その夜、私は一晩中矢上くんに言われたことについて考えていた。
ほとんど眠れないまま朝を迎え、また嫌々ながらも学校へ行く。
布団から離れるのも辛い時期だとぼやきながらもなんとか支度したが、いつもより起きるのが遅くて時間はギリギリになってしまった。
でも遅刻にはならなかったのでセーフだろう。
母からは呆れられたが、母は私が眠れない理由なんて知らないし、言えるわけがない。
親に余計な心配をかけさせたくなくて、美緒のことはずっと黙ったまま、仲良しの友達と言って隠し続けている。
矢上くんとのことなんて、もっと言えやしないだろう。
このままじゃ、良くないよね。
そう分かっていても、どうすれば現状を変えられるのかが分からない。
とぼとぼと沈んだ足取りで階段を上る。
教室の手前まで来た、その時だった。
「───────別に、あいつ何頼んでも断らないから扱いやすくていいよ」
聞こえてきた声に、ハッとする。
教室の入り口にいる数人の女子、そのうちの何人かは他のクラスの人だが、中心にいる人物には見過ごせなかった。
「テキトーに親友とか言っとけば喜ぶし。あんなレベルの低い女、私が親友だって思ってるわけないのにバカみたいで笑えるわ」
美緒が、私の悪口を言っている。
信じたくない現実のようだけれど、実際、美緒の口から暴言が次々と飛び出してくるのは不思議としっくりきた。
親友なんて言っておきながら、あれこれ面倒事を押し付けている時点で、美緒が私のことを大切に思っていないことは分かっていたからだ。
まわりの女子たちが、美緒こわーい、なんて言いながらちっとも怖いと思っていなさそうにけらけら笑っている。
「……なに、それ」
ぽつりと声がこぼれた。
そこでようやく美緒は私がいることに気づいた。
「あっ、朱音!おはよ、いつもより遅いじゃん!欠席かと思ってた!」
さっきまで罵っていたというのに、美緒は笑顔で近づいてくる。
来ないと思ってたから、こんなところで悪口言っても大丈夫だと油断していたということか。
その取り繕った表情を見て、私はだんだんと頭が冷めていくのを感じた。
私、なにやってたんだろう。
たまたま遅れただけだったが、そのおかげで、私は決断をすることができそうだ。
「朱音、私のことそんなふうに思ってたんだ」
「違うよ!やだなぁ、朱音のことなんて一言も言ってないじゃん」
周りにいた女子たちが気まずそうに顔を見合せている。
美緒の声が大きくなったことで、教室内も静まり、皆がこちらに注目しはじめた。
「誤魔化さなくていいよ。美緒が私のこと、どう思ってたのかよく分かったから」
握りしめた手は震えるけれど、ここで引き下がるわけにはいかない。
いつもと違う私の様子を見て、美緒も下手な誤魔化しをするのはやめたみたいだ。
「……なに、なんか悪い?あんた見てるとイライラするんだから仕方ないじゃん。ウザいんだよ、あんたみたいな何も出来ないバカなんて」
「何も出来ないって、美緒のやりたくないことはなんでも私がやってきたのに?」
私が口答えしたのに一瞬虚をつかれたような表情をするも、すぐに美緒は逆上した。
「あんたなんなの!?いつもみたいにはいはいって頷いとけばいいじゃん!私に偉そうな口きかないでくれる!?」
険しい表情で、酷い言葉を次々と浴びせてくる。
美緒と出会ったばかりの頃には、想像もしなかった光景だ。
「あんたなんか友達じゃない!黙って私の言うこと聞いてればいいの!」
その剣幕に気圧されそうになり、ぎゅっと目を閉じてしまう。
けれど、その時だった。
『佐野、お前はそれでいいのか』
私の頭の中に、矢上くんの言葉が浮かび上がってくる。
学校で友達とケンカなんてしたくない。
だってそんなことをしたら、私は孤立してしまうし、きっと修復は不可能だ。
ケンカして、仲直りできなかったら、その後の学校生活は辛くなる一方。
だから黙って耐えればいい。
今までだったらそう思っていた。
でも、都合よく自分を受け止めて慰めてくれるくれる優しい人なんて、そうそう現れたりしない。
現実を変えてくれるような、そんな他人任せの夢は見ていたら、いつまで経っても変わらない。
美緒ともこのまま歪な関係のままで、本当の友達になんてなれやしない。
───────だったら、自分で変えるしかないんだ。
「美緒。私は嫌だよ。そんなの絶対に嫌。私は美緒と友達でいたいよ」
今はこんなふうになってしまったけれど、出会ったばかりの頃の思い出は、嘘じゃない。
入学したてで不安だった時に話しかけてくれた優しい美緒、いつも私を引っ張ってクラスの中心に連れていってくれた美緒。
私の心にあるたくさんの記憶は、 本物だ。
「なにいってんのよ!馬鹿じゃないの!?」
「馬鹿なんかじゃない。私は、美緒の本当の気持ちが知りたいんだよ」
私の抱えてきた思いが、言葉になって外に出ていく。
心が言葉で熱く染まっていく。
はじめてだった。
美緒の前で、いや、誰かの前でこんなにも本心をさらけ出したのは。
「ふざけないで……!あんたに私のなにが分かるのよ!あんたなんて大っ嫌い!」
「そこまでだ、倉島」
美緒の言葉を遮った声は、思いがけないものだった。
「矢上くん!」
騒ぎを見守ってくれていたのだろう。
困惑したように見物していたクラスメイトたちの中から、冷静な表情の矢上くんが歩み出てきた。
「はっ、矢上は関係ないでしょ!割り込まないでよ!」
美緒が矢上くんを睨みつける。
「割り込んで欲しくないのなら、公衆の面前でわめきたてるのはやめた方がいい」
その言葉に、美緒は今さっき気づいたかのように辺りを見回す。
困惑、驚き、侮蔑。
向けられる様々な視線に、美緒の顔色が変わってしまった。
「倉島。それ以上続けるのはおすすめしないぞ」
「なんなの……!」
矢上くんにまで酷いことを言ってしまうんじゃないかとはらはらした、その時だった。
予鈴が鳴り、向こうから担任の先生が歩いてきた。
「ちょっと美緒……」
「ヤバいよ、もう行こ。うちら関係ないし」
隣のクラスの女子たちはバタバタと逃げていき、美緒だけが残された。
とうとうやって来てしまった担任は、異様な雰囲気の教室にぎょっとしている。
美緒もバツの悪そうな表情で、誰とも目を合わせようとしない。
とにかく、なんとかしてこの場をおさめなければと思ったのだが。
「佐野、行くぞ」
矢上くんが私の手を取り、駆け出していく。
待ちなさい、という声が飛んでくるも、矢上くんは止まらない。
追いかけられるかと思ったが、先生はクラスの子たちに何があったのかを聞くことを優先したみたいで、追いかけてくる足音はなかった。
「ねえっ、行くって、どこに……」
「どこでもいい。とにかく、そんな顔で授業を受ける訳にはいかないだろう」
矢上くんは一旦立ち止まり、私にハンカチを差し出した。
「あっ……」
どうしてそれを、と思ったが、そこでようやく、自分が泣いていることに気づかされた。
矢上くんからハンカチを受け取り、涙を拭う。
アイロンをかけたばかりであろう、皺ひとつない紺色のそれを汚してしまうのは気が引けたが、それよりも矢上くんの気遣いが嬉しかった。
ほとんど眠れないまま朝を迎え、また嫌々ながらも学校へ行く。
布団から離れるのも辛い時期だとぼやきながらもなんとか支度したが、いつもより起きるのが遅くて時間はギリギリになってしまった。
でも遅刻にはならなかったのでセーフだろう。
母からは呆れられたが、母は私が眠れない理由なんて知らないし、言えるわけがない。
親に余計な心配をかけさせたくなくて、美緒のことはずっと黙ったまま、仲良しの友達と言って隠し続けている。
矢上くんとのことなんて、もっと言えやしないだろう。
このままじゃ、良くないよね。
そう分かっていても、どうすれば現状を変えられるのかが分からない。
とぼとぼと沈んだ足取りで階段を上る。
教室の手前まで来た、その時だった。
「───────別に、あいつ何頼んでも断らないから扱いやすくていいよ」
聞こえてきた声に、ハッとする。
教室の入り口にいる数人の女子、そのうちの何人かは他のクラスの人だが、中心にいる人物には見過ごせなかった。
「テキトーに親友とか言っとけば喜ぶし。あんなレベルの低い女、私が親友だって思ってるわけないのにバカみたいで笑えるわ」
美緒が、私の悪口を言っている。
信じたくない現実のようだけれど、実際、美緒の口から暴言が次々と飛び出してくるのは不思議としっくりきた。
親友なんて言っておきながら、あれこれ面倒事を押し付けている時点で、美緒が私のことを大切に思っていないことは分かっていたからだ。
まわりの女子たちが、美緒こわーい、なんて言いながらちっとも怖いと思っていなさそうにけらけら笑っている。
「……なに、それ」
ぽつりと声がこぼれた。
そこでようやく美緒は私がいることに気づいた。
「あっ、朱音!おはよ、いつもより遅いじゃん!欠席かと思ってた!」
さっきまで罵っていたというのに、美緒は笑顔で近づいてくる。
来ないと思ってたから、こんなところで悪口言っても大丈夫だと油断していたということか。
その取り繕った表情を見て、私はだんだんと頭が冷めていくのを感じた。
私、なにやってたんだろう。
たまたま遅れただけだったが、そのおかげで、私は決断をすることができそうだ。
「朱音、私のことそんなふうに思ってたんだ」
「違うよ!やだなぁ、朱音のことなんて一言も言ってないじゃん」
周りにいた女子たちが気まずそうに顔を見合せている。
美緒の声が大きくなったことで、教室内も静まり、皆がこちらに注目しはじめた。
「誤魔化さなくていいよ。美緒が私のこと、どう思ってたのかよく分かったから」
握りしめた手は震えるけれど、ここで引き下がるわけにはいかない。
いつもと違う私の様子を見て、美緒も下手な誤魔化しをするのはやめたみたいだ。
「……なに、なんか悪い?あんた見てるとイライラするんだから仕方ないじゃん。ウザいんだよ、あんたみたいな何も出来ないバカなんて」
「何も出来ないって、美緒のやりたくないことはなんでも私がやってきたのに?」
私が口答えしたのに一瞬虚をつかれたような表情をするも、すぐに美緒は逆上した。
「あんたなんなの!?いつもみたいにはいはいって頷いとけばいいじゃん!私に偉そうな口きかないでくれる!?」
険しい表情で、酷い言葉を次々と浴びせてくる。
美緒と出会ったばかりの頃には、想像もしなかった光景だ。
「あんたなんか友達じゃない!黙って私の言うこと聞いてればいいの!」
その剣幕に気圧されそうになり、ぎゅっと目を閉じてしまう。
けれど、その時だった。
『佐野、お前はそれでいいのか』
私の頭の中に、矢上くんの言葉が浮かび上がってくる。
学校で友達とケンカなんてしたくない。
だってそんなことをしたら、私は孤立してしまうし、きっと修復は不可能だ。
ケンカして、仲直りできなかったら、その後の学校生活は辛くなる一方。
だから黙って耐えればいい。
今までだったらそう思っていた。
でも、都合よく自分を受け止めて慰めてくれるくれる優しい人なんて、そうそう現れたりしない。
現実を変えてくれるような、そんな他人任せの夢は見ていたら、いつまで経っても変わらない。
美緒ともこのまま歪な関係のままで、本当の友達になんてなれやしない。
───────だったら、自分で変えるしかないんだ。
「美緒。私は嫌だよ。そんなの絶対に嫌。私は美緒と友達でいたいよ」
今はこんなふうになってしまったけれど、出会ったばかりの頃の思い出は、嘘じゃない。
入学したてで不安だった時に話しかけてくれた優しい美緒、いつも私を引っ張ってクラスの中心に連れていってくれた美緒。
私の心にあるたくさんの記憶は、 本物だ。
「なにいってんのよ!馬鹿じゃないの!?」
「馬鹿なんかじゃない。私は、美緒の本当の気持ちが知りたいんだよ」
私の抱えてきた思いが、言葉になって外に出ていく。
心が言葉で熱く染まっていく。
はじめてだった。
美緒の前で、いや、誰かの前でこんなにも本心をさらけ出したのは。
「ふざけないで……!あんたに私のなにが分かるのよ!あんたなんて大っ嫌い!」
「そこまでだ、倉島」
美緒の言葉を遮った声は、思いがけないものだった。
「矢上くん!」
騒ぎを見守ってくれていたのだろう。
困惑したように見物していたクラスメイトたちの中から、冷静な表情の矢上くんが歩み出てきた。
「はっ、矢上は関係ないでしょ!割り込まないでよ!」
美緒が矢上くんを睨みつける。
「割り込んで欲しくないのなら、公衆の面前でわめきたてるのはやめた方がいい」
その言葉に、美緒は今さっき気づいたかのように辺りを見回す。
困惑、驚き、侮蔑。
向けられる様々な視線に、美緒の顔色が変わってしまった。
「倉島。それ以上続けるのはおすすめしないぞ」
「なんなの……!」
矢上くんにまで酷いことを言ってしまうんじゃないかとはらはらした、その時だった。
予鈴が鳴り、向こうから担任の先生が歩いてきた。
「ちょっと美緒……」
「ヤバいよ、もう行こ。うちら関係ないし」
隣のクラスの女子たちはバタバタと逃げていき、美緒だけが残された。
とうとうやって来てしまった担任は、異様な雰囲気の教室にぎょっとしている。
美緒もバツの悪そうな表情で、誰とも目を合わせようとしない。
とにかく、なんとかしてこの場をおさめなければと思ったのだが。
「佐野、行くぞ」
矢上くんが私の手を取り、駆け出していく。
待ちなさい、という声が飛んでくるも、矢上くんは止まらない。
追いかけられるかと思ったが、先生はクラスの子たちに何があったのかを聞くことを優先したみたいで、追いかけてくる足音はなかった。
「ねえっ、行くって、どこに……」
「どこでもいい。とにかく、そんな顔で授業を受ける訳にはいかないだろう」
矢上くんは一旦立ち止まり、私にハンカチを差し出した。
「あっ……」
どうしてそれを、と思ったが、そこでようやく、自分が泣いていることに気づかされた。
矢上くんからハンカチを受け取り、涙を拭う。
アイロンをかけたばかりであろう、皺ひとつない紺色のそれを汚してしまうのは気が引けたが、それよりも矢上くんの気遣いが嬉しかった。