放課後、支度をして帰ろうとしたところで、美緒に呼び止められてしまった。

「朱音、今日日直の仕事頼んでもいいかな?どうしても外せない用事があるの」

困り顔をして大きな声でそう言うので、周囲からの視線が一気に集まる。
ちょっと気まずい。

「また……?美緒、用事って」

「お願い!今日だけでいいから!」

美緒は私の言葉を遮ってまで頼み込んでくる。
この前も頼まれたばかりだが、そんなに大切な急用なら仕方がないか。
それに、こんなに注目されていては断るに断れない。
きっぱり言いたいけれど、また今日も何も言えないで終わるのだろうか……。

だが、そう思った直後だった。

「美緒ー、まだ?うちらもう行くよ?」

教室のドアから、複数の女子が声をかけてくる。
私はあまり関わりのない、隣のクラスの子たちだ。
まさか、と思って美緒を見れば、一瞬焦ったような表情を見せたものの、それはすぐに消える。

「待って今行く!じゃ、よろしくね」

そう言って美緒は私にクラス日誌を押し付ける。
こちらを振り向きもしないで、隣のクラスの子たちと楽しそうに会話をしながらどこかへ行ってしまった。

用事って、他のクラスの子と遊びに行くんだ。

他の子と遊びたいが為に、私に仕事を押し付けた。
周りから見てもそれは明白で、教室に残っていたクラスメイトたちはこそこそとこちらを見て何かささやきあっていた。

倉島、またやってるよ。
佐野さんはどうして断らないんだろう。
朱音ちゃんってやっぱり、美緒にいじめられてるんじゃない。

そういう言葉が聞こえてくるが、私に直接言う人は誰もいない。

分かっている。
周りから見えているように、美緒は都合のいい時だけ私を親友と言うけれど、私はきっと彼女の本当の友達ではない。
分かっていながらも、何も出来ない。
入学してからずっと美緒と一緒だったため、私には美緒以外に特別親しい友人もおらず、美緒に嫌われたら学校から孤立してしまう。
それに、ぎすぎすした空気で過ごすくらいだったら、少しぐらい我慢すれば済む話なのだから、耐える方が私にとってそれが一番いいのだ。

心の中で自分を納得させて、日誌のページを開く。
当然、美緒が書くべき箇所は真っ白だ。
シャーペンを握り、書くことを考えようとした、その時。

「佐野、お前はそれでいいのか」

ぱっと横を向けば、隣にいたのはクラスメイトの矢上くんだった。

「それでって……」

「だから、佐野はこのまま倉島のいいなりでいいのかって聞いてるんだ」

背の高い彼に見下ろされると威圧感がある。
いつもより険しい表情も相まってそれを際立たせているが、私は矢上くんが怖い人ではないことを知っている。
矢上くんは、数学の移動教室で隣の席なのだが、いつも私の分からないところを教えてくれるのだ。
ちょっと口が悪いからみんなからは誤解されがちだけれど、言いたいことはストレートにハッキリ言うタイプだからそう思えるだけで、言いたいことも言えないような私にとっては羨ましささえ感じられる。

「矢上くん、別に私は美緒のいいなりになってるわけじゃないよ」

誤魔化し笑いで否定するも、矢上くんには通じない。
矢上くんは隣の席に腰掛けると、そのまま私の手からペンと日誌を奪う。

「あっ」

さらさらと文を書きながら、矢上くんはこちらを見ることなく話を続けた。

「何が違うって言うのかな。今の佐野は、倉島にいいように扱われているようにしか見えない」

彼の言う通りだ。
それでも私は頑なに否定する。

「そうかな?美緒も忙しいし、友達なんだからたまには手伝ってあげてもいいじゃん」

「たまには、と言うけれど今朝も課題を写させていたようだったけど」

「それは……、美緒は賢いから課題なんてやらなくても大丈夫なんだよ」

「何を言う。日頃の課題すらこなせないような奴に出来ることなどあるものか」

さすが、容赦ない。
が、彼の言っていることは概ね正しいのだから言い返しようがない。

「厳しいね、矢上くん」

「佐野は甘すぎる。倉島が成績を落とそうがそれは自分の責任なのに、いちいち気にする佐野は優しすぎると、俺は思うんだが」

「そんなことないよ」

「もう一度聞くが、佐野はこのまま倉島のいいなりを続けるつもりか」

矢上くんは顔を上げ、私の目を見つめる。
彼の瞳は美しく澄んでいて、芯の強さが感じられる。
私とは違う。
彼のように堂々とした人間になりたい。
そう思ったのは一度ではない。

それでも、この狭い学校社会において余計な軋轢を生むのは不本意なのだ。

「これでいいの。私たち、友達でいたいから」

「理解不能だな」

「……矢上くんには分からないよ」

そう吐き捨てるように行ってから、今のはよくなかったとすぐに気づく。

「ご、ごめん……。今、私」

せっかく矢上くんは私の為を思って言ってくれたのに、なんて冷たい態度を取ってしまったのだろうか。
急いで撤回しようとするも、矢上くんの表情は変わっていなかった。

「別にいい。事実だ」

矢上くんは日誌を書き終わったようで、私にそれを手渡した。

「ただ、一つ言っておくが、佐野が変わらなければ現状はこのままだというのは覚えておくといい」

私が変わらなければ。
矢上くんの言葉が胸に刺さる。
彼は呆然とする私をよそに、鞄を持って早々に教室を出ていってしまった。
返された日誌は、矢上くんの綺麗な文字で埋まっていた。

嫌われちゃったかなぁ。

そう思っても、もう取り返しはつかない。

散々注意してもらったというのに一向に態度を改められない私に、きっと矢上くんは失望しただろう。
確実に矢上くんからの好感度は下がった。
彼のように周りに流されない芯の強い人なら尚更、私のような正反対なタイプには付き合いきれないはずだ。

友達には都合のいいように扱われて、叱ってくれた憧れの人には嫌われて。
本当に、私はなにをやっているんだろうか。

この時期になると日が暮れるのも早いようで、いつの間にか薄暗くなった教室には、誰も残っていなかった。