「アイヴィーは結婚しないのか?」

 ある日何の脈絡もなく、シンドラー王子は私に尋ねた。
 今まで恋人はいないのかだの、休暇を誰かと過ごしたらどうだだの、どれも遠回しだったのに……。

 誰だ、シンドラー王子によけいなことを吹き込んだ奴は!!


 私の昇級を疎んだ侍女に違いない。
 私の昇級によって仕事内容が変わった、もとい上級貴族 (未婚で結婚相手として優良な男性)との接する場を奪われたメイド達からの突き刺すような視線はこの1ヶ月で嫌というほど感じている。それと同時に真面目に働いている同僚達から感じる視線はどれも友好的である。
 だから無視していたというのに、まさかシンドラー王子にいらぬことを吹き込むとは……。

 私を含めた一部の使用人達は、給料をもらっているくせに結婚相手探ししかしようとしないハイエナ達の仕事までこなしていたのだ。同じ給料なのに……という不満を押し殺し、元を正せば彼女達の家が納めたお金も少しはあるのだ、と自分に言い聞かせながら手を動かしていた。

 だがそもそも私みたいな田舎の男爵令嬢が城のメイドになることはほぼない。使用人の9割以上が中央に住む貴族のご令嬢か、技術を買われて雇われた王都に暮らす国民かの二択である。
 だが実例が少ないというだけで働けないというわけではないし、真面目に働いていれば私でも十分戦力にはなれるというものだ。
 それにこの職場は、真面目に働けば働きに応じての昇級と給与アップを約束してくれる超優良な場所である。

 そりゃあ真面目に働くわ! だってお金欲しいもの!
 でもそんなこと、貴族の娘さん達に求めてはいない。イラつきはするけれど……。

 だって欲しいものが違うのだから。

 彼女たちは親からもらったドレスやアクセサリー、そして匠と言っても過言ではないだろう使用人達が仕上げた顔で結婚相手を探しにきているのだ。決して働きに、技術を習得しに来ているわけではない。
 貴族の娘にとっての結婚相手選びは一生で一番重視すべき選択と言っても過言ではない。なにせ自分が今後どのくらい楽して暮らせるかはその相手にかかっているのだ。もちろん夫を支えようとする貴族の令嬢もいるし、そんな方を何人もメイドとして参加した夜会で目にした。
 けれどそんな志の高い方は大抵の場合、由緒正しき公爵家の娘さんで、幼い頃から親に決められた『婚約者』が存在する。少なくとも私が見てきた、その背中にいつまでも尊敬のまなざしを向けたくなるような『貴族の女性』という方はそうだった。

 そして私が日々目にしている貴族の娘さん達は『ハイエナ』に属する。別に悪いことではない。
 ただ、ああなりたいとは思わないだけで。

 だがこの場所で働く女性からしたら私の方がイレギュラーである。
 田舎とはいえ一応は貴族の地位を持ちながら、純粋に仕事をするために、ひいてはお給料をもらうためにこの場所に、リンドラ王城で働いているのだ。

 紹介してくれた、文官として働いている遠縁の叔父さんには申し訳ないけれど、私は純粋にお金が欲しくて話を受けたのだ。

 すべては愛するお姉様の、一生に一度しかない結婚式で着るウェディングドレスを納得のいくものにするために!!


 今から6年ほど前、私達は初めてお母様のウェディングドレスを目にした。
 子爵の生まれだったお母様がこの家に嫁いでくる時にお父様が贈ったものだという。それは純白の生地に銀糸でいくつもの花を刺繍したもので思わず目が奪われてしまうほどに綺麗なものだった。

 そして思ったのだ。
 お母様似のお姉さまが着るドレスもまたこれと同じかそれ以上のものであって欲しい、と。
 お姉さまが最高のウェディングドレスを着てくれるのならばお金に糸目をつけるつもりはなかったが、なにぶん先立つものがなかった。だがないのならどこかから手に入れればいい。

 だが悲しいことに田舎の貴族の娘というのは働き先というものがない。

 お金を出してまで手習いや勉強をならいたいと言う人は大抵上級貴族で、教える相手も地位がある程度高い者でなくてはならない。特殊な技能を持ち合わせていれば別なのだろうが、そんなものは私にはなかった。

 となれば次に浮かぶのは収穫の手伝いや小物作りだが、収穫で欲しいのは男手の方で私なんてあまり役に立たないだろう。それに小物だって領民達が作ってるものみたいな細かいものは作れないのだ。
 幼い頃に亡くなったお母様は手先が器用だった、ってよくお父様が言っていたけどその器用さはすべてお姉様に受け継がれてしまったらしい。

 これで私の頭に浮かんだ数少ない選択肢はすべて消えてしまった。
 その上、幼なじみでお姉様の未来の旦那様でもあるジャックには、そこまでして欲しいものがあるのかい? と心配されてしまった。

 感謝の意を伝えたいだけで心配をかけたいわけではないのだ。
 諦めるしかないのか、と思っていた時にどこから聞いてきたのか、遠縁のリチャード叔父さんから手紙が届いた。

『城で働くメイドを探しているらしい。興味はないか』――と。
 婚約者もいなければ、仲のいい異性もいない私を心配してのことだったのだろう。リチャード叔父様の意図がわかっていながら、私はこの話を利用することにしたのだ。


 すぐに最低限の荷物をもって城に向かった。
 後から聞いた話によると、貴族の娘であるにも関わらず使用人を一人も連れずにやってきた私はたいそう異様に映っていたらしい。でも私からしたらメイドとして働く予定なのに、自分の世話を使用人にやってもらうという考えの方が不思議なんだけどなぁ……。

 どうりでしばらく変に同情されたり、からかわれたりした訳だ、とわかったのはそれから半年ほど経ったころだ。
 私がその理由にたどり着いた頃には私をバカにしていたご令嬢は私に飽きてくれていた。本来の目的である旦那様選びに精を出し始めたといった方が正しいか。まぁどっちでもいい。
 ともかくそれがきっかけで平民上がりのメイドさん達が声をかけてくれるようになったのだ。

 仲良くなったメイドさん達は私がもっとスキルを身につけたいと話せば、手が空いている時に教えてくれた。それはもう懇切丁寧に。

 そのおかげで今はオールワークとまでは言わなくても、大抵のことはこなせるようになった。自称ではなく、『他人に厳しく自分にはもっと厳しく』をモットーとするメイド長に褒めてもらったから間違いない。

 ちなみに最難関はお茶入れである。
 まずその日の気温や湿度を感じて……ってところが難しすぎる。沸かしたお湯の温度を当てるところまではできたんだけど、そこから先は後数年ほどかかりそうだ。
 教えてくれた執事さんは『そう簡単に修得されては私たちの立つ瀬がありません』なんて笑っていたけれど、彼は1ヶ月で修得したというからただ単純に私の覚えが悪いだけだろう。

 だがお茶が満足に淹れられるようになればこれ以上の給与アップも夢じゃない!
 人には向き不向きがあるらしいから時間をかけて覚えるしかないと割り切って、これからも教えを請うことにしよう。


 それには結婚なんてしている暇なんてないのだ。