目を開けたときは、まだ頭がボンヤリとしていた。
 だが次の瞬間! 死への恐怖で眠気がふっとんでいた。
 すぐ目の前に大きなナイフ!

 ワワワッ!

 そしてサキの無表情な顏。

 ワワワッ!

 そのときになり、やっと健は、足下の皿に気がついた。きれいに皮をむかれてスライスされたリンゴが盛られていた。
 すぐ目の前では、サキがリンゴの皮をむいていた。
 聖職者の養女であることを示すように、今のサキは、パープルカラーのベール状の頭巾、トゥニカと呼ばれる足首までのワンビースを身につけている。
 健は『白雪姫』に出てくる毒リンゴを思い出した。全身、冷たい汗が流れ落ちていく。

(ち、違う。僕、白雪姫なんかじゃない。日下健です。毒リンゴなんかやめてください!)

 健の恐怖をよそに、サキはリンゴの皮をむき続ける。
 サキのそばに、一枚のCDディスクが置かれていた。

「プレーヤーが壊れるなんて。それとも古いディスクだったから?」

 サキがポツンとつぶやいた。

(何言ってるんだ、この人)

 狂った人ほど、恐ろしいこと考えるものだ。健の恐怖はついに極限まで到達!

「ねえ、リンゴ食べてよ」

 サキがつぶやくように話しかけてくる。
 健の心に恐ろしい映像が浮かび上がる。
 リンゴを一口、口に入れた瞬間に訪れる運命。胸を掻きむしって健は倒れる。床の上を転げまわる健を、大きな口に笑いを浮かべ、冷たく見下ろすサキ。
 もう我慢できなかった。健は大声で泣いていた。

「健ちゃんってサ」

 サキがナイフを持つ手を休めた。

「あたしのことキライ?」

 そんなこと、正直に答えられるワケない。健はまだ十五歳。青春真っ盛り。生命(いのち)が惜しい!
 両手で顔を覆って泣くしかない。

「そっか……」

 サキはそっと立ち上がって部屋を出た。すぐに戻ってきてスクールバッグとスマホを健に返した。真っ白なブレザーを脱がせ、自分が羽織った。まだスライスしていないリンゴを五個、トートバッグに入れて健に渡す。

「じゃあね」

 サキの声はかすかに震えていた。部屋を出ると、今度はもう戻らなかった。
 健は全速力でサキの家を飛び出していた。 
 サキが後から追いかけてくるような気がして、一度も振り返らなかった。
 リンゴは誰かが間違って食べないように、家に着いてから深く穴を掘って埋めた。