この世界に来てどのくらい時間が経ったのだろう。
陽が沈みはじめ、オレンジ色から終わりは藍色へと綺麗なグラデーションとなって空一面に広がり1日の終わりを告げようとしている。
冒険者ギルドを出て左に真っ直ぐ300mほど進むと宿、と書いた看板を掲げた二階建ての建物を見つけた。
2人は宿屋の扉を開け、2人部屋の空きがあるかを宿屋の主人に聞くと「運がいいちょうどあと一部屋ですよ」と宿屋の主人は微笑みながら対応してくれた。
「とりあえず10日間連泊したいんですが、素泊まりでおいくらですか?」
「2人部屋素泊まり10日間だと金貨3枚と銀貨5枚です。よろしければ宿泊名簿にサイン下さい」
全が宿屋の主人に尋ね、主人は金額を掲示した。
全は金貨を4枚払うとお釣りが銀貨5枚で帰ってきた。
2人は部屋の鍵を預かり宿屋2階の一番奥の部屋へ案内された。
部屋に入ると簡素だがしっかり手入れが行き届いているのが伺える。
2人はベッドにそれぞれ腰を下ろすと緊張の糸も切れたのだろう、大の字にそのままベッドに寝そべった。
「ふああああああ、疲れたあああああ!」
「何なんだこの世界は、わけわかんねえ!」
揃って口から出た言葉は2人の心境をとてもシンプルに説明付ける。
「武仁は訳わからない事ばかりだよなあ。慣れるまで僕の異世界知識でフォローするから! 何の因果か......僕らは今日この異世界へ落ちてきた......。......帰るまではよろしく頼むよ!」
「......おう、締め上げるんなら得意だからよお。それ以外はおっさんに任せるぜ......よろしく頼むわ!」
2人はそう話すと元の世界では何をしていたんだ、など他愛無い話でお互いへの理解を深めた。
全は高学歴で大手IT企業の営業マンだったようだが、就職すれば学歴の事ばかりを言われ、まるで自分を見てもらえていないような感覚を抱いた。
どうやら逆学歴コンプレックスを抱えているようだ。
一人っ子の全は学生の頃は親の厳しい教育に疲れ果てると、当時流行っていた異世界もののライトノベルを親の目を盗み読んでは心を潤わせたと話した。
武仁は妹と父と3人暮らし、母は早くに他界し父も体を壊しているそうだ。
高校にはなんとか入学できたが、家計を助けるべくコンビニでバイトをしていたと言う。
勉強は苦手だがスポーツは得意、特に足の速さには自信があるようで、野球は今でも続けているようだ。
貧乏で小さい時はよく揶揄われ、舐められないように気合いを入れているのだと話した。
話し終えると既に疲れ果てていた2人はどちらが先ともなく眠りについた。
ーー翌朝ーー
先に目覚めたのは武仁だった。
湯浴みを済ませ出てきたところで物音に気づき目覚めた全。
「起きたかよ、お前も体洗ってこいよ。んで飯食いに行こうぜ」
「......おはよう、早いな......って、誰!?」
湯浴みをした武仁の髪はリーゼントが崩れサラっと伸びた毛先には水が滴る。
「いや......流石に髪型ひとつで誰とはなんねえだろ!」
お約束を挟んだところで笑いながら全も湯浴みをしにベッドを立った。
しばらくして準備が整うと全は部屋を出る前に武仁にこの世界のお金について話した。
「昨日、宿屋の主人に宿代は金貨3枚と銀貨5枚と言われ、僕は金貨4枚を出したんだ。するとお釣りで銀貨5枚が帰ってきた。と言うことは、銀貨は10枚で金貨1枚だと言うことだ。食事の単価やその際のお釣りなどでこの世界の金銭感覚や価値を見極めよう」
武仁は「そうか......んじゃあ飯食いに行くぜ」と話を聞いているのかいないのか、全を急かし部屋を出るや宿屋の主人に美味い食堂はないかと武仁が尋ねると、宿屋の斜め向かいにある店のボアステーキは絶品だよ、と教えてくれた。
お礼を言うと2人は足早に食堂へ向かう。
食堂の扉を開けるとカランコロン、と扉についたベルが音を立てると同時に「いらっしゃい」と元気の良い声が飛び交った。
食堂は朝だからか人は少なく、武仁は適当に空いていた席に着き、「注文いいか」と店員に言うと全も席に着いた。
宿屋の主人におすすめされたボアステーキを注文し、食事が来るまでの待ち時間に2人はログインボーナスの事を思い出すとまずは全が席を立ち、人目につかないよう食堂横の脇道に入り静かにステータスオープンと唱えた。
ファンファーレのメロディとともにリンの声が聞こえて来る。
『全様〜、おはようございます〜。二日目のログインボーナスとしてスキル・収納と装備・賢者のローブを獲得しました〜。また、顕現を求めない限り私の声は全様にしか聞こえませんのでご安心下さい〜。それでは良き異世界の旅を〜♪』
神の使いであるリンやズチがいきなり目前に現れたら騒ぎになる、そう危惧しわざわざ隠れてステータスオープンした事を、まるで見ていたかのように遠回しに言われた気がして恥ずかしくなる全。
食堂に戻りそれを武仁に伝えると、武仁ははじめから言えよ、と言うと席に着いたままステータスオープン、と小声で呟いた。
和太鼓のメロディとともにズチの声が聞こえる。
『武仁殿! 調子はいかがですかな? 本日のログインボーナスはスキル・収納の修得、加えて装備・勇者の剣(バット)ですぞ! 戦に武具は欠かせませんからな! では、用向きがあれば遠慮なくお呼び下され!』
ズチの声が消えると、食堂の店員がちょうどボアステーキをテーブルに運んで来た。
ボアステーキは熱した鉄板の上で油が弾ける良い音をさせながら、食欲をそそる香ばしい香りを立たせる。
「「いただきます!」」
2人は言うやいなやボアステーキに勢いよく箸をつけた。
口に入れると咀嚼もそこそこに肉汁が溢れ出し、最後はとろけるようになめらか、ジューシーなボアステーキに夢中で箸を進めた。
箸と言ってもフォークナイフであるのは言うまでもない。
あっという間に完食し水をグイッと飲み干すと「ごちそうさま」と伝え店員に代金を支払い2人は食堂を後にした。
「ボアステーキ2人前で銀貨1枚と銅化6枚。銀貨2枚を出してお釣りは銅化4枚だったから......大体分かってきたな!」
と言う全は続けて武仁に説明した。
「どうやらこの世界の金貨1枚は日本で言うと1万5千円くらいの価値で、銀貨1枚は1500円、銅化1枚は150円くらいだね。更に銅化10枚で銀貨1枚となり、銀貨10枚で金貨1枚となる、かな」
この世界の金銭価値も大体把握し、腹ごしらえも済んだところで2人は冒険者ギルドを目指した。
クエストをやってみたいと言う全の意向からだ。
道すがら、2人は今日のログインボーナスについてステータスウィンドウを開きながら話す。
「僕の新しいスキル・収納は......どうやら収納した対象の時間を停止させ保管する、と言うものらしい。容量は......無制限。そして、装備の賢者のローブ。これは......賢者のみ装備可能なローブ、物理攻撃をはね返す、武仁はどうだ?」
「俺も新しいスキルは収納だ。おっさんと同じだな。装備は勇者の剣(バット)、これ良いぞ! まさか異世界に来てバットを手に出来るとはな! 効果は......魔法すら打てる(切れる)んだってよ、武器はいい、腕が鳴るぜ!」
そう聞くと全は武仁に残りの硬貨を半分渡し、もうリュックはいらないな、と収納でリュックをしまった。
冒険者ギルドに到着し受付のマムに挨拶をすると「何かクエストはないかい?」と全が尋ねると、依頼書が貼り出されたボードから好きなものを選び受付に持って来れば受注できると教えてくれた。