その数日後、悩みが解決したらしいディートリッヒ様はすっかり通常運転へと戻っていた。
悩みのタネは一体なんだったのか分からないまま。
それでも再び、私を連れて王都に繰り出すほどに機嫌が良くなったのはいいことである。
連れてこられた喫茶店でショートケーキを黙々と食べ進めるディートリッヒ様はもちろん無表情。けれど私に向けるその目はほんの少しだけ柔らかいものに変わった……と私は勝手に思っている。
「食べないのか? 美味しいぞ?」
フォーク片手にディートリッヒ様を眺めていた私は彼の言葉にハッとする。
「いただきます!」
見つめられているのも気持ちのいいものではないだろう。
ディートリッヒ様の代わりにショートケーキに熱い視線を注ぎ、まずは三角形の尖った部分を、お皿と垂直になるようにそぎ落とす。イチゴを含んだ生クリームと、ふんわりとしたスポンジが見事に層となって切り取られた。
フォークに軽めの負担をかけるそれを口元へと運び――頬張る!
「おいひい」
酸味と甘みのバランスが抜群で、まるで口内で大合奏でも奏でるかのよう。
店自体にはドレスコードはないが、これは間違いなく正装で楽しむべき一品である。ディートリッヒ様に同行するということで、少しいい服を着てきて正解だったわ。
想像以上にエレガントな味に、一旦休憩を求めるように紅茶に手をのばす。
するとガーネットのような深い赤をしたそれは、安らぎなどではなかったことを実感させられる。ショートケーキが合奏ならこちらはコーラス隊である。ケーキの良さを引き立てるように、濃いめに抽出されたそれはあくまでわき役として寄り添っているのだ。
まさか紅茶までもメンバーの一員だとは……。
口の中どころか心までも癒されてしまう。
ディートリッヒ様の前だと言うのに、私の頬は完全に緩みきっていた。
「本当に、アイヴィーは幸せそうに食べるんだな」
そんな私をじっと見つめるディートリッヒ様。
急いでカップをソーサーの上に置き「すみません!」と頭を下げる。
シンドラー王子とマリー様とのお茶会と同じ調子で楽しんでしまっていた。
主を差し置いてお茶を楽しむなんてメイド失格だわ……。
けれどそんな私にディートリッヒ様は優しい言葉をかけてくださる。
「気にしないでくれ。アイヴィーが食べる姿を見ているとこちらまで嬉しくなってくる」
「ディートリッヒ様……」
「だからまた、誘ってもいいか?」
「私でよければ」
ケーキとお茶を楽しんで帰る道中、私達はあのアイスクリーム屋さんの前を通りかかった。
「ディートリッヒ様。よろしければあの店のアイスを食べて帰りませんか? 以前、友人に紹介してもらったお店で、味は私が保証します!」
胸を張って、食べましょうと勧める私にディートリッヒ様は「友人、か……」とポツリとこぼす。
「ディートリッヒ様?」
様子のおかしな彼に首を傾げる。けれどもすぐに顔をあげて、店の前へとスタスタと歩いて進んでしまう。
「アイヴィーのオススメはなんだ?」
「ストロベリーとバニラです!」
オススメと言ってもそれしか食べたことがない。けれども確実な二つである。
なるほど、と頷いたディートリッヒ様は店主に向かうと「ならそれを二つ」と、さっさと注文する。そしてお財布を取りだそうとした。けれども私は主の手を遮るように用意していたお金を店主へと渡す。
「アイヴィー」
「ここは私の紹介です。なので私が払います!」
異議ありと視線を向けるディートリッヒ様に、ここだけは譲れないと首を振る。
奢ってもらうつもりでこの店を教えた訳ではないのだ。
ただ、美味しいアイスをディートリッヒ様にも食べてもらいたかっただけ。
甘い物が好きなのだろう彼なら気に入ってくれるだろう、と思ってのこと。
私からの圧を感じた店主はさっさと会計を済ませておつりを私の手の上に乗せる。
そして注文の物をコーンの上へと乗せた。
納得いかないらしいディートリッヒ様は私を見下ろすが、こればかりはいくら主人相手でも譲れないのだ。気にしないフリを貫いて、完成したそれを二つ受け取る。
「早く食べないと溶けちゃいますよ~」
ディートリッヒ様を置いてベンチの設置された場所を目指して歩き出す。ディートリッヒ様は小さくため息を吐くと、私の後に続いて腰を下ろすのだった。
二人並んでアイスのスコップを続け、コーンに歯を立てた頃、見慣れた二人組がこちらへと向かってくるのが見えた。
「アイヴィー、久しぶり」
「隣にいるのってまさか、ディートリッヒ様!?」
アッシュ家の使用人になったと伝えてあるセルロトはあまり驚いた様子はないが、フランカはええ!? っと大げさなほどに驚く。
セルロトから伝わっていると思ったが、彼はいたずらが成功したように笑うだけ。
もしやセルロト、ダブルのアイスを奢られたのを根に持って……。いや、ただこの反応を楽しみたかっただけか。
セルロトは慌てる恋人を愛らしいものを見るかのように、慈愛に満ちた瞳で見つめている。
仲がいいのは結構なことだが、さっさとフランカを落ち着かせてほしい。
「え、結婚式に出席出来るようなドレス、今から仕立てれば間に合うかしら? そうだ。私のもだけど、セルロトの服はどうすれば!? っと、その前にシンディに報告? 城ではもう噂になっているのかしら? 見守り隊の人達から詳しい話を聞かないと! ああ、もう! この前、アイヴィーがお店に来た時の言葉を鵜呑みにするんじゃなかったわ!」
パニックになったフランカは一人で混乱を深めている。
私とディートリッヒ様が並んでアイスを食べているだけで、結婚まで飛躍出来るとは。
それに見守り隊って……。
そんなもの、一体どこから沸いて出たのだろう。
フランカってこんなに突飛な思考をする子だったかしら?
それともセルロトと一緒になったことで結婚を身近に感じるようになったとか?
私もフランカもそろそろ結婚していてもおかしくないどころか、私に至ってはすでに嫁ぎ遅れゾーンの住人である。
心配をかけてしまっていることには申し訳なさを感じるが、それ以上にフランカの頭の中でディートリッヒ様が恋人、最悪の場合結婚相手まで進んでしまっていることの方が申し訳ない。
美味しいアイスがあるのだと紹介したばかりにややこしいことに巻き込んでしまって……。
ちらりと隣に視線を向ければ、完全にフリーズしていた!
「ディートリッヒ様、申し訳ありません! フランカ、こちら私の新たな雇用主のディートリッヒ様。だから異次元まで発展した想像から帰ってきてちょうだい!」
主人に友人の非礼を詫び、フランカを現在まで引き戻す。けれど二人とも私の言葉ではピクともしない。
「セルロト、手伝って!」
「ああ。フランカ、詳しいことは家で話すから、とりあえずはお暇しよう」
「そ、そうね。これ以上デートの邪魔をしたら悪いものね。ごめんなさい、アイヴィー」
「いやだから、デートじゃないんだって……」
セルロトと共にこの場を後にするフランカ。
どうやら誤解を解くことが出来るかはセルロトの手腕に期待するしかなさそうだ。
頼んだわよ、セルロト!
遠ざかる背中にプレッシャーを送りつつ、私は私でもう一人へと向き直る。
「不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした!」
深く頭を下げると、ようやくフリーズが解除されたらしいディートリッヒ様はビクッと体を震わせる。
「いや、気にしないでくれ」
そうは言ってくれたものの、帰り道でのディートリッヒ様は心ここにあらず、で。
人にぶつかると危ないからと、腕を支えさせていただけば、パチクリと瞬きを繰り返す。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ」
本当に、不快だったら言って欲しい。
けれど使用人にも気を使ってくれる優しいご主人様は、私を拒絶することはなかった。
悩みのタネは一体なんだったのか分からないまま。
それでも再び、私を連れて王都に繰り出すほどに機嫌が良くなったのはいいことである。
連れてこられた喫茶店でショートケーキを黙々と食べ進めるディートリッヒ様はもちろん無表情。けれど私に向けるその目はほんの少しだけ柔らかいものに変わった……と私は勝手に思っている。
「食べないのか? 美味しいぞ?」
フォーク片手にディートリッヒ様を眺めていた私は彼の言葉にハッとする。
「いただきます!」
見つめられているのも気持ちのいいものではないだろう。
ディートリッヒ様の代わりにショートケーキに熱い視線を注ぎ、まずは三角形の尖った部分を、お皿と垂直になるようにそぎ落とす。イチゴを含んだ生クリームと、ふんわりとしたスポンジが見事に層となって切り取られた。
フォークに軽めの負担をかけるそれを口元へと運び――頬張る!
「おいひい」
酸味と甘みのバランスが抜群で、まるで口内で大合奏でも奏でるかのよう。
店自体にはドレスコードはないが、これは間違いなく正装で楽しむべき一品である。ディートリッヒ様に同行するということで、少しいい服を着てきて正解だったわ。
想像以上にエレガントな味に、一旦休憩を求めるように紅茶に手をのばす。
するとガーネットのような深い赤をしたそれは、安らぎなどではなかったことを実感させられる。ショートケーキが合奏ならこちらはコーラス隊である。ケーキの良さを引き立てるように、濃いめに抽出されたそれはあくまでわき役として寄り添っているのだ。
まさか紅茶までもメンバーの一員だとは……。
口の中どころか心までも癒されてしまう。
ディートリッヒ様の前だと言うのに、私の頬は完全に緩みきっていた。
「本当に、アイヴィーは幸せそうに食べるんだな」
そんな私をじっと見つめるディートリッヒ様。
急いでカップをソーサーの上に置き「すみません!」と頭を下げる。
シンドラー王子とマリー様とのお茶会と同じ調子で楽しんでしまっていた。
主を差し置いてお茶を楽しむなんてメイド失格だわ……。
けれどそんな私にディートリッヒ様は優しい言葉をかけてくださる。
「気にしないでくれ。アイヴィーが食べる姿を見ているとこちらまで嬉しくなってくる」
「ディートリッヒ様……」
「だからまた、誘ってもいいか?」
「私でよければ」
ケーキとお茶を楽しんで帰る道中、私達はあのアイスクリーム屋さんの前を通りかかった。
「ディートリッヒ様。よろしければあの店のアイスを食べて帰りませんか? 以前、友人に紹介してもらったお店で、味は私が保証します!」
胸を張って、食べましょうと勧める私にディートリッヒ様は「友人、か……」とポツリとこぼす。
「ディートリッヒ様?」
様子のおかしな彼に首を傾げる。けれどもすぐに顔をあげて、店の前へとスタスタと歩いて進んでしまう。
「アイヴィーのオススメはなんだ?」
「ストロベリーとバニラです!」
オススメと言ってもそれしか食べたことがない。けれども確実な二つである。
なるほど、と頷いたディートリッヒ様は店主に向かうと「ならそれを二つ」と、さっさと注文する。そしてお財布を取りだそうとした。けれども私は主の手を遮るように用意していたお金を店主へと渡す。
「アイヴィー」
「ここは私の紹介です。なので私が払います!」
異議ありと視線を向けるディートリッヒ様に、ここだけは譲れないと首を振る。
奢ってもらうつもりでこの店を教えた訳ではないのだ。
ただ、美味しいアイスをディートリッヒ様にも食べてもらいたかっただけ。
甘い物が好きなのだろう彼なら気に入ってくれるだろう、と思ってのこと。
私からの圧を感じた店主はさっさと会計を済ませておつりを私の手の上に乗せる。
そして注文の物をコーンの上へと乗せた。
納得いかないらしいディートリッヒ様は私を見下ろすが、こればかりはいくら主人相手でも譲れないのだ。気にしないフリを貫いて、完成したそれを二つ受け取る。
「早く食べないと溶けちゃいますよ~」
ディートリッヒ様を置いてベンチの設置された場所を目指して歩き出す。ディートリッヒ様は小さくため息を吐くと、私の後に続いて腰を下ろすのだった。
二人並んでアイスのスコップを続け、コーンに歯を立てた頃、見慣れた二人組がこちらへと向かってくるのが見えた。
「アイヴィー、久しぶり」
「隣にいるのってまさか、ディートリッヒ様!?」
アッシュ家の使用人になったと伝えてあるセルロトはあまり驚いた様子はないが、フランカはええ!? っと大げさなほどに驚く。
セルロトから伝わっていると思ったが、彼はいたずらが成功したように笑うだけ。
もしやセルロト、ダブルのアイスを奢られたのを根に持って……。いや、ただこの反応を楽しみたかっただけか。
セルロトは慌てる恋人を愛らしいものを見るかのように、慈愛に満ちた瞳で見つめている。
仲がいいのは結構なことだが、さっさとフランカを落ち着かせてほしい。
「え、結婚式に出席出来るようなドレス、今から仕立てれば間に合うかしら? そうだ。私のもだけど、セルロトの服はどうすれば!? っと、その前にシンディに報告? 城ではもう噂になっているのかしら? 見守り隊の人達から詳しい話を聞かないと! ああ、もう! この前、アイヴィーがお店に来た時の言葉を鵜呑みにするんじゃなかったわ!」
パニックになったフランカは一人で混乱を深めている。
私とディートリッヒ様が並んでアイスを食べているだけで、結婚まで飛躍出来るとは。
それに見守り隊って……。
そんなもの、一体どこから沸いて出たのだろう。
フランカってこんなに突飛な思考をする子だったかしら?
それともセルロトと一緒になったことで結婚を身近に感じるようになったとか?
私もフランカもそろそろ結婚していてもおかしくないどころか、私に至ってはすでに嫁ぎ遅れゾーンの住人である。
心配をかけてしまっていることには申し訳なさを感じるが、それ以上にフランカの頭の中でディートリッヒ様が恋人、最悪の場合結婚相手まで進んでしまっていることの方が申し訳ない。
美味しいアイスがあるのだと紹介したばかりにややこしいことに巻き込んでしまって……。
ちらりと隣に視線を向ければ、完全にフリーズしていた!
「ディートリッヒ様、申し訳ありません! フランカ、こちら私の新たな雇用主のディートリッヒ様。だから異次元まで発展した想像から帰ってきてちょうだい!」
主人に友人の非礼を詫び、フランカを現在まで引き戻す。けれど二人とも私の言葉ではピクともしない。
「セルロト、手伝って!」
「ああ。フランカ、詳しいことは家で話すから、とりあえずはお暇しよう」
「そ、そうね。これ以上デートの邪魔をしたら悪いものね。ごめんなさい、アイヴィー」
「いやだから、デートじゃないんだって……」
セルロトと共にこの場を後にするフランカ。
どうやら誤解を解くことが出来るかはセルロトの手腕に期待するしかなさそうだ。
頼んだわよ、セルロト!
遠ざかる背中にプレッシャーを送りつつ、私は私でもう一人へと向き直る。
「不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした!」
深く頭を下げると、ようやくフリーズが解除されたらしいディートリッヒ様はビクッと体を震わせる。
「いや、気にしないでくれ」
そうは言ってくれたものの、帰り道でのディートリッヒ様は心ここにあらず、で。
人にぶつかると危ないからと、腕を支えさせていただけば、パチクリと瞬きを繰り返す。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ」
本当に、不快だったら言って欲しい。
けれど使用人にも気を使ってくれる優しいご主人様は、私を拒絶することはなかった。