相変わらず純粋無垢な笑顔で何でも話して来るし、平然と明日の予定も確保される。
 悪い気はしない。
 帰っても居場所がない私は九重メイキを居場所として利用していた。
「ねぇ、今日は雨が降りそうだからショッピングセンターのほうに行かない?」
「それもそうだな。バスケは晴れの日にまたやろう」
 雲に覆われた灰色の空を見て、メイキは残念そうな顔をする。
 きっとバスケをしたいのだろう。
 でも、部活でやれるほどの体力がないから、趣味でやる程度しかできないというもどかしさ。
 彼の話が本当ならば遺伝子のせいらしい。
 その後、九重メイキについて私なりに本人から聞き出してみた。
 高校には行ってからは部活は無所属で、中学では県の最優秀選手として活躍した元バスケ部員。
 私の隣学区の第二中学校出身。その年県の優勝校となった。
 クラスでは広く浅くの付き合いで本当の友達と呼べるほどの人はいないらしいということ。
 勉強は比較的できるらしいということ。
 本当は偏差値の高い高校にもいけたけれど、バスケ部が強いからこの高校を受験したということ。
 この体質は一度発症すると治らないということ。
 痛覚に敏感だから、他人の痛みを感じないように生活をすることに苦労しているということ。
 父方の遺伝子がキュウメイキの血を発症させているらしいこと。
 一見普通の生活ができているように見えるが、普通の人よりもずっと体力の限界が早いということ。
 疲れやすく、激しい長時間の運動はできないということ。
 普通に生活するためには、辛いと感じている人を楽しませて寿命を吸い取らなければいけないということ。
 本当はバスケがしたいということ。
「メイキ君も私も境遇は違うけれど、悩みを抱えている同士っていうことだよね。だから、私の命を使ってよ」
 なんだか吹っ切れた。この人にならば私の命を捧げてもいいような気がした。
「契約はしたけれど、そんなに簡単に俺に命を捧げようって思っているの?」
 メイキは驚いた顔をする。
「命を捧げるわけでもないけれど、私のエネルギーをどんどん使ってもらってもいいかなって。契約しなければ、こうして話すこともなかっただろうし、あなたのためになるのならばありだと思ったんだ。実は私、高校辞めてもいいかなって思ってたんだ。親に話してみようかと思ってた」
「なんで? 辞めてどうするの?」
「親から自立したいと思ったの。親が元気がない姿を見ていたくないし、定時制に入り直して働いてもいいかなって」
「バスケできる体なのに退学しちゃうのか? まだ退部していないんでしょ。もったいないよ」
「でも、この高校でスタメンになれそうもないし、部活内に友達もまだいないし」
「スタメンになれないとダメなの? 友達なんて自然と練習していればできると思うし、友達を作らなければいけないという決まりもないよ」
 そう言われるとスタメンになれなければいけないとか、部活に所属する意味がないなんて思っているのは私の思い込みだ。
 バスケが好きならば、スタメンじゃなくてもベンチ入りできなくても続ければいい。
 友達だっていなくたっていいはずなのに。私の中は「しなければいけない」ことで頭がいっぱいだったのだと気づかされた。
 自宅に帰ると鬱々とした空気が部屋全体を覆っている。
 そんな空気を察知するのが誰よりも得意になっていることに気づく。
 多分、いつの間にか親の顔色を伺うのが日課になっていた。
 それは姉がいた頃からずっとしていた行為だった。
 人の心の空気を読むこと。
 家族にも友達にも同じよう顔色を伺い空気を読み取る。
 人一番臆病で敏感な私。
 それに比べて、メイキは正反対のようにぐいぐい入り込んでくる。
 彼の場合は特別な能力で心の痛みがわかるらしいから、ある意味心を読むプロなのかもしれないけれど。
 初対面なのに、こんなに親し気に近い距離で私の中に入り込んでくる感覚。
 こんな人、初めてだった。
 今日の母親も無言。私を空気のように扱う。機嫌の悪さが最大な気がする。
 今日の楽しかった気持ちが一気に冷める。
 最近の夕食はレトルト食品を温めて食べる日々だ。
 あたかみのない温めるだけのごはん。今日はカレーにしようかと手に取る。
 レトルト食品は親子丼、牛丼、中華あんかけなどがある。
 それらを毎日交互に食べる。
 ただ、食べ物を流し込む日々。
 今日はかろうじてカレーの味はするかな、という程度の認識であっという間に食べ終わる。
 リビングに長居はしたくない。
 食事って楽しいものだったという記憶がある。
 おいしいとか楽しいとかいう感情は、私には無縁になっていた。
 母親は、きっと作る気力がないだけだろう。
 朝は、置いてある食パンと牛乳。
 昼はコンビニ弁当。
 お金は定期的に机に置いてくれている。
 一応、私のことは頭にあるのだろうか。
 最近、めっきり親と一緒に食べることもなくなった。
 母親が無気力で家事の負担を減らすため、洗濯も自分でやるようになった。
 迷惑をかけたくない。今日も顔色が悪い。機嫌が悪い。
 部屋に戻ると早速カッターを手にする。
 太ももに刃を当てようとした瞬間、ピコンとスマホが鳴った。
『今、君の家の外にいる』
 アイコンを見るとメイキだった。
 先程、帰りに送ると言ってくれたので私の自宅を知っていたのだと思うけれど、この瞬間にスマホを鳴らすなんて、タイミングが良すぎだ。さすがキュウメイキ。心の痛みがわかるだけはある。
 窓の外を見る。すると、一回自宅に帰ったのか私服姿のメイキがいた。
 制服のままでいたら汗だくで風邪をひきそうな勢いだったし、バスケをするつもりだったのならば、着替えを持ち歩いていた可能性もある。
 そのまま外に出る。にこやかなメイキが立っていた。
「どうしたの?」
「すごく痛いっていう気持ちが俺に伝わってきたから、ここまで来た。これ以上傷をつくってほしくないし。俺が君の痛みをわかちあえれば、半分くらい楽になるだろ?」
「キュウメイキって大変じゃない?」
「ちゃんと対価はもらってるから。それに、君が楽しい気持ちになれないとエネルギーをもらえないし。やりがいもあるんだよ。痛みを少しでも半減させたときは仕事として成功しているってことだから」
「カッターで傷つけようとしてたんだ。スマホが鳴らなかったら、きっと私は傷がひとつ増えていた」
「間に合ってよかった。辛くなったら俺に電話してよ。痛みを分かち合える存在でいたいんだ」
「でも、知り合ったばかりのメイキ君にそんなこと頼れないよ。迷惑だよね」
「空気を読みすぎて、気を遣いすぎだって。俺は寿璃(じゅり)の役に立てたら幸いだ」
 すごく優しい瞳で笑う。この人は心の底から本音で言ってくれているんだな。
 自分のためにそこまで言ってくれる人がいることがこんなに幸せだなんて思わなかった。
 でも、聞きなれない名前呼びに心がドキリとする。
「いきなり、下の名前呼び?」
「あっ、ごめん。名字呼びのほうがよかった?」
「私もメイキ君って呼んでるし、下の名前でいいよ」
 街灯の灯と月明かりに照らされたメイキが提案した。
「少し、散歩しようか?」
 メイキが提案する。
「そうだね。こんなに夜空って星が輝いていたのかぁ」
 思わず空を見上げる。
「お母さんは多分、お姉さんの死が受け入れられないだけで、余裕がないんだと思うよ。別に寿璃のことが嫌いなんじゃないだと思う。お母さんからはそういう種類の痛みが伝わってきた」
「お母さんの痛みもわかるの?」
「この家の前に立っていたらビシビシ伝わってきた。心がものすごく破損している感じだった」
「破損という表現がたしかにしっくりするかも。心が壊れて、生活に影響がだいぶでているの」
「寿璃の心にもだいぶ傷やほころびができている。だから、俺を頼ってよ」
 またにこりと笑う。
「お母さんと一度話してみなよ。きっと誤解してるんだと思う。バスケ部にもさ、戻ってみて考えるのもありだと思うよ。それが、辛さから逃げられる手段になるかもしれない。このまま息をひそめて高校生活を送るよりも、スタメンじゃなくても好きなことをやったほうがいいと思わない?」
「メイキ君は夜のほうが活動できるとかあるの? 吸血鬼はまさに夜に活動するよね」
「吸血鬼はものの例えだよ。俺は、吸血鬼とは別物の基本人間だから」
「そっかー。なんかすごい能力があるから魔法使いみたいな存在に思えてたよ」
「痛みがわかることと、エネルギーを吸い取るってことくらいだよ」
「でも、命を奪うなら死神の類?」
「それも違うかな。そんなに危険な存在じゃないから」
 少し、困ったような笑顔を向ける。
 田舎町はそんなに人通りもなく、車もそんなに通らない。
 静かな住宅街だ。
「メイキ君は自分の体質を辛いと思わないの?」
 顔が曇る。ストレートに聞きすぎたかな?
「辛いよ。遺伝だから、逆らえないと納得させている。だから、辛いのは寿璃だけじゃないってこと」
「じゃあ、メイキ君も辛い時はメッセージを送ってよ」
「でも、それじゃ、キュウメイキとしては失格かも」
「いいじゃん。もう友達なんだし。あなたはキュウメイキ以前に同級生で友達でしょ」
「友達?」
 意外そうな顔をするメイキ。
 今までぐいぐい来るなぁと思っていたけれど、友達っていう認識はなかったのだろうかとこちらが驚く。 
 契約しているだけと思っていただけなのだろうか。
 それは少しばかりさびしい。
 少し前までちょっと変な人だと思っていたのに、感情が真逆に変化していることに気づく。
 この人に悪意がなく、善意しか垣間見れなかったというのが印象を変えたのかもしれない。
 見た目も優しいという言葉をそのまま表したような顔立ち。
 たたずまいも振る舞いもいつも穏やかだ。
 現にこうして、辛い時に目の前に現れてくれた。
「メイキ君にならば、私の命をあげてもいいよ」
「なんだよそれ。自分の命は大切にしないとさ」
 真顔で言う。一瞬固まる。
「ってどの口が言ってるかって思うよな」
 苦笑いをしながら自分の頭をポリポリ掻く。
「辛さをわかちあってくれる人がいるだけで私は嬉しいよ。心強いよ。さっきのアドバイスも勇気がいるけれど、お母さんとお父さんと話し合ってみたいと思う。本音も聞きたいし。あと、バスケ部に戻らないで卒業したら後悔するかもって思った。久しぶりにボールを触って感じたんだ。メイキ君には才能があるのに、やりたくてもできない。そういう人もいるっていうことも後押ししたよ」
「一度きりの人生だから、納得した一生を送ってほしいんだ」
「キュウメイキのくせによくそんなことを言えるよね」
「でも、寿璃からは少し前まで命の灯が消えそうだったのを感じてたから、心配してた」
 本当に心配そうな顔でこちらを見るメイキ。優しい人なのだろう。
 この人、顔立ちが整っているな。そして、優し気な表情をしている。
 すっとした鼻すじ。長いまつげ。色白なきれいな肌。シャープな顎。大きな澄んだ瞳。
 男子や色恋沙汰に興味がない私ですら感じる好感度の高さ。
 あんなに才能があっても、運動ができない体だなんて。
「もしかして、メイキ君自身も、自分の命を投げ出したくなったことはあるの?」
「うーん、どうかな?」
 案外考えながらの疑問形な返事が返ってきた。
「もしかしたら、無意識にはそんな気持ちがあったのかもしれない。でも、自分の能力でしかできないことがあるって思ったから。活動を始めたんだ。今は契約主の寿璃のことが一番大事な存在だよ」
 思わせぶりなセリフ。つい顔が赤くなり、視線を逸らす。
 そんなつもりで言ったわけじゃないとは思っていたのだけれど。
「ご、ごめん。そ、そんな深い意味じゃないからね」
 思った以上にメイキは焦った様子を見せる。
 彼が動揺するのは珍しい。自分で言った言葉に恥ずかしくなったのか、彼の方も視線を逸らした。
「でも、大事っていうのは、本当だよ。今の生活の中で、契約相手の寿璃の痛みを一番感じているのは俺だし、分かち合えるのも俺だから。それに、初めての契約相手だしさ。契約すると基本、それ以外の人の痛みはあまり感じられなくなるんだ。さっき、お母さんの痛みは寿璃の痛みに近いから感じ取れたんだと思う」
 なんとなく町内を一周しながら、会話をする。他愛のない会話で心が温かくなる。
「今日、お母さんとお父さんに話しかけてみる」
「時間はかかっても親子だからね。同じ悲しみを抱えた同士だからね」
「ありがとう。メイキ君に出会えてよかった。最初は変な人だって思ったけど、優しい人だって良く分かった」
「変な人? 嘘? そんな風に思った?」
 少し焦った顔をする。やっぱり少し天然が入っているのかもしれない。
 最初から距離感も近かったし。
 裏表がなさそう、こんな人は滅多にいない。
「でも、今は得した気分だよ」
「じゃあさ。明日も放課後空けておいて」
「了解」
 にこりと心からの笑顔が溢れることに気づいた。
 私はこの人の人柄にとてもとても惹かれているのだと。
 明日も一緒に過ごせることが嬉しいのだと。

 自宅に帰ると無言でそこに存在している両親に声をかけた。
「私、お姉ちゃんが亡くなってとても辛い。お姉ちゃんほどのバスケの実力も学力もない。ケガをしていまは実質休部状態だけれど、またバスケをやろうかと思ってる。でも、二人が離婚して私を育てるのが大変ならば、定時制高校に通いながら仕事をして自立したいと思ってる。金銭面で迷惑をかけたくないし、今の高校は辞めてもいい」
 思わぬ言葉を聞いたという顔を父母二人が同時にした。
 きっとこんなことを考えていたなんて想像もしていなかったのかもしれない。
「バスケは嫌になったから辞めたのかと思っていたんだ。やりたいなら、今の高校で続けなさい」
 父は言葉を発した。
「でも。二人にとって私は邪魔かもしれない。だから、部活より生活面で独立したいとも思ってた。お姉ちゃんのことは忘れられない出来事だし、立ち直れないことだから」
 母が久々に言葉を発した。
「別に、邪魔だとは思っていないよ。ただ、心に余裕がなかったの。料理も作れなかったし、家事もほとんどできてなかった。申し訳ないっていう気持ちしかない。そんな風に思っていたなんて……」
「今の学校が嫌なのか?」
 父が聞いてくる。
「バスケ部にはほとんど行かないでケガをしたから今から入り込めるかもわからない」
「とりあえず、活動してみて考えたらいい」
 父が父親らしいセリフを発することに意外な気持ちになる。
「バスケ部に顔出してみる」
「そうしなさい」
 母が言う。
「二人は別居するの?」
 すると、意外な反応が返ってきた。
「別居はしないわ。お姉ちゃんのことで最近は唯一の分かち合える関係なのが夫婦だって気づいたの。あの子の親は二人しかいないでしょ」
 母が言う。確かにその通りだ。
「お母さんとこの家で過ごすことをお姉ちゃんは望んでいるだろうと思ったんだ。幼稚園のころから家族で仲良く過ごすことが一番なんていう手紙を書くような子供だったから」
 父も同意する。
 姉のことで、亀裂が入ったわけではない。心を整理していただけで、もしかしたら、姉が二人を繋いだのかもしれない。
『両親と話ができたよ。明日、バスケ部に顔出してみようと思う』
 メッセージを送信しておく。
 明日どこかに行こうという話はキャンセルしないと。
 でも、別な日に行けたらいいな。
 明日部活に行かないとダメだと思った。こういうことは、勢いが大事だと思った。
 ピコンと音が鳴る。
『バスケをする寿璃の姿を見てみたい。体育館に見に行ってもいい?』
 意外な返事が返ってきた。
『もちろん』
『帰りまで待ってるよ』
 このメッセージのやり取りは、甘い香りがする。
 なんだか付き合っているみたい。
 恋愛に興味もなかったのにドキッとすることが最近多々ある。
 でも、彼の目的は私の喜びを吸い取ること。
 そのためだろうと考えなおす。
 だって、あんなカッコいい人が私に恋愛感情を抱くはずはない。
 契約をしたから私のことを気にかけているのだろう。
 つまり、私がこの高校で一番痛みを感じていたからだ。
 私はいつのまにか学校にいてもメイキの姿を探すようになった。
 たまに移動教室の彼の姿などを廊下で見かけると、それだけで嬉しいということに気づく。
 たまたま女子と話している姿を見るだけで胸がしめつけられることに気づいた。
 多分、同じクラスの女子だろう。用事があって話をしているだけ。
 彼の笑顔は誰にでも平等で、私にだけ特別優しいわけではないということに気づく。
 そんな些細なことが胸につかえる。
 まるで小骨がささったかのように、ずきんと痛む。
 はじめての経験。
 こういう類の胸の痛みも伝わってしまうのだろうか?
 こちらをメイキが見る。
 もしかして、胸の痛みが伝導した?
 視線が重なる。
 そのままそ知らぬふりをして通り過ぎる。
 放課後、部活のため久々に体育館に向かう。緊張が走る。
 ドキドキする。部員たちの反応はどうだろうか? 受け入れてくれるだろうか?
 メイキがやってきた。
「一緒に行こうか」
 気を遣ってくれているらしい。でも、一緒にいてくれるのはありがたい。
「緊張するなぁ」
「俺は見てるから。頑張れ」
 小さなガッツポーズを作る。
 一緒に渡り廊下を歩く。
 なんて思われるだろうか。他人の視線を気にしてしまう。
「大丈夫」
 にこにこと笑いながらメイキは手を振る。
 手が震える。体が緊張で固まる。久しぶりの体育館の香りが懐かしい。
 顧問の先生にまずは挨拶。
「ケガが治ったので、もう一度部活に復帰したいと思います。しばらくブランクがあるので、みんなに練習はついていけないかもしれません。でも、やっぱりバスケが好きだから、部活は続けたいと思います」
 顧問の先生は練習の時は厳しいけれど、人間的にとてもしっかりした先生で信頼度は高い。
 姉のこともあって、私のことは気にかけてくれていた。
 ケガが治っても部活に顔を出さない私に強制しようとしなかったのは姉のこともあったからかもしれない。
「まずは久しぶりだから、柔軟体操をして基礎トレからはじめてみようか」
 ロマンスグレーの紳士的な顧問。あぁ、よかった。拒絶されていない。
 心から安堵する。
 その後、部長にも挨拶に行く。
 姉の後に部長になった元副部長。
 彼女も姉のことがあって落ち込んでいるだろう妹の私に対して優しい言葉をかけてくれた。
「大変だったね。ケガが治ってよかった」
 彼女の瞳は想像以上に優しかった。
 同級生はほとんど知り合いはいないけれど、みんな特に何も言わず当たり前のように受け入れてくれた。
 居場所がないなんていうのは勝手な思い込みだったようだ。
 むしろ姉のことがあって、みんな気を遣っていたような感じだった。
 久々に走り込みをして、体力が落ちていることを実感する。
 メイキが見ていることなんてすっかり忘れて打ち込んでいた。
 体育着から制服に着替える。
 汗ふきシートからは柑橘系の香りがした。
 持参したタオルには自宅でいつも使っている柔軟剤の香りがする。
 母が洗剤にはこだわりがあっていつもいい香りのものを使っていたと気づく。
 柔らかいタオルに顔をうずめる。
 ふとメイキが待っていると言っていたことを思い出す。
 急いで着替えると「お先に失礼します」と言って体育館の外に出る。
 同級生も練習中は何気に話しかけてくれた。
 壁を作っていたのは私だったのかもしれない。
「すごい上手だったよ」
 メイキが微笑む。
「あなたに言われても嫌味に聞こえるけどね」
 中学最優秀選手のメイキ。勝てるわけがない。
「今、楽しそうだから吸わせて」
 手を握ると光が発光する。
 あぁ、今私の寿命は吸い取られたのかぁ、なんて呑気に考える。
「もしかして、契約の終了って命が尽きるとき?」
「それは、自分で決めていいよ。今契約を破棄してもらってもいいし。寿璃が俺を必要じゃないと思った時に俺から離れていいからさ」
「今まで与えた寿命ってどれくらいなんだろう? 私はあとどれくらい生きられるの?」
「もう、自分を傷をつけないなら話してもいいけれど、契約を終了したら痛みを分かち合えなくなるから」
「もう傷はつけないよ。バスケ部に戻って、親とも和解した。でも、唐突に自分の寿命がどのくらい残っているのか不安になったの」
「それは、もっと生きたいと思ったからだろ」
「そうだよ」
 今ならはっきり言える。
 私は生きたいと。
「契約を終了したら、私の目の前から消えたりしない?」
「しないよ」
「メイキ君と会えなくなったりしない?」
「嫌じゃなければ、会いに行くけど」
 にこりとされた。
「あのさ、昼間廊下ですれ違った時に、ものすごく心の痛みを感じたんだけれど、あれって俺が女子と話をしてたからだったりして?」
 冗談半分に聞かれる。
 こちらが赤面する。メイキのほうも気恥ずかしさが隠しきれていない。
「あ……あの、自分でもわからないけれど、メイキ君が誰か女子と話しているのかなって思ったら、胸がズキンとしたような気がしたの」
「昼間しゃべっていたのは、日直のことで話していただけだし。寿璃って結構ヤキモチ妬きだったりして」
「……それは、よくわからないけれど……」
 何も言えずにただ頬を染めてうつむく。私は恋愛がとても苦手で不器用な人間だ。
「それって俺のことを結構好きだと思ってくれてたり?」
「わりと……好きかな」
「わりと好きって、とても好きの間違い?」
 こういうところが、ぐいぐい私の領域に入り込んでくるのがメイキらしい。
 真剣なまなざしで私を見つめる。
「……うん。契約を解除しても、この先辛いことがあったら痛みを分かち合ってほしいかな」
「俺も、痛みを分かち合えたらいいなって思う。俺だって心が痛むときがあるし、その時は、寿璃と分かち合いたい」
 一緒に帰りながら、彼は通り道にあった公園のベンチに座るようにうながした。
 意を決したような顔をしている。
「これを言おうかどうか迷っていた。でも、分かち合う相手には本当のことを話さないと」
「本当のこと?」
「俺の本当の正体は救命希。キュウメイは救急救命の救命という字で、キは希望の希という字をあてる。命を救うためにその人の人生に干渉して少しでもいい方向にもっていく仕事だ。でも、こんなに契約主と親しくなったのは想定外というか、自分でも驚きだ」
「人間じゃないの?」
「以前にも言った通り、人間だけれども、普通の人とは違う特別な能力を持った人間というのがしっくりくるな。遺伝子のせいなんだよ。発症したら、キュウメイキ活動をせざるおえない。でも、寿命を吸い取らないと俺が死ぬというのは嘘。命をいらないという人にまずは契約させるためにああ言っただけだよ」
「はげしい運動ができない体っていうのは?」
「あれは本当。だから、楽しい気持ちになった時にその人からエネルギーを分けてもらうというのは定期的にやらないと体がしんどい。吸い取った相手の体は無害だよ。契約していなくても、エネルギーをもらうこともできるんだ」
「じゃあ、私を楽しませてよ。毎日私のエネルギーを毎日あげる。メイキ君の分も部活を頑張るから。「しなければならない」とか壁を作っていたのは私だった。両親も部員も顧問もみんな受け入れてくれていた。拒絶していたのは私だと思う」
 にこりと笑顔が交差する。
 どんな境遇でもいつも笑顔でいるメイキを支えたいと心から思う。
 素直でいつも直球で優しい人。
 好きなスポーツができなくなった特別な力を持つメイキと姉を亡くした悲しみを背負いながら前を向いて生きる寿璃。
 でも、不幸で痛くならなかったら、絶対にこんなに仲良くなることはなかっただろうと思う。
 メイキに能力が発症していなかったら、話をすることもなかっただろうと思う。
 結果的に不幸が生んだ幸せはありだと思うんだ。その先に幸せが待っている可能性は充分あるのだから。