公園から歩いて15分ほど。ついたのは遊園地だった。
僕らの校区を含め近隣の中高生はほぼ全員が来たことあるだろう。けれど、長期休みには逆にがらんとしている。つまりお山の大将だ。
「こんなところに何の用が?」
「もちろん遊びに来たに決まってるでしょ」
「いやだって。ほら時間」
門の外にいてもその大きさが窺える観覧車の車軸部分、クリスマスのような装飾が年中施されたデジタル時計を指さした。
もう1時間もすれば閉園時間だ。
「だから来たんだよ。ほら行くよ」
彼女に振り回されるまま入った夜の遊園地は確かに楽しかった。
これまで何回と乗ってきたアトラクションも夜というだけで知らない世界に迷い込んだみたいだった。キャラになく興奮していた僕に彼女はしたり顔を浮かべてきたりした。
けれど遊園地の1時間はあっという間に過ぎていき、園内にはしっとりとした三拍子の『別れのワルツ』が流れていた。
最後まで遊園地に残っていた物好きな人たちも名残惜しいように、あるいは疲れ果てたようにとぼとぼと帰っていく。
その流れに乗って出口に向かいかけた僕の袖を彼女が引っ張った。
「君はこっちだよ」
今日何度目かの、斜め前にいる彼女。ポニーテールがまさに馬のしっぽのように左右に揺れて楽しげな様子が後ろ姿から見て取れる。
彼女の性格について今日一日を通してぼんやりと理解してきた僕には、これから彼女のしようとしていることの予測はついた。ただ、それをにわかには信じたくなくて、否定してくれるという一縷の望みをかけて彼女に尋ねた。
「どこに向かっているの?」
「閉園後の遊園地ってどうなってるか気にならない?」
やっぱり。
『別れのワルツ』なんて彼女には聞こえていなかった。むしろ彼女には楽しい時間の始まりを告げるファンファーレが頭の中で鳴り響いていたことだろう。
「どこに隠れればバレないかな」
ウキウキしながら隠れ場所を物色するその女の子はまるで新居を探すヤドカリみたいに輝きに満ちていた。その様子に僕は呆れつつも、彼女とならいいかと感じている自分がどこかにいることを自覚していた。
「観覧車の中とかは?」
なんて自分から提案するほどに。
「行った?」
「うん。大丈夫そう」
懐中電灯が照らす光の筋が遠ざかっていった。
止まった観覧車の中から僕らはミーアキャットのようにひょっこりと顔を出している。夜の遊園地は言葉が生まれる前のように静かで、ただときおりギーギーと観覧車が軋む音が不気味だった。
彼女も怖いのか、僕に身体を寄せて離れない。
ノースリーブの彼女の肩が触れて僕はほんの少しだけ緊張していた。
「ねえ、なんか楽しい話してよ」
彼女が小声で言うものだから僕も小声で答える。
「今日一日のことが全部楽しい話だよ」
「なんか告白みたい」
からかうように彼女は笑った。焦って弁解する僕を見て、彼女は声を殺してさらに笑った。
「もしかしてあれ本心だったの? 公園で言ってくれた『堂々とした私が好きだ』って言葉」
「好きだとは言ってないだろ」
「でも思ってた?」
そのとき遊園地の電気が一斉に消えた。
完全なる闇。
さらに身体を寄せた彼女の手を僕の手が掴んだ。握った。
電気が消えてくれてよかったと心から思った。僕の顔はきっと真っ赤だったから。
「ありがと」
小さな声が僕の耳に届く。つながった右手を除けば、彼女を感じられるには声だけが頼りだった。
「何が?」
「今日付き合ってくれて」
「こちらこそだよ」
今日、学校で始めて彼女の声を聞いた時のことを思い出した。スーッと通る綺麗な声だなって思った。多分一生忘れられない僕らのファーストコンタクト。それが随分前のことに思えた。
「私さ、ひとつ嘘ついてた」
「何?」
「卒論燃やしたのおとなしいに対する反抗なんかじゃないの。通知表に『お姉ちゃんと比べて』みたいな言葉があったの覚えてる? 私本当はそれが嫌だったんだ」
お姉ちゃん。榛原星奈さん。
公園で学生証を見たときから思っていたが、E大学は全国でもトップクラスの大学だ。それなりに学習面では自信のある僕が、高校生活のすべてを勉強に捧げてもたぶん届かないような場所。
「ずっとお姉ちゃんと比べられてきた。そのたびにお姉ちゃんと違って優秀じゃないのねってがっかりされた。勝手に期待したのはそっちなのに、私はいつも途中で梯子を外される。今日の通知表でもその言葉を見つけた瞬間になんかどうでもよくなっちゃってさ。だから燃やすなんて突拍子もないこと考えちゃった」
「でも僕はそんな突拍子もないことに救われたよ」
つないだ手から彼女の体温が直接伝わってくる。鼓動まで伝わってくるみたいだ。
「本当は今日したことだってお姉ちゃんの学生証使って、お姉ちゃんの悪評が広まればいいと思ったから。ごめんなさい、巻き込んで」
右手がぎゅっと強く握られる。それが伝えてくれるのは、謝罪の気持ちだったり、不安の気持ちだったり、あとはきっと後悔の気持ちだったりするのだろう。
「僕は今日楽しかったよ。月見さんは?」
「うん。楽しかった」
「通知表燃やしたのだって初めてだったし、ビールの味も知った。夜の遊園地を知ったのも君とだった。どれもこれまでの僕だったらできないことばかり。月見さんとだからできたんだ。他の誰でもない、月見さんが僕をここに連れて来たんだよ」
お姉ちゃんと比較した君ではない。君自身が僕を成長させてくれたんだ。
僕はそんなことを伝えたかった。
月見さんへの感謝を、尊敬を。
けれど僕の拙い想像力では彼女に伝えたい気持ち全てを言葉にすることはできなかった。
だからせめて、一番わかりやすくて伝えやすいこの気持ちだけでも。
おとなしい僕では気付きづらくて、なかなか伝えられないこの気持ちを。
「僕は君が——」
「誰かいる?」
懐中電灯の光の筋が僕らを照らした。
「行こう」
手をつないだまま僕らは走り出した。
光から逃れるように、2人の世界を求めるように。
もう今度は斜め前の君じゃない。
隣にいる君と一緒に。
つないだ手から熱を感じる。荒い息遣いが近くに聞こえる。
遊園地を飛び出したころ、街灯に照らされてようやく彼女の顔が見えた。
走ったからか、ほんのり赤かった。
きっと僕も。