4.夫婦として

結婚した当初は17歳で結婚したという事に抵抗があった。正直何が悲しくてこんな若いうちに結婚しないといけないの?などと思っていた。颯さんの熱意に負けて結婚したけど、本当に良かったのかと思っていた。
相手はあやかしだから、どうしても気持ちが追い付いていなかった。

でも一緒に暮らすようになって彼を知っていくと、そんな気持ちも少しづつ変わった。
彼の優しさと、大人の余裕?と、どことなく陰のある姿に触れていくうち彼と一緒にいたい。支えたい。そう思うようになった。

父も彼を大切にしている。不動明王の魂を宿していると云う事もあるが、何より彼の優しい心根が気に入っている。

颯さんと父は寺に来る相談者の対応をしているが、相手に分からないように彼は時々父を通して陰でアドバイスしている。

そのお陰なのか、前は一日5人くらいだった相談者が3倍近く増え、最近は特に忙しくなった。

母も同じく彼を大切に思っている。彼の美しい容姿に惹かれているという疑惑もあるが。
彼が家に住むようになってから化粧が前より濃くなったし、美味しいものを沢山食べさせようと品数が多くなった。何より彼を見つめているときは乙女になっている。まあ、無理もない。
だけど、可愛いわが子の結婚相手。それ以上のことは無い。


******


彼は時々夜中に出かけていたようだったが、最初は気付かなかった。

ある晩真夏の夜の夢を見ていた私は暑さで喉が渇いて目を覚ました。何気なく時計を見たら2時だった。まだ起きるには早い。

ふと隣に目を向けると眠っていたはずの彼がいない。
何処に行ったんだろう?と部屋から出てみても姿は見えない。
取り敢えず霊水を飲もうと外に出た。月明かりが青白くあたりを照らしている。

竹の筒から出ている水を手に受けて飲む。冷たくて甘い甘露な水が喉を潤す。最高に美味しい。
ゴクゴクと思いっきり飲んで堪能した私は手の水をパッパッと振り払いながらご機嫌で家に入ろうと後ろに振り返った。すると、何かが目の前に立っていた。

えっ!!
心臓が飛び跳ねた。何?お化け?家はお寺でお墓が近くにあるし・・・。と狼狽えた。

しかし落ち着いてよく見たら、大きな白いオオカミだった。
耳がピンと立ち、目はきりっとして、頭から尻尾まで隙がない堂々とした美しい立ち姿。
月明かりを背にしたその姿は神々しいほどだった。

私は暫く見惚れてしまった。しばらく見つめていると「私だよ。」と、聞き慣れた声がした。

「颯さん?!」
すると、オオカミの姿からゆらっとした気が立つと人間の姿へと変わった。
オオカミのあやかしというのは分かっていたが、実際に目の前で姿を見ると畏怖の念を覚えた。

「びっくりしました。どこに行っていたんですか?!」と問う。
「私にはナータという使命があるからね。」

それって、魔物を浄化するっていうことだったよね。

「毎晩出かけてたんですか?」
「いや、邪悪な気配がしたときだけね。」

「ん?」

「魔物も静かな時と騒ぐときがあるんだよ。だから、騒ぐ時に行く。」そうだったのね。
取り敢えず労いの言葉をかける。

「お疲れ様でした。水、飲みますか?コップ持ってきますね。」と、家へ行こうとしたら
「大丈夫だよ。このままで。ああ、この水は旨い。」と水が流れ出ている竹の先から直接飲む。
絶対その方が美味しい。

「私は颯さんの役に立ちたいと思っても何も出来ません。まだまだ力不足で。」

「側に居てくれるだけで良いんだよ。それに夫婦となってまだ3か月だ。焦らなくてもいい。時間はたっぷりあるから。」
「はい・・・。」

「部屋に戻ろう。眠らないと辛いよ。」と言って一緒に部屋に向かった。
布団に入って、彼は暫く私を見つめてから眠った。私は目が冴えてしばらく眠れなかった。
それからいつの間に眠っていたのか気づけば日が昇っていた。今日は幸い休日。寝不足でも問題なかった。

*****

私は裏山でいろいろと考えた。寄り添うだけじゃなくて、もっと彼の役に立ちたい。苦しいことや辛いことも共有したい。

笛吹きとしてはそこそこ自信があるが、精霊の力を借りるものとしてはまだ未熟。
今日は何か掴めるかな。と考えながら笛を握った。
今日のウォーミングアップは”SPIN"にしよう。”紡ぐ”。心を込めて吹く。

ああ、きっと私は彼とこういう存在になりたいのだ。と思った。

その時大地からゆらゆらと”気”が立ちのぼり、何かを形作った。よく見ると、それは千早を着た美しい女性だった。

「私は大地の精霊。貴女をいつも見ています。今の気持ち大切にしてください。」といった。

今、私は精霊に願ったりしなかったよね。ただ心を込めて吹いただけ。なのに精霊が現れた。
一体、どうして。

「貴女は今、己の愛する人のことを想い自分のなりたい姿を思った。それは願ったという事でもあります。」

「無意識に貴女は私を呼んだのです。貴女が心を込めて願えば、旋律が調和してその時必要な精霊が力を貸します。」

「相手を想う気持ちが精霊を呼ぶのですか?」
「そうです。人を愛し思う気持ち。これが一番大事です。」
その瞬間、胸の閊え(つかえ)が取れ心が満たされた。
私は颯さんに恋しているんだ。

「ありがとうございます。やっと分かりました。」そう言うと精霊は微笑みを残しふっと消えた。

急いで家に帰ろう。早く颯さんに気持ちを伝えたい。そう思って家に向かって急いで歩いていく。
だが、いつの間にか日が沈み、逢魔が時(おうまがどき)になっていた家に向かういつもの道を歩いていた。もう少しで家に着く。気持ちが逸り(はやり)、早く早くと心が急ぐ。

だが、突如目の前に大きな黒い何かが行く手を遮った。何だろう…。

「!!!!」
声が出ないほどの恐怖が襲った。

それは、黒く巨大な玉だった。とげとげした針みたいなものが無数に出ている。針のようなものの間から怪しく光る赤い目のようなものも見える。

声にならない声で「何、これ!!」と叫び、パニックになった。
心臓が口から出そうだ。冷や汗もだらだら出て手も震えてる。
意識が遠のきそうになったが何とか耐えながら考える。

今来た道を引き返そうかと考える。いや、絶対駄目。もっと危険だ。どうしよう・・。

なら、適当な棒でも探して戦う?いやいや、無理無理。今手に持ってるのは笛だし。
そんなこと考えているうちに、じりじりと黒い玉は迫ってくる。

このまま得体のしれないものに襲われて死ぬのか?!
冗談じゃない。私はまだ死にたくない!
これから愛の告白しようっていうのに死んでたまるか!

その時。

おおーん!!と遠吠えが聞こえた。直後、私と黒い玉の間に白いオオカミが立っていた。

昨夜見た姿。「颯さん!来てくれたんですね!」安堵が広がる。
颯さんは私を庇いながら、歯を剝き出しにして黒い玉を威嚇する。
「グルルルル。」

怪しい赤い光がさらに強く光る。とげとげした針が右に左にバラバラに動いている。
睨み合いがしばらく続いた。すると、突然黒い玉は宙に浮き、彼めがけて突っ込んできた。

彼はひらりと(かわ)し、勢い余った黒い玉は地面に叩きつけられた。霧散したように見えたそれはまた黒い玉に戻ったと思ったら巨大なスズメ蜂へと姿を変えた。無数のスズメ蜂が集まり黒い玉になっていたのだ。通りで針が沢山出ていたわけだ。

あんなのに迫られても嬉しくない!などと呑気に考える。人間、恐怖が許容範囲以上になると返って冷静になる。

蜂はブンブンと大きな音を立ててホバリングしたり激しく移動したりしている。攻撃の機会を窺っているのだろう。

颯さんは激しくうなり声をあげながら素早く私から離れ木立へと入る。蜂の注意を私から逸らせたのだろうと理解した。

蜂もすごい速さで移動しながら颯さんの隙を狙う。彼も蜂から目を離すことなく間合を取っている。
しばしの膠着状態が続く。じりじりと蜂が間合を詰めてくる。彼は低い姿勢を取り、いつでも動けるよう警戒する。

蜂は毒針を向けながら攻撃態勢に入った。まさに一触即発。
あんな大きい蜂に刺されたらいくら颯さんでも無事では済まない。

どうしよう…。何か出来ることは無いか。と考える
私に出来ることは、精霊の笛を使う事だけ。

先ほど精霊になんて言われたっけ?!
目の前の光景が衝撃過ぎて思い出せない。

しっかりしろ!私!!と叱咤し、思い出す。

”相手を愛し、想う気持ちが大切”だった。

(颯さんが無事でありますように。貴方が好きです。)
心の中で告白した。

深呼吸して心を落ち着かせてから歌口に唇を寄せる。
笛に唇をつけたまさにその時、蜂は一気に攻撃を仕掛けた。

同時に”青狼の笛”を奏でる。神秘的で、情感豊か。心が洗われる。
直後、風がざわざわ吹き始め段々大きな風になる。大きな風は渦を巻いた。
まさに蜂が颯さんの身体に触れる寸前、風が蜂を吹き飛ばす。
そして、木の枝が鞭のようにしなやかに伸びて吹き飛ばされた蜂を捕まえてぐるぐる巻きにした。

人の姿に戻った颯さんの背中からゆらゆらと炎が燃え立つ。不動根本印(ふどうこんぽんいん)という印を結び、蜂に向かって炎を放つ。
そして炎は蜂を捉えて焼き尽くし消えた。
それは不動明王の迦楼羅(かるら)の炎そのものだった。

とてつもなく長い時間に感じたがまさに一瞬の事だった。
静寂が戻り私は呆然として座り込んだまま腰が抜けて動けなかった。
人間の姿に戻った颯さんが私を抱き上げ、抱きしめられた。

「ありがとう、助かった。無事でよかった。」ギュッと強く抱きしめられそう言ってくれた。
ほっとした途端涙が出た。

「颯さんこそ、無事でよかった・・・。」

「怖かったよね。本当に有難う。」

「貴方が好きです。愛しています。」そう伝えた。

「ああ、私もだ。何があっても離さない。ずっと一緒にいよう。」

「はい」

それは夫婦としての絆が生まれた瞬間だった。

家に帰り、リビングで少し落ち着いてから裏山で起こった事感じたことを全部話した。
「そうか。嬉しいよ」と少し照れたように笑った。

「一生側にいます。」
「ありがとう。」

「それにしても何故危険を察知できたんですか。」
「嫌な気配がしたんだ。それが山の方向へ行くのを感じた。父上も感じていた。」
「そうだったんですね。」

「帰りがいつもより遅いから心配していたんだ。迎えに行こうと思っていた矢先、嫌な気配がしたので慌てて迎えに行った。」

「私も謝るよ。」とリビングに顔を出した父が言った。
「今日はかなり忙しくてね。彼をついつい頼りにしてしまった。怖かったね。」

「颯さんが来てくれたから大丈夫です。」と父に言った。
「助けに来てくれて有難うございました。」
「いや、今日は明日香に助けられた。」

「いいえ。颯さんが助けに来てくれたから安心できたし力が出たんです。」
「それとも火事場の馬鹿力ってやつですかね。」と付け足した。

「いや、きっかけはどうであれ明日香はちゃんと自分で考え精霊の力を使った。これは確かなことだよ。もう立派に精霊の力が使えるね。」
「はい。ありがとうございます。」
これからは彼の側にずっといる。決して離れない。そう思った。