山の頂から、初夏を含んだ風が流れていく。
 その中に含まれた山の子からの伝令を受け、大木の枝に腰を下ろした青年がくっと笑みを喉奥に噛みしめた。想像を遥かに超えて耐えてはいるが、あと数日が山場だ。

「そろそろあの者も、夜に溶ける頃合いといったところか」

 ここへ訪れることになるのは、果たしてどちらか──。

   ***

 その客人が紬たちの香堂を訪ねてきたのは、六月も中旬に差し掛かったある日のことだった。

「牡丹の香り……ですか」

 静かに答えた紫苑の隣で、紬は目を瞬かせる。
 客間に置かれた机を挟み、紫苑たちと向かいあうように客人が座布団に腰を据えている。

 その姿はどう見ても、長年慣れ親しんできた動物である三毛猫であった。

 白、茶、黒に近い焦げ茶の毛が、何とも艶やかに生えそろっている。
 しかしながら、当然その猫はただの猫ではない。背中から伸びる先には、長く優雅に伸びる尾が二本、ふよふよと巧みに揺れていた。
 そして何より、この猫は極々自然に人語を語ってみせたのだ。
「牡丹の香りの線香を作ってもらいたいのだが」──と。

「猫又かよ。この香堂を頼ってくるとはどういう風の吹き回しだ?」