「アイヴィー、よく来てくれた!」
「シンドラー王子!?」
 連れて行かれた先にいたのは、一ヶ月ぶりのシンドラー王子の姿だった。

 そしてこの場所に私を連れてきたディートリッヒ様は、今はもうこの部屋にはいない。

「休日は改めて出す」
 それだけ言って、到着してすぐに走り去ってしまったのだ。
 忙しい中、私を探し回ったせいで予定時間に追われているのだろう。
 アッシュ家のメイドになってから約一カ月が経ったが、部屋の整理だのなんだので、休日も大抵お屋敷にいた。だから今日もそうだと思っていたのだろう。
 なんで今日に限って外出したんだろう。いや、ウィンドウショッピングをするためなんだけど……タイミング悪いな、私……。

 まぁそんなことを今考えても仕方がない。
 今、私がすべきなのは状況を確認することである。

 ニコニコと笑いながら「久しぶりだね」と手を広げる王子はディードリッヒ様よりも話しかけやすい。決して暇ではないのだろうが。慣れ、というのも大きな理由の一つだ。

「王子、私はなんでここに連れてこられたんですか?」
「ああ、それはね、私とマリーの話し相手としてだ」
「…………」

 これは、何と言っていいのか……。
 こうしてシンドラー王子とマリー様のお話し相手として呼ばれたことは過去に何度もある。それこそ両手の指を合わせても足りないほど。
 なにせ彼らはいいお茶が手には入っただとか、本を紹介したいだとか、明らかにメイドを呼びつけるような用事ではないことで呼ぶのだ。確かにお茶は美味しいし、毎回美味しいお菓子食べさせてくれるし、本は勉強になるし、私の好みは知られ尽くしているなと感じる。だがやはりメイドへの用事ではないのだ。
 まるで友人とでもお茶会を楽しんでいるかのよう……。
 シンドラー王子やマリー様とは打ち解けているとは思っている。多少は信頼してくれているとも思う。

 だがまさか城のメイドを辞めた後もこうして呼ばれるとは思わなかったのだ。
 驚きが少し、けれど残りのほとんどは懐かしさというか安心感が占めている。どちらかと言えばそのことに私は戸惑っている。
 二人とはもう会う機会はないと思っていたし、マリー様には別れの挨拶ができぬままだった。それが気になっていたとはいえ、こうして会ってみてまさかこんなに自分が気にしているとは思ってもみなかったのである。

 だがここで『はい、そうですか』と頷く訳にはいかない。
 だってそんな理由で、ディートリッヒ様が忙しいところを抜け出してまで私を探し回っていたのかと思うと申し訳ないから。
 じっとりとした視線でシンドラー王子を見つめると、はははと王子は笑った。
 やはりそれだけが理由ではないようだ、ととりあえず胸をなで下ろす。

「実は今回の警備隊の指揮を取るはずだった者が倒れた。その代わりにディートリッヒが駆り出されているんだ。だから私の護衛は他の者が担当していたんだが、その護衛役も他の仕事が入ってしまってね……」
「王子の護衛よりも大切な仕事ですか?」
「いや」
「ならなぜ」
「お茶が美味しくない。話してもつまらない。なのに外に出してもくれない。ないないづくしで疲れたんだ」

 一応、外には二人ほど警護の騎士が立っていた。だから警備面で危ないということはないのだが、それで私を呼びつけたというなら怒ってもいいはずだ。

 ディートリッヒ様と、チェンジを要求された護衛役さんが。

 ……冗談ですよね? と怒りたいところだが、お茶が美味しくないという言葉に引っかかりを感じる。
 通常、というかよほどのことが発生しない限り、王子の護衛は騎士が担当する。騎士とは剣を振るい、時には主を守る盾となる者達である。そんな彼らはあくまで護衛が担当であって、決してお茶を淹れたりするのが役目ではない。それは執事やメイドといった、使用人達の仕事である。

「……まさか、全体的に使用人の手が足りてないんですか?」
「正解。さすがアイヴィーね」
 パチパチと手を叩いて喜ぶのはマリー様だ。ふんわりとしたブロンドの髪に空色のリボン――今日も今日とてその可愛らしさは健在である。……ってそうじゃない!

「なら私、手伝いますよ!」
 辞めたと言ってもたかだか一ヶ月や二ヶ月前のことだ。知っている使用人だって多いし、簡単なことなら私だって手伝うことができる。どうせハイエナ令嬢達は手伝うことはないだろうし、手伝ったとしても邪魔になることの方が多い。ならば私だって十分、戦力となれるはずである。
 行かせてくれと王子とマリー様の顔を見る。けれども二人は揃って首を横に振る。

「ダメだ」
「なぜ?」
「君はもう城のメイドではない。アッシュ家のメイドだ」
「ですが私は今こうしてここにいるじゃないですか!」
「うん、そうだね。ディートリッヒに頼んで君を数日だけ貸してもらった」
『今日』や『一日』ではなく『数日』という言葉に引っかかるが、今はそこに突っかかっている余裕はない。
 二人と距離を詰めて、再び「なら」と主張する。

「わかるだろう、アイヴィー。これは城の問題だ。城の者でない人間の手を借りるわけにはいかないんだよ」

 そういわれてしまえば引き下がる以外の選択肢はない。
 もしここで私が関わったとして、何か起きた場合に真っ先に疑われるのは私だ。もう、内部の人間ではないから。
 そして何かがあった場合、国ひいては任せてしまったシンドラー王子や管理できなかった国王陛下の責任になってしまう。特に今回は国内外からもお客様がやってくる、大規模なパーティなのだから。
 巻き込みたくないというのはシンドラー王子とマリー様の優しさだ。

 そして人手が足りていないというのも本当なのだろう。使用人の中にハイエナ令嬢のような人員がそこそこいるのに対して、騎士の中にも貴族のお坊ちゃんが存在する。やはりというべきか、腰の剣はお飾りで、警護なんてとてもではないが任せられない。おそらくは私と入れ替わりで護衛から外された騎士は警護担当に回されているだろう。なにせ少しの間とはいえ、王子の護衛を任されるような実力者なのだから。
 お茶なんて淹れられなくてもなんの問題もない。

 さぞ大変なのだろう。
 今までと同じように、きっとこれからもしばらくディートリッヒ様は毎日疲れた様子で帰ってくるに違いない。
 なのに私はもう、この場所を手伝うことが出来ないのだ。なんと歯がゆいことだろう。

「話し相手として呼ぶくせに……」
 私に出来るのは、頬をわざとらしく膨らませてシンドラー王子とマリー様のお話し相手となることだけだ。

「それはディートリッヒの許可は降りているから大丈夫だ」
「アイヴィー。私、久しぶりにあなたが淹れたお茶が飲みたいわ」
 それと腕を磨いたお茶淹れスキルを彼らに披露することも、私の大事な役目らしい。

「かしこまりました。少々お待ちください」
 こうして私は一ヶ月ぶりとなる、城のキッチンへ足を向けるのだった。