告げられた言葉は、ごくありふれたものだった。
 しかし、その眼差しに込められた確かな力に、紬ははっと目を見張る。

「もしも君の言う通り運がないというのなら、俺の運を分けてもいい。実力不足というのなら、これからいくらでも不足分を伸ばせばいい。君はきっと、真面目で実直な人だろうから」
「紫苑さん……」
「少なくとも今ここに、君といて嬉しいと思っている人間がいるということを、忘れないで」

 どこか寂しげに消えていったその囁きに、胸の奥がぎゅっと締まったのがわかった。

「紫苑さんは……優しいですね」

 ふふ、と泣き笑い気味になりつつ告げた言葉に、紫苑は目を瞬かせる。

「行きずりの私にここまでよくしてもらって、情けない愚痴を聞いて、励ましてくれるなんて。真に優しい人じゃなければできませんよ」
「どうだろうね。もしかしたら、君の純粋さにつけ込もうとしている悪人かもしれないよ?」
「はは。紫苑さんに限って、そんなことあるわけが」
「本当に?」

 確かめるような問いかけに、紬の顔に浮かんでいた笑みがふっと消えた。

「そんなことないって、本当に言い切れるかな」

 言葉が、やけに響いて紬の鼓膜を揺らす。
 気づけば差し伸べられていた右手が紬の決して長くない髪を、一房すくい上げていた。

「もしかしたら、君のことを気に入って、誰にも知られずに囲ってしまおうと企んでいる化け物かもしれない。そんな奴じゃないと、どうして言い切れるの?」
「し、おん、さん?」
「あまり、出会ったばかりの人間を信用しすぎない方がいいよ。紬さんは、それだけ魅力的な人なんだから」

「ね?」そう微笑む紫苑は、すでに脳内に記録された「紫苑さん」と同じものだった。

「……はい。わかりました」

 こくりと頷きながら、紬はひとり胸をなで下ろした。今対峙していたはずの人物が、まるで別人に変わったかのように思えたから。
 ロイヤルミルクティに幾度か口をつけながら、互いにとりとめもない会話を交わす。
 それでもなお、今のやりとりが現実だったと示すかように、紬の心臓がどきどきと早鐘を鳴らしていた。

   ***

 北一ホールを出て向かった先は、北一硝子三号館の残る一棟、『カントリーフロア』だった。

「か、可愛い……あ、この白い鳥はもしかして、雪の妖精シマエナガですね……!」
「そうだね。日本では基本的に北海道でしか見られない野鳥。可愛いよね」
「はい。丸くてコロコロしてて、ふわふわなんですよね」

 このフロアでは、北海道という土地にちなんだ自然や風土、歴史を感じさせるガラス細工が数多く展示されていた。
 大きなテーブルに所狭しと並んだミニチュアの動物たち。
 硝子でひとつひとつ丁寧に作り上げられた作品たちは、信じられない程の手間と時間が掛けられているのだろう。

「あ、向こうにあるのは……」

 言葉を一度切り、紬は引き寄せられるように店舗の奥へと進んでいく。
 そこに並べられていたのは、先ほど北一ホールでも目にした石油ランプだった。
 揺れる灯火と、それを静かに諫めるような多種多様な帽子。耳を澄ませると微かに炎を燃やす音が届き、思わず瞼を閉じて聞き入ってしまった。

「紬さん。実は、ここで少し見繕いたいものがあるんだけれど、いいかな?」
「はい。もちろんです」

 答えると、紫苑は真っ直ぐにとある展示棚へと向っていく。
 その棚に並んでいるものは、硝子に淡い色を浮かべて象られた球体のオブジェだった。

「もしかして、これは浮き玉ですか」
「そうだよ。一言で浮き玉といっても、意外とたくさんの種類があるでしょう」
「わあ、本当ですね」

 紫苑の言葉に素直に頷きながら、紬は硝子の球体に囲まれる不思議な空間に足を踏み入れていく。

 浮き玉と聞いて真っ先に思いつくイメージは、硝子の球体に麻縄が編まれたものが一般的だろう。
 ここにはそのイメージ通りのものもあれば、鮮やかな黄色やオレンジに色づけられたものもある。硝子側面の穴から一輪の花が挿してあるものもあり、素敵なインテリアだと胸が躍った。

「紬さん。ここにある浮き玉のなかで、君が一番素敵と感じるものを選んでくれるかな」