「アイヴィーが帰ってきてくれて良かったな~」
「大げさですよ」
「そんなことはない。私たちもディートリッヒ様も、このままアイヴィーがリアゴールド家のご令嬢の元から帰ってこなかったどうしようかと、気が気でなかったんだぞ?」

 私に気を使ってくれているのか。
 今日はお呼ばれしたボブ爺も含めたいつものメンツは私をよいしょと持ち上げる。

 これがハイエナ令嬢だったら間違いなく裏がある。優しい同僚だったら頼みづらいことがあるのだろう。

 だが彼らは?
 頼まれれば喜んで仕事を受け入れるこの状況でここまでする意味……。
 ただの好意?
 それともお茶仲間が減ったら悲しいからか。

「アイヴィーさん。おかわりはいかがですか?」
「いただきます」

 まぁいっか。
 どんなに裏を考えたところで、彼らが私に対して悪い感情をもっていないのは確かなのだ。
 もしも少しでもあったらわざわざお茶会のメンバーになんて入れないだろうし、新人としてコキ使いまくればいいだけなのだ。

 透き通った紅をしたお茶をすすりながらほっと息を吐く。
 しっかりとしたバターの風味とさっぱりとした紅茶が良く合う。
 さすがは名門アッシュ家のコック、ルターさんの作った一品だわ。

 お城でシンドラー王子とマリー様とのお茶会に参加し続けた結果、すっかり舌が肥えてしまった私なら分かる。
 王都で店を持てば毎日行列を作り続けるほどの実力の持ち主だ。
 そんなハイレベルなお菓子を毎日食べれるのってなかなの贅沢よね~。
 横からもう一ついかが? とばかりに差し出されたフィナンシェをぺこりと頭を下げてから手に取る。

 やっぱり美味しい。
 恋の悩みから解放された私に次に迫り来るのは体重増加の悩みかもしれない。
 そんな予感をヒシヒシと感じつつも、口の中でふんわりと香るバターの旨さはやみつきになるのだった。

「そろそろ昼か。用意してくる」
 そう告げて、口内に幸せを運び込むフィナンシェの制作者がすくっと席を立った。
 ここでお茶会もお開きか、と思ったが他の人達が彼に続いて席を立ちあがる気配はない。
 いくら仕事が少ないとはいえ、さすがに午前に続いて午後も……なんてことは出来ないだろう。
 ディートリッヒ様からお休みを取っていいとは言われているが、さすがに心配になってしまう。

「ベルモットさん。お掃除の方は……」
 雰囲気を壊さない程度に、けれど業務を思い出してもらえるように、弱々しく声をかけてみた。

「ご安心を。全て終わっています」
「え?」
「気が気で眠れなかったものですから」
 ニコリと微笑みを浮かべるベルモットさん。
 よくよく彼の目の下を見てみればうっすらとクマが出来ているような?
 思えば先ほど立ったルターさんも同じ物があったように思える。

 え、もしかして心配だったって冗談じゃなかったの?
 私を持ち上げる目的ではなく?
 すうっと屋敷の方向へ視線をずらしてみれば、窓を通して見える屋敷の中はいつも以上に綺麗に磨かれていた。時間を持て余しては細かいところまで掃除している普段よりも、だ。


 この屋敷でも私の立ち位置ってどうなっているんだろう。
 使用人一人一人への愛が強いのか。

 もしかしてシンドラー王子に結婚願望の有無を尋ねられたのって、生涯勤め続けることが出来るかを知りたかったとか?

 てっきり結婚しないなら他に移った方がいいから、ということで勧められたのだとばかり。けれど城だと結婚・出産を機に仕事を辞める子も多く、長年勤めてくれるメイドを探そうと思ってもなかなか見つけ出すことは難しい。

 もしかしてあの質問ってディートリッヒ様からの要望が含まれていたのかな?
 いつかは辞めていくのが当たり前になっていたけど、出来ればずっと同じ者に仕えて欲しいとかあるのだろう。一応私も貴族の娘ではあるけれど、やっぱり住む世界が違うのだ。

 本当に、上級貴族って謎が多いな~。
 そんなことをしみじみと思いながら、運ばれてきたサンドイッチを口に運ぶ。
 ふんわり食パンと半熟タマゴ、そしてほんの少しの塩の相性は絶妙で。
 フィナンシェを散々食べたはずの私のお腹は、一度リセットされたのかと思うほどに次を寄越せと指示を飛ばしてくる。
 私は強い指示、もとい己の食欲に応えるべく、新たな別の種類のサンドイッチにも手を伸ばすのだった。



 お茶会、と呼ぶにはあまりに長時間に渡った、私の帰還お祝い会は夕刻まで続いた。
 ルターさんがキッチンへと戻ると言うので、せめて皿洗いくらいは手伝わせてもらうことにした。城でも何度か、手の足りない時にお手伝い部隊として名乗りを上げたものだ。食器の洗い方講座を思い出しながら一つ一つ丁寧に洗っていく。

「アイヴィーは本当に何でも出来るな。確かコーヒーと紅茶も淹れられるんだっけ?」
「まだまだですけどね」
「でも王子相手にお出ししていたんだろう?」
「まぁ……」
「そこまでの腕があれば大したもんだろうよ」
「そうですかね」
「そうだよ」

 お茶会も終わったというのに、今日は私を誉める日か何かなのだろうか。ルターさんは快活に笑いながら褒めてくれる。

「じゃあ今度のお茶会のお茶、私に用意させてくださいね」
「ははっ、楽しみにしてるよ」

 ふふふと笑いあうが手は緩めることはない。
 なんて幸せな職場だろう。
 20過ぎて嫁入りの見込みがないことは、お姉さまたちには申し訳なく思う。
 けれどここはずっと居られたら……と思うほどにいい職場だ。たどり着けたことを、運の巡り合わせに感謝するほどに。


 食器を片していると、玄関の方角から人の話声が聞こえてくる。時計を確認するといつもよりお帰りが少し早いくらい。

 シンドラー王子たちの話だと結構忙しい様子だったが、きっと今日は滞りなく進行したのだろう。お休みの時間が取れるということは喜ばしいことだ。
 ルターさんと顔を見合わせて、早速調理に取りかかる。
 流れ的に私も手伝うこととなるが、やることといったら野菜の皮むきと、使い終わった調理器具を片づけることくらい。
 飛んでくる指示はどれも的確に私の行動を見てから送られる。だから流れるように身体を動かしていればいい。

 邪魔じゃなかったら今度からキッチンに入れさせてもらえないかしら?
 ボウルを取り出して彼へと手渡した私はそんな下心を秘めていた。


「今日のお礼、と言っていいかはわからないが、試作品のジェラートがあるんだが、よければ食後のデザートにどうだ?」
「いただきます!」
 だがそんな気持ちはすぐに食欲に打ち消される。

 ジェラート――それは異国の氷菓だ。
 ミルクアイスとは違い、フルーツや野菜の本来の甘みを生かしたものである。けれどシャーベットのように氷でシャリシャリとしている訳ではなく、舌触りが滑らかなのが特徴だ。
 王城でもなかなかお目にかかれないそのデザートに、思わず目を爛々と輝かせてしまう。意地が汚いって思われたっていい。美味しいものには目がないのだ。

「感想、聞かせてくれよ」
「もちろんです」
 手の中のふきんを握りしめて意思表示をすれば、シェフはカラカラと笑った。


 ディートリッヒ様がお食事を済ませた後、用意されたまかないには約束通り、デザートがついていた。

 本日何度目かなんて考えちゃいけない。
『太る』なんて考えを持つ邪神の使いにはさっさとご退場いただいて、目の前の小さなお皿を四方から眺める。

 ルターさんが用意してくれたデザート――それは薔薇のジェラートだった。それも形までしっかりと再現してある。一枚一枚の花びらが集合して作り出された華を崩すのは少しだけ勿体なく思えてしまう。
 けれど目の前の男の人は「早く食べてくれ」と目で訴えかけてくるのだ。

 勿体ないなんて考えで、ジェラートの食べ頃を逃すのは愚か者のすること。

 私はいただきますと手を合わせて、皿と同様に冷やされたスプーンを手に取った。そしてまずはひとすくい。どうやら薔薇は完全にペーストしてあるらしく、見た目はストロベリーのジェラートと似ている。

 では味のほうはどうだろうか。

 舌の上へと運んだ。するとそれは口内の熱と交わってふわっと溶けてしまう。けれど存在が完全になくなった訳ではない。むしろ逆だ。溶けたおかげで薔薇の香りは鼻を抜け、ベースとなっているのだろうミルクはそれを包み込むようにサポート役に徹している。

 お皿の上にちょこんと乗った薔薇が口の中でこんなにも美しく咲き誇るなんて!

「幸せ……」
 まるで薔薇の庭園にでも迷い込んだかのような感覚についうっとりとしてしまう。
 ほうっと息を吐いてそう呟けば「それは良かった」と優しい声が振ってくるのだった。