「憎しみを捨ててもう一度現世に戻ってくればいい。それにはその体を浄化するんだ。」

「ほほほ。そのような戯言(たわごと)で、吾を消せると思うたか!」

「本気で言っている。聞き分けろ妖鬼。その体を浄化するんだ。浄化すれば魂は現世に戻れる。」

「笑止千万!!吾は吾の望むようにする。邪魔立てするものは排除するまでだ!まずはお前の大切にしているその女を吾の者にしよう。」

そう言った途端、口元に歪んだ笑顔を浮かべ眼が吊り上がり真っ赤になった。
そして、私を見つめて扇をゆっくり動かし優雅な動きを見せた。途端、何故だか妖鬼の側へ行きたいという思いに駆られた。柔らかくゆっくりとした扇の動きは何故だか心地よく感じ、颯さんの側から離れたいという思いが込み上げてきて足が勝手に妖鬼の元へと動き始めた。

「ククク。そのままこちらへ来い。そこのあやかしは敵だ。其方の味方は吾じゃ。吾と共に生きるのだ。」

目が虚ろになり何も考えられなくなった。妖鬼の所へ行きたくてふらふらと歩いた。
「明日香!!!」そう叫んで颯さんに肩を鷲掴みにされた。だが、颯さんは驚いた様子で
すぐに手を放した。

私は妖鬼の元へと近付いていく。妖鬼の黒い笑みが深くなった。
一歩また一歩。颯さんは心配そうにしているが何故かそのまま静観していた。

「ほほほ!良い子だ。さあ、こちらへおいで。」
なんて優しくて心地よい声だろう。
ああ、私の居場所なんだ。そう思って安心して歩みを進めた。

私を迎え入れるように妖鬼が手を差し出した。「さあ、おいで。」
私は嬉しくて「はい。」と答えて妖鬼の手を取った。

その時。バチッ!!という静電気のような電流が私から妖鬼に走った。「ぎゃああ!」という叫び声を上げ、妖鬼が私の手を振り払って悶絶し、苦しそうに蹲った。

その瞬間はっ!として私は正気になった。「え!私どうしたの。何が起きたの・・・・」

「心を操られて妖鬼に取り込まれるところだった。それを不動様が守ってくれた。」
と、私の腰に括り付けてある巾着袋を見ていた。「不動明王像が守ってくれたんですか?!」

「これはね、強烈な魔除けの効果があるんだ。そして石が不動様の姿になっている事で更に強力な魔除けの力を持った。目には見えないが明日香の身体に結界が出来ていた。さっき触れて気が付いた。私にも分からなかった位透明で非常に強力な結界だ。本当に助かった。」

「そうだったんですか。」
(お守り下さり有難うございます) 私は腰に手を当てて心から感謝した。
ついでに持たせてくれた父にも。

悶絶していた妖鬼は体制を立て直して起き上がった。「くっ!!吾としたことが不覚を取った。この借りは返す!」
そう言って、私達に向かって先程よりもっと歪に微笑み、次の攻撃を仕掛けてきた。

妖鬼は両手を広げ何か呟いている。すると黒い霧が妖鬼を中心にして波状に広がった。黒い霧はどんどん広がりやがて部屋全部を覆い尽くし、上下左右どこもかしこも黒一色の世界になった。
最初は分からなかったが、よく見るとこの空間は何やらぐにゃぐにゃ畝っているようにも見える。
そして言葉が聞こえた。「辛い!苦しい!嫌だ!憎い!〇ね!」ありとあらゆる負の言葉と感情がどっと流れ込んできた。異常に冷や汗が出て頭が痛い。
その中に「助けて。お願い!此処から解放して。」という切羽詰まった声が聞こえた。その声は妖鬼の声に似ていた。

此処は何?!颯さんは私を守るように妖鬼の前に立った。

「此処は吾と気持ちを一緒にする者達が作った”場所”だ。泉の水のように、此処で存分に悲しみ、憎しみ、恨みを無限に吐き出している。そして吾はこの者たちの思いを汲んで、恨みを晴らしてやっているのだ 。そうすることで楽になり安息を得られる。吾と一緒になって皆の魂は救われ永遠の時を生きられる。」



妖鬼は自分を正当化する為(まこと)しやかに言っているが、結局は自分の力の源にしていると云う事だ。
そこには妖鬼に取り込まれた者たちへの憐情など無い。ただ単に自分の栄養素としているだけ。
何百年の間に、いったいどれだけの人が妖鬼の犠牲になっているのか見当もつかない。

人間としての生を絶たれた後、本物の鬼となり人間の負の感情を自分の養分にしてこの世に留まり続けている。”報復”という名目でこの世に留まりたいだけ。

「それが本当の御為倒(おためごか)しだ。」静かに颯さんが言った。
「本当にそうよね。貴女は人の為と言っているけど結局自分の為じゃない。」私も颯さんに追随して言い放った。

妖鬼の歪んだ笑顔は憎悪の顔になった。
「クク、何とでも言うが良い!吾は自分の道を行くまでだ。誰にも邪魔はさせない!お前たちを吾の一部にしてやろうと思ったがどうやら無駄なようだ。お前達を食べる事にした。」

「どうあっても抵抗するのだな?今ならば生まれ変わり、やり直すことが出来るんだぞ?お前の魂を消滅させたくは無い」

「御託など聞きたくないわ!!お前らこそ消滅させてくれる!」

「そうか。ならば仕方がない。全て浄化するまでだ。」

妖鬼は扇を動かし始めた。ひらひらひらひら。扇が舞い踊った。
何処からともなく一迅の風が吹き、ゴォッ!という音と共に姿を現したものがいた。

立っていたのは妖鬼から姿を変えた、般若の顔をした鬼女だった。
鬼女となった妖鬼は、腰の太刀を抜いていた。