーディネートが終わると私を取り囲んで髪を梳かしたり、服を選んでくれたものだった。決して遠くはない出来事だが、思い返すと途端に過去のこととなっていく。
けれどお姉様たちは過去だろうと現在だろうと美しいことには変わりない。
私だって髪はサンドレア家の誰もがそうである様にブラシ通りのいいサラサラの髪だし、瞳の色が私だけくすんでいるということもない。
なのになぜ顔の印象でこうも変わるのか不思議でしょうがない。
「終わりました」
鏡を通してみる私は前よりはマシになったものの、やはりお姉様たちと比べれば二段も三段も劣っている。
「ありがとうございます」
彼女だって私の世話なんか焼きたくないだろうに悪いことをしてしまっているな……と思いつつも、お礼の言葉しか出せなかった。
それは仲睦まじい男女が愛する異性の寝顔を眺めて……なんてそんなロマンチックなことは一切ない。頭に浮かぶのはいかにして効率的に筋肉をつけるか、そしてラウス様の身体を運ぶ方法についてだ。
どこに腕を入れれば力を入れずに、スムーズに運べるのか、そればかり考えていた。それが悪かったのだろう。寝ている間も視線を注がれ続けたラウス様の目は起きたばかりとは思えないほどに見開かれており、それでいてなんとも言えばいいのか自身でもわからないようで口を動かして何か言葉を発しようとしてはまた閉じるといった行為を繰り返している。
「モ、モ、モリア?」
「おはようございます、ラウス様」
宰相の補佐を務めるラウス様は普段なら頭の回転は私よりもずっと早いのだろうが、起きぬけとなると話は変わるらしい。起きてすぐに脳内がフル回転し、緊張すると一気にショートする私とは同じ脳とはいえ全くの別物のようだ。
『ラウス様は朝は弱い』
そう頭の中のラウス様メモに書き入れてからもう一度「おはようございます」と声をかける。すると今度はラウス様も「おはよう」と返してくれた。それでもまだ何か気になることがあるのか、しきりに視線をあちこちに泳がせてはいるが……。
一応私がこの部屋で、このベッドで寝る許可はラウス様直々に得たから怒られることはないだろう。だがこんなに大きなベッドを独り占めしたことは責められるかもしれない。そう思うと身体を起こしてもラウス様から視線を逸らすことはできない。
『お叱り』というものは避けることの出来ないことであり、逃げ続けるよりもさっさと受けてしまった方が楽だということはもう十分身に染みて理解している。だからひと思いにさっさと怒って、そして反省後は頭の隅っこの方の、記憶処理待ちコーナーにでも並ばせてほしいものだ。
だがラウス様をじいっと見つめても続きの言葉が飛んでくることはない。
「モリアが寝室に……。夢じゃ、ない……よな?」
それどころか私が寝室にいるという事実をうまく飲み込めていないようだった。
昨日は半ば強引に寝かせたくせになんなのだろう?
やはりラウス様のことはまだよくわからない。
「ラウス様?」
「…………モリア、その、なんだ……おはよう。今日もいい天気だな」
ラウス様は窓とは真逆の方角に視線を向けながら、なんてことないような世間話でこの場を切り抜けようとする。けれどその話題は今日に限っては使えない話だった。
「ええっと、王都の方角に薄暗くて厚い雲がかかっていますのでそろそろ雨が降り出すかと……」
ラウス様の視線と反対側に視線を向ければ、空の雲たちは出てきたばかりの太陽を隠そうと画策しているのだ。あれだけ分厚ければ雨が降り出すのも時間の問題だろう。早ければラウス様が屋敷を出発するよりも早く雨は地面を目指して落ちてくることだろう。
昨日、ラウス様は行きも帰りも馬車を利用したようだったが傘は使うのだろうか?
だったら傘をしまう場所の確認もしておきたいものだとハーヴェイさんにその場所を教えてもらうことを朝食後の予定に加えておく。
「……そうか」
私が傘に意識を取られている一方で、せっかくあげた会話のネタを潰されたラウス様はひどく落ち込んでいた。選ぶべき返答を盛大に間違えたことに今更ながらにして気づいたが、少なくとも天候の話題はもう取り返しはつかなそうだった。
「と、とりあえず私は着替えを貸してもらってきますので……」
こんな時はこれ以上気分を害さないようにこの場を立ち去るに限る。
昨日の朝はクローゼットがないことを不便に感じたが、今日はそれを言い訳にこの場を去ることができることに感謝をした。
実は隣だった自室へと逃げこむようにして、扉を背にしゃがみこむ。
はぁ……どうして私はこうもダメなんだろう。
役に立つって決めたばかりなのに気分を害していては元も子もないではないか。誰かの代わりを務めるならばそれなりにはならなきゃいけないのにな……。
どうも私はラウス様の思う相手の様にはなれそうもない。きっとその相手ならうまく会話も続けられるだろうに……。会ったことないけどきっとそうに違いない。というよりも私と比べれば大抵の人はうまくやれるのだろう。
『仕方ないわね……』
『全くモリアは俺たちがいないと何も出来ないんだから』
『これじゃおちおちお嫁にも出せないな』
そう長年言われ続け、家族はおろかご近所さんたちにもしょっちゅう世話を焼かれていた。
手先は器用な方だし、体力はある。それに料理もまぁそこそこはできる方だと思いたい。だが致命的にドジでさらに言えば空気が読めない。
手先が器用になった理由は山で服を引っ掛けてしまうことが多く、それを直していたから。
体力があるのは何も私に限ったことではない。サンドレア領の人なら大抵他の領土の人達より体力はあるし、お年寄りだろうが強い足腰を持っている。山に囲まれた地形であるがゆえに自然と鍛えられるのだ。
料理は……まぁ出来なくはないが塩と砂糖は3回に一回くらいは間違えるので見張りが必要だったりする。
「はぁ……」
カリバーン家に来て今日で3日目を迎えるわけだが、どういうわけかこの家に来てからというもの自分の欠点と向き合う機会ばかりだ。
婚期まっ盛りといえば聞こえのいいものの、これを逃せば生涯の結婚を8割方逃したものだと言われる年齢に差し掛かってもなぜか嫁いでいない娘から色々と問題があって嫁ぎ先のなかった娘へと変わっていく。
そうなると人違いではあるもののカリバーン家に嫁がせてもらえているのって奇跡にも近い気がしてならない。
始まりは確かに借金のカタに〜とかだったけど、結果的に見ればカリバーン家に嫁入りが決まらない娘を引き取ってもらった形になっているではないか……。
ご家族が揃いも揃って歓迎するほどにラウス様が何かしらの大きな問題を抱えていたとしても、私も中々にポンコツだ。
それなのに下級貴族が一代では払いきれないほどの大金を叩いて、引き取った役に立たない娘に高待遇をして。さらにここに気持ちがあればまだしも、人違いときた。
カリバーン家は損しかしてないといっても過言ではない。
勘違いをしたのはラウス様の方で、顔を見てもなお勘違いをし続けているのだから私に非はないのだろうが、家を助けてもらった恩がある。長年の夢を諦めなければいけなかったが、嫁にもらってもらった恩も少しだけあったりするわけで……。
「はぁ……」
再び大きくて長いため息をつくと背中のドアが小さく振動した。
「モリア様、お着替えをお持ちいたしました」
「あ、はい!」
身体をぐるりと反対に向け、ドアを開けると昨日と同じ様に何着ものドレスを腕にかけた使用人が部屋へと入ってきた。逃げ込むことしか考えていなかったせいで声をかけるのを忘れてしまっていたのだが、そんなことは有能なカリバーン家の使用人にはあまり関係のないことなのかもしれない。
「今日はどのドレスにいたしましょうか?」
「えっと、じゃあこれで」
「かしこまりました」
何着ものドレスをまじまじと見て、その中から一着を選び出すというのは面倒で一番右側のドレスを指差した。
今日のドレスは黄色味がかった白のドレスだ。もちろん地味な私には似合わない。
お姉様なら似合うだろうに……。
鏡に映る、着せ替え人形のような私は他の領土にお嫁に嫁いでいったお姉様たちを思い出す。
お姉様たちは私と同じく、金色の髪と山の木々を想像させる鮮やかな緑色の瞳をもっている。髪の長さは三人とも違うが、長いことには変わりはない。毎日その長い髪をアレンジしては私に似合うかと確認することを怠らなかった。
お母様とお父様のいいとこ取りをして、私にその成分を全くもって残してくれなかったお姉様たちは自分たちのその日のコーディネートが終わると私を取り囲んで髪を梳かしたり、服を選んでくれたものだった。決して遠くはない出来事だが、思い返すと途端に過去のこととなっていく。
けれどお姉様たちは過去だろうと現在だろうと美しいことには変わりない。
私だって髪はサンドレア家の誰もがそうである様にブラシ通りのいいサラサラの髪だし、瞳の色が私だけくすんでいるということもない。
なのになぜ顔の印象でこうも変わるのか不思議でしょうがない。
「終わりました」
鏡を通してみる私は前よりはマシになったものの、やはりお姉様たちと比べれば二段も三段も劣っている。
「ありがとうございます」
彼女だって私の世話なんか焼きたくないだろうに悪いことをしてしまっているな……と思いつつも、お礼の言葉しか出せなかった。