「なにから話しましょうか。やっぱり初めから話すのが一番かしらね。私の知っている一番初めから」
マリー様は小悪魔のようにいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
そして彼女の知る『始まり』から順を追って語っていく。
ディートリッヒ様がマリー様に『城の何百というメイドの中でも一際変わった少女と出会ったのだ』と語ったのは、シンドラー王子が何度目かになる逃亡の後のことだそうだ。
その時には何度か顔を合わせていたはずだが、特徴の薄い私なんて一度見たらすぐ忘れてしまったのだろう。仕方ない。私だってその自覚はある。
その上、服装も他のメイドたちと一緒なのだ。騎士としてだけではなく、貴族として社交界にも顔を見せる彼が一介のメイド風情の顔なんて覚えていないのだ。
けれどそんな地味なメイドをディートリッヒ様が認識してくれたのはやけに顔を合わせる回数が多かったから。
「いつだって迷い込んだ先にはアイヴィーがいたそうよ」
その言葉に思わず苦笑いが浮かんでしまう。
シンドラー王子を追えばおのずと私の元にたどり着くのは当たり前のこと。なにせ私が王子を匿う共犯者なのだから。
シンドラー王子の逃亡はとにかく回数が多く、彼を匿う日もそうでない日も、ディートリッヒ様と顔を合わせる回数は決して少なくはなかった。
思えばシンドラー王子の逃亡回数が多いあの時が一番顔を合わせていたのではなかろうか。
「いつだって迷った先で道を切り開いてくれる不思議なメイド――ディートリッヒ様はそう話してくださったわ。だから私、悔しくってあなたに嫉妬しちゃった」
「え?」
「だって、シンドラー王子も同じようなことを言っていたの。この城には妖精がいるんだって。熱心に働くのに話してみれば他の誰とも違う、妖精みたいなメイドがいるって。楽しそうに話してくれたシンドラー王子と、不思議なものを見つけたみたいにはしゃぐディートリッヒ様。二人とも同じ人を指していることは女の勘が告げていたわ」
「はしゃいでいたんですか? ディートリッヒ様が?」
あの鉄面皮でも被っているのかと思うあの人が?
珍獣枠だとしても、人相手にはしゃぐの?
いや、生き物に限らず、あの人の心をそこまで強く刺激するものがあるのか。
ついマリー様の話を遮って口出しすると、彼女はふふっと嬉しそうに笑った。
「分かりづらいでしょう? ディートリッヒ様の感情は顔に出づらいの。貴族としてはそれでいいけれど、そのせいで何年も恋をこじらせるんだから欠点も大きいわよね」
『何年も恋をこじらせている』
マリー様は意識して放った言葉ではないのだろうが、私にとってそれはあまりに大きな着火材となる。放たれた火に私の顔はぼおっと燃えさかり、数秒とたたずに耳までしっかりと赤く染まっていく。
恥ずかしくて。けれど嬉しくて。
本人からの言葉ではないことは分かっていても、なんだか自分のこの思いは無駄ではなかったと思えるから。
うっすらとあふれる涙を指先で拭って、まだまだあるわよ! と笑う少女に期待の目を向けるのだった。
「それからディートリッヒ様と顔を会わせる度、私は不思議なメイドの話をせがんだわ。その時はシンドラー王子のことで頭がいっぱいだったけど。でもそこであなたの話を沢山聞いたの。全ての窓が空いた部屋で吹き込む爽やかな風に髪をたなびかせる姿は風の精のようだったとか。窓から庭園を見つめながら、きっと王子は庭園にいらっしゃるかと……と教えるその優しい眼はまるで花を慈しむ聖母のようだとか。今考えると惚れた女の子のことばっかり話すのってどうなのかしらね! ってまぁ、私もディートリッヒ様にシンドラー様のことばかり話していたからお互い様だけど……」
王子を匿っている間、そんな目で見られていたなんて。
王子が例えた『妖精』はきっといたずら好きのピクシーみたいなものだろう。
けれど風の精に聖母って、そんなの私のイメージからかけ離れている。どんなフィルターをかけたらそんなになるのだろうか。あのディートリッヒ様がそんなことを言ったなんて信じられる訳もない。
さすがにこれはマリー様の作り話なんじゃなかろうか。
元気づける為の薬になれば、と思ってくれてのことだろう。
そう思って聞き流そうとするけれど、マリー様は隣で「本当なんだから」と頬をぷっくらと膨らませる。
「アイヴィーと仲良くなってからはあなたの好みや、若い女の子が好きそうな物を頻繁に聞いてきたりして……。その証拠に、ディートリッヒ様からいろんな贈り物をされたでしょう?」
証拠に、と言われても『ディートリッヒ様からの贈り物』と聞いて思い浮かぶものがほとんどない。
もらったものと言えば差し入れくらいなものだ。
あれを私への贈り物と換算してしまうのはあまりに傲慢がすぎるだろう。それに今更あれが私へなんて言われたらいたたまれない。なにせほとんどが私の手を通りすぎているのだから。
ハイエナ令嬢に至ってはそれを会話の種にしていたほど。
だがそれらがハイエナ令嬢たちの手にも渡っていることはディートリッヒ様も分かっていたはずだ。その上でみんなにとくれていたのだから、やはり私への贈り物ではなかったはずだ。断じて私は好きな相手からもらった物を無意識に横流しなんてしていない。
つまりマリー様との会話の一つでしかなかったという訳だ。
だから安心しろ、私。
そう言い聞かせたのに、続くマリー様の言葉はあまりにも残酷だった。
「個人ではもらってもらえないだろうからってカモフラージュで他の人にもと渡せば、未来の夫探しに城に滞在している下級貴族の令嬢たちの手に渡り。ならばと量を増やしてみたがアイヴィーの手に渡っているか怪しいって。どうしたら彼女の手に届くかって模索していたわ。まぁ、最後までろくにあなたの手には渡っていなかったわけだけど」
「っ……」
そこまで努力されていたとも知らず、私はバックヤードで配布をしていたなんて……。思わず乙女らしからぬ低い声が喉の奥から這い上がる。いや、こんな私が乙女なんて他の子に失礼よね……。
けれどマリー様の言うとおり、私個人にと渡されたところでお断りしていたことだし、もらったお菓子はハイエナ令嬢に奪われるのも当然の流れと言える。
そして残ったお菓子を独占?
そんなの出来る訳がない。
それでも一つくらいはもらって、お菓子の感想でも言えたら良かったのかもしれない。
相手はディートリッヒ様だからそんなこと簡単に伝えられるはずがないのだが。
マリー様の話だとおそらく私の気持ちはディートリッヒ様に全く通じていないだろう。
私がディートリッヒ様の気持ちに全く気づかなかったのと同じように。
そう考えるとやっぱり私、恋する相手を間違っていたのかもしれない。
どんなに思ってくれて、行動に移してくれていても、私とディートリッヒ様では身分が違う上、気持ちがすれ違いすぎている。
同じ種類の感情なはずなのに、見事なほどにお互いの横を過ぎ去って歩み出す。
清々しいほどに相性が悪い。
まさか思いを寄せる相手の好意を知って、ここまで頭を抱えることとなるなんて誰が想像しただろう。
「けれど分からないことが一つだけあるの」
「分からないこと?」
「なぜディートリッヒ様がアイヴィーをメイドにしたのか。私、てっきり知らないうちに交際していて、結婚するものだとばかり……。だから久しぶりに会ったアイヴィーがアッシュ家のメイドをしていたのに驚いたの」
それは私にも分からないこと。
私はシンドラー王子に結婚しないのか? と聞かれ、今の職場を手にした。そしてそれをディートリッヒ様も承知の上だろう。
新たな職場は優しい人ばかりで仕事も少ない。非常に過ごしやすい職場だ。……片思いの相手さえいなければ。
もしかしてディートリッヒ様の中で、私への思いは消滅しているのではなかろうか。
だって今の話を聞いていたら、私の行動はあまりにもヒドすぎる。
長い間思ってくれていたとしても、伝わる見込みがなければ諦めるのも時間の問題だろう。
つい数刻前の私のように――。
ずっと芽が出なければ花が開くことはない。
なんだ。もう、終わっていたのか。
ずっと見えていなかったことを知り、そして改めて自分の思いと向き直る。
これ以上、不毛な思いを続けるつもりか。
終わっていた感情を掘り起こすつもりか。
それはあまりに無駄なことだろう。
私はアッシュ家のメイドとなったのだ。
ならばメイドとして努めることこそ、私のすべきことだ。
ああ、これでやっと前へと進める。
全て理解して、私はディートリッヒ様とは違う道を歩むことを決意した。
今度は胸につっかえを感じることはない。
窓の外はいつの間にか白んでいる。
用意を整え、城へ着いたらまずは二人に謝ろう。
シンドラー王子と、今の雇用主であるディートリッヒ様に。
こうして私は産まれて初めての恋心とお別れした。
マリー様は小悪魔のようにいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
そして彼女の知る『始まり』から順を追って語っていく。
ディートリッヒ様がマリー様に『城の何百というメイドの中でも一際変わった少女と出会ったのだ』と語ったのは、シンドラー王子が何度目かになる逃亡の後のことだそうだ。
その時には何度か顔を合わせていたはずだが、特徴の薄い私なんて一度見たらすぐ忘れてしまったのだろう。仕方ない。私だってその自覚はある。
その上、服装も他のメイドたちと一緒なのだ。騎士としてだけではなく、貴族として社交界にも顔を見せる彼が一介のメイド風情の顔なんて覚えていないのだ。
けれどそんな地味なメイドをディートリッヒ様が認識してくれたのはやけに顔を合わせる回数が多かったから。
「いつだって迷い込んだ先にはアイヴィーがいたそうよ」
その言葉に思わず苦笑いが浮かんでしまう。
シンドラー王子を追えばおのずと私の元にたどり着くのは当たり前のこと。なにせ私が王子を匿う共犯者なのだから。
シンドラー王子の逃亡はとにかく回数が多く、彼を匿う日もそうでない日も、ディートリッヒ様と顔を合わせる回数は決して少なくはなかった。
思えばシンドラー王子の逃亡回数が多いあの時が一番顔を合わせていたのではなかろうか。
「いつだって迷った先で道を切り開いてくれる不思議なメイド――ディートリッヒ様はそう話してくださったわ。だから私、悔しくってあなたに嫉妬しちゃった」
「え?」
「だって、シンドラー王子も同じようなことを言っていたの。この城には妖精がいるんだって。熱心に働くのに話してみれば他の誰とも違う、妖精みたいなメイドがいるって。楽しそうに話してくれたシンドラー王子と、不思議なものを見つけたみたいにはしゃぐディートリッヒ様。二人とも同じ人を指していることは女の勘が告げていたわ」
「はしゃいでいたんですか? ディートリッヒ様が?」
あの鉄面皮でも被っているのかと思うあの人が?
珍獣枠だとしても、人相手にはしゃぐの?
いや、生き物に限らず、あの人の心をそこまで強く刺激するものがあるのか。
ついマリー様の話を遮って口出しすると、彼女はふふっと嬉しそうに笑った。
「分かりづらいでしょう? ディートリッヒ様の感情は顔に出づらいの。貴族としてはそれでいいけれど、そのせいで何年も恋をこじらせるんだから欠点も大きいわよね」
『何年も恋をこじらせている』
マリー様は意識して放った言葉ではないのだろうが、私にとってそれはあまりに大きな着火材となる。放たれた火に私の顔はぼおっと燃えさかり、数秒とたたずに耳までしっかりと赤く染まっていく。
恥ずかしくて。けれど嬉しくて。
本人からの言葉ではないことは分かっていても、なんだか自分のこの思いは無駄ではなかったと思えるから。
うっすらとあふれる涙を指先で拭って、まだまだあるわよ! と笑う少女に期待の目を向けるのだった。
「それからディートリッヒ様と顔を会わせる度、私は不思議なメイドの話をせがんだわ。その時はシンドラー王子のことで頭がいっぱいだったけど。でもそこであなたの話を沢山聞いたの。全ての窓が空いた部屋で吹き込む爽やかな風に髪をたなびかせる姿は風の精のようだったとか。窓から庭園を見つめながら、きっと王子は庭園にいらっしゃるかと……と教えるその優しい眼はまるで花を慈しむ聖母のようだとか。今考えると惚れた女の子のことばっかり話すのってどうなのかしらね! ってまぁ、私もディートリッヒ様にシンドラー様のことばかり話していたからお互い様だけど……」
王子を匿っている間、そんな目で見られていたなんて。
王子が例えた『妖精』はきっといたずら好きのピクシーみたいなものだろう。
けれど風の精に聖母って、そんなの私のイメージからかけ離れている。どんなフィルターをかけたらそんなになるのだろうか。あのディートリッヒ様がそんなことを言ったなんて信じられる訳もない。
さすがにこれはマリー様の作り話なんじゃなかろうか。
元気づける為の薬になれば、と思ってくれてのことだろう。
そう思って聞き流そうとするけれど、マリー様は隣で「本当なんだから」と頬をぷっくらと膨らませる。
「アイヴィーと仲良くなってからはあなたの好みや、若い女の子が好きそうな物を頻繁に聞いてきたりして……。その証拠に、ディートリッヒ様からいろんな贈り物をされたでしょう?」
証拠に、と言われても『ディートリッヒ様からの贈り物』と聞いて思い浮かぶものがほとんどない。
もらったものと言えば差し入れくらいなものだ。
あれを私への贈り物と換算してしまうのはあまりに傲慢がすぎるだろう。それに今更あれが私へなんて言われたらいたたまれない。なにせほとんどが私の手を通りすぎているのだから。
ハイエナ令嬢に至ってはそれを会話の種にしていたほど。
だがそれらがハイエナ令嬢たちの手にも渡っていることはディートリッヒ様も分かっていたはずだ。その上でみんなにとくれていたのだから、やはり私への贈り物ではなかったはずだ。断じて私は好きな相手からもらった物を無意識に横流しなんてしていない。
つまりマリー様との会話の一つでしかなかったという訳だ。
だから安心しろ、私。
そう言い聞かせたのに、続くマリー様の言葉はあまりにも残酷だった。
「個人ではもらってもらえないだろうからってカモフラージュで他の人にもと渡せば、未来の夫探しに城に滞在している下級貴族の令嬢たちの手に渡り。ならばと量を増やしてみたがアイヴィーの手に渡っているか怪しいって。どうしたら彼女の手に届くかって模索していたわ。まぁ、最後までろくにあなたの手には渡っていなかったわけだけど」
「っ……」
そこまで努力されていたとも知らず、私はバックヤードで配布をしていたなんて……。思わず乙女らしからぬ低い声が喉の奥から這い上がる。いや、こんな私が乙女なんて他の子に失礼よね……。
けれどマリー様の言うとおり、私個人にと渡されたところでお断りしていたことだし、もらったお菓子はハイエナ令嬢に奪われるのも当然の流れと言える。
そして残ったお菓子を独占?
そんなの出来る訳がない。
それでも一つくらいはもらって、お菓子の感想でも言えたら良かったのかもしれない。
相手はディートリッヒ様だからそんなこと簡単に伝えられるはずがないのだが。
マリー様の話だとおそらく私の気持ちはディートリッヒ様に全く通じていないだろう。
私がディートリッヒ様の気持ちに全く気づかなかったのと同じように。
そう考えるとやっぱり私、恋する相手を間違っていたのかもしれない。
どんなに思ってくれて、行動に移してくれていても、私とディートリッヒ様では身分が違う上、気持ちがすれ違いすぎている。
同じ種類の感情なはずなのに、見事なほどにお互いの横を過ぎ去って歩み出す。
清々しいほどに相性が悪い。
まさか思いを寄せる相手の好意を知って、ここまで頭を抱えることとなるなんて誰が想像しただろう。
「けれど分からないことが一つだけあるの」
「分からないこと?」
「なぜディートリッヒ様がアイヴィーをメイドにしたのか。私、てっきり知らないうちに交際していて、結婚するものだとばかり……。だから久しぶりに会ったアイヴィーがアッシュ家のメイドをしていたのに驚いたの」
それは私にも分からないこと。
私はシンドラー王子に結婚しないのか? と聞かれ、今の職場を手にした。そしてそれをディートリッヒ様も承知の上だろう。
新たな職場は優しい人ばかりで仕事も少ない。非常に過ごしやすい職場だ。……片思いの相手さえいなければ。
もしかしてディートリッヒ様の中で、私への思いは消滅しているのではなかろうか。
だって今の話を聞いていたら、私の行動はあまりにもヒドすぎる。
長い間思ってくれていたとしても、伝わる見込みがなければ諦めるのも時間の問題だろう。
つい数刻前の私のように――。
ずっと芽が出なければ花が開くことはない。
なんだ。もう、終わっていたのか。
ずっと見えていなかったことを知り、そして改めて自分の思いと向き直る。
これ以上、不毛な思いを続けるつもりか。
終わっていた感情を掘り起こすつもりか。
それはあまりに無駄なことだろう。
私はアッシュ家のメイドとなったのだ。
ならばメイドとして努めることこそ、私のすべきことだ。
ああ、これでやっと前へと進める。
全て理解して、私はディートリッヒ様とは違う道を歩むことを決意した。
今度は胸につっかえを感じることはない。
窓の外はいつの間にか白んでいる。
用意を整え、城へ着いたらまずは二人に謝ろう。
シンドラー王子と、今の雇用主であるディートリッヒ様に。
こうして私は産まれて初めての恋心とお別れした。