宿題はどこの学校にだってある。
 進学校で知られる梅華(べいか)高校。
 一学年「現代文」の今日の課題は「私の苦しかった思い出、経験」をテーマにしたエッセー。
 特進コースの日下健(くさかけん)だって、宿題からは逃れられない。
 学年ベスト3の成績をめざす健にとって、内申点は絶対に引き上げたいところだ。
 だが、この課題というのが難問。

<僕は中学二年まで、春日市のはずれに住んでいました。小学校のときから、一緒に登下校する上級生がいました。月影(つきかげ)サキという名前です。
 月影サキという人は世界一ひどい人間でした。名前からもひどい人だって分かります。一学年上ですが、僕は四月一日の早生まれなので、ほとんど二歳離れています。背が高く、いつも上から目線で、性格も最悪でした。
 僕に自分の荷物を持たせました。下級生の僕に自分の宿題をさせました。
 こんなひどい人、他にいるのでしょうか? 絶対、月影サキさんだけです。
 下校の途中、全速力で百メートル走らされました。何度も何度も……。運動会でもないのに、どうしてこんなことしなくちゃいけないんでしょう。
「今日は荷物持たなくていい」
と言われてホッとしていたら、帰り道、ずっとジョギングしろと命令されました。マラソン大会はまだ先なのに……
 月影さんは空手か何かやっていて、僕は全然関係ないのに相手をさせられ、何もしていないのに体中、打たれたり蹴られたりされました。絶対これって、「空手」という名の「いじめ」だと思います。
 いつも僕に向かって、
「本当にダメな子なんだから」「ダメだなあ」「しっかりしなよ」
と繰り返していました。百万回聞かされたと思います。IQ低くてボキャブラリーの乏しい人だったんです。
 登下校の時間がイヤでイヤでしかたありませんでした。不登校になる直前まで追い詰められていました。
 中学二年の途中で引っ越したときにはホッとしました。
 引っ越し先は絶対、誰にも教えないようにと、母にお願いしておきました。
 引っ越しの前日。別れ際に月影さんが、
「明日は特訓だからね」
と言ってました。特訓できなくて、すごくくやしがったはずです。
 月影さんの怒りに満ちた顏を思い浮かべると、「ザマーみろ」と思います。
 あれから一度も会っていません。LINEだってブロックしておきました。
 月影という人は、聖職者の養女だと聞きました。だいたい親は信者にお説教するより自分の……>

 そこまで書いてから健は、おもむろに原稿を読み返した。こんなエッセー提出したら内申点に響くこと間違いなし。すぐに紙を丸めた。個人情報なので、まさかリサイクルには出せない。出せるワケもない。
 床にはいくつも丸めた原稿用紙が転がっている。
 書く度にイヤなことばかり思い出し、後が続かない。だが「苦しかった思い出」といえば、これしか思いつかない。
 一学期の期末テストで学年五位の日下健。
 月影サキこそ、日下健の誰にも言えないトラウマだったのだ。