嵐の少女、ラティリアーナ様の帰りを見届けたディートリッヒ様は再び、お仕事へ戻られた。どうやら彼女の襲来を耳にして、一時帰宅をしただけのようだ。私も気を取り直して仕事を再会――の前に、キッチンに戻って皿洗いを済ませる。


 突然の来訪でお茶会はなくなったが、午後の分の仕事はきっちりと済ませ、帰宅したディートリッヒ様を出迎える。

「先ほどは妹が迷惑をかけた」
「いえ」
「お詫びになるかは分からないが、今度、アイヴィーの好きな店に連れて行こう」
「本当に気になさらないでください。お城にいた頃は珍しいことでもありませんでしたから」
「そうか……」

 だからお気になさらず、と丁重に申し出をお断りした。


 翌朝、元々もらっていたお休みを利用してあの湖へと向かう。
 お目当てはアイビーである。
 いつか花冠を作ろうと思ってはいたものの、なかなか足を運ぶ機会がなかったのだ。

 けれど昨晩、やっと決心したのだ。
 ラティリアーナ様にも認められるようなメイドになろう、と。

 その気合いを入れるために、今の自分と区切りをつけるために自分自身に花冠を作ろうと思ったのだ。

 制作者:アイヴィー
 大切な人兼贈る相手:アイヴィー
 花冠:アイビー

 まさか三つの項目全てに似た音のものを当てはめる日が来るとは、過去の私は想像もしていなかっただろう。

 だが未来とは先が見えないもの。
 そして予定は常に変動するもの。

 こんな私も悪くないと現在の私が思えたなら、それはいい道を歩いている証拠なのだ!

 湖付近にたどり着いた私はあの白くて小さな花を探す。
 見つけた時から少し時間は経ってしまったが、あのころはまだそこまで成長していなかった。まだシーズンのはずだ、と根気よく草花をかき分ければ、ひっそりと、けれども力強く咲いているそれを発見する。

「あった!」
 持参したはさみで必要分よりも少し多めに切り取ってから、これまた持参した袋に詰める。
 花がつぶれてしまわないように、ふんわりと。

 そしてアッシュ屋敷の自室へと戻り、もくもくと作業を開始する。
 ツタ部分を編み込みながら、花が埋もれてしまわないように気を配る。大きめの葉はアイビーの特徴でもあるが、あまりに茂っていたら草冠になってしまう。途中でいくつかプチプチと切りながら勧めていく。

 ――そして作り始めてからしばらくで『アイヴィーの花冠』は完成した。

 憧れること7年。
 けれど憧れる期間に対して、制作時間はあまりに短い。
 何ともあっけないものである。

 頭に乗せて見ても、身を包むのはウェディングドレスではなく既成品のエプロンドレス。鏡の前でくるりと回っても魔法がかかることもない。

 けれどそんなところは何とも自分らしいと思えたのだった。

 角度を変えながら、この辺りにもう少しお花欲しかったかも? なんて確認する。するとコンコンとドアを叩く音がした。

 今日は休みのはずだけど、お茶会のお誘いかしら?
 花冠を机の上に乗せて、はぁいとドアを開いた。

 けれどドアの前にいたのはベルモットさんでもルターさんでもなく、ディートリッヒ様だった。
 もしかして外出のお誘い?
 始めの一度を除けば、ディートリッヒ様に同行した日は仕事の日だった。
 だからどうしたのだろうと首を傾げて彼を見れば、手には小さな箱を乗せている。
 けれど目の前の人は目を見開いたまま、固まってしまっている。
 声、かけた方がいいのかしら?
 そんなことを迷っているうちに、いつもの無表情へと戻る。

「よければ食べてくれ。この前のお詫びだ」
「そんな、悪いですよ」

 どうやら先日のことを気にしているらしい。

 何て言おうか悩んでいたのかしら?
 気にしないでくださいって言ったのに、何とも優しいディートリッヒ様らしい。

「アイヴィーに、食べて欲しいと思ったんだ……」
 そう告げる声はなんだか弱々しくて、私よりもディートリッヒ様の方がラティリアーナ様の襲撃が堪えているらしかった。断るのも悪いだろうとありがたく受け取って、ディートリッヒ様を見送る。心なしか背中にも覇気を感じない。
 本当に大丈夫かしら?
 仲が悪いようには見えなかったけれど、ラティリアーナ様は暴走しやすいタイプなのかもしれない。

 ブラコンを拗らせて色んな方に突撃しているとか?
 そう考えると不思議と親近感が沸いてくる。
 私だってお姉さまのために! って突っ走ってきたのだから。

 次に会うことがあれば優しくしよう。
 そう誓って、ディートリッヒ様からいただいた箱を開く。
 箱の中身はフォンダンショコラだった。
 それもハート型の。

 他意はないのだろう。
 多分ディートリッヒ様のおすすめの店か、最近流行の店で買ってきたとか、そんなのだろう。
 ディートリッヒ様に限って、片思いの相手に渡すと恋が実るって噂のあれではないはずだ。

 数年前にご令嬢達を中心に流行り、今では王都を中心に女の子の間で流行っているおまじないのようなもの。ディートリッヒ様が知らないのも無理はない。

 ここは変な意味に捕らえずに美味しくいただくのが一番だ。
 箱の中に一緒に入っていたフォークでハートの中心部から二つに分ける。
 そこからベリーソースを含んだチョコレートソースが流れ出すと同時に、ぶわっと部屋中をチョコレートの香りが占領する。

 これは間違いなく美味しいやつ!

 そもそもディートリッヒ様の連れていってくれる店には外れが当たったことなど一度もない。きっと過去に私が幾度となくスルーした差し入れも美味しいものばかりだったのだろう。
 早く早く! と焦る口に、チョコレートソースが絡まったそれを一口頬張る。そしてもう一口。もう一口。チョコレートの甘さとベリーの酸味が合わさったフォンダンショコラは絶品で、なかなか手が止まらなかった。

 止まったのは運ぶものがなくなった時のことだった。