☆
手を繋いだまま、図書館の先にある海浜公園に着いた。なぜか、芦沢は自販機で缶コーラを買ってくれた。海と砂浜が目の前に広がるベンチに座った。見え透いた下心。いい人ぶりたい自意識過剰。どんな目的なのか、芦沢の正体がわからないまま、コーラを開けた。コーラはいつものようにガスが一気に抜けて、膨らんでいた缶が一気に緩むのを感じた。
「お礼くらい言えよ」
芦沢も私にあわせて、コーラを開けた。ガスが抜ける涼しい音。別に、ナンパされて、無理やり手を繋いでここまで連れてきたクセにお礼まで要求するなんて、面倒なやつだなって、ちょっとだけ思ったけど、せめてもの詫び品がコーラだとしたら、まあ、いいかって思ってしまったこともあり、ちょっとだけ自分が嫌になった。
レンタル彼氏、いや、レンタル彼女なのか私は。そういえば、去年の秋頃、つるんでた友達、カナが彼氏に先っぽだけってお願いされたけど、無理やりゴムをつけたってゲラゲラ笑いながら話していたことを思い出した。だけど、その数ヶ月後、カナは妊娠して退学した。
もう、先っぽどころの話ではなくなってしまった。
6月の始まりの午後、こうして、誰もいないビーチを眺めるのは少しだけ、気持ちがよかった。
「――ありがとう」
不本意だけど、芦沢がコーラを買ってくれた事実は変わらないから、そう適当に返しておいた。
「じゃあ、かんぱーい」と芦沢はそう言って、一方的に私の缶に自分のコーラを当ててきた。コツと缶は鈍い音を立てた。そして、芦沢はコーラを飲み始めた。
別に乾杯にあわせたわけじゃないけど、私もコーラを一口飲んだ。
「毎日、きついな」
は? お前はきつくないだろって思ったけど、その思いをぐっと飲みこんでもう少しだけ、話を聞いてみようと思った。
「――きつくはないでしょ」
「え、菜七子ちゃん、めっちゃきつそうじゃん」
「――5月病、こじらせてるだけだから」
「こじらせ女子か」
人からそう言われると腹が立つ。もしかしたら、こいつから声をかけられることなんて、ほとんどありえないことだから、もしかしたら、この二人きりでいるところをこいつの取り巻きが動画を撮って、ネタにしているのかもしれないって。ふと思った。学校で水曜日のダウンタウン的な展開になったら、最悪だ。節度がない猿が真似ると悪質になる。
「動画とか撮ってるんじゃないの」
「は? なに言ってんの」
「――私に声かけるとか、どういう神経してるの?」
こんなブスに声かけるなんてどうかしてる。
「お前さ、なに勘違いしてるの」
「ありえないでしょ。芦沢が私に都合よく声かけるなんて」
「――俺だって、そうだよ」
その返しが意味不明だった。マジで、何言ってるんだこいつ。
「あ、その。違うわ。そうじゃなくて」
たぶん、顔に表情が出ていたのかもしれない。芦沢は少し慌てたようにそう言った。私は黙ったまま、コーラをもう一口飲んだ。
「俺だって、今日、菜七子ちゃんに会うつもりなんてなかったってことを言いたかっただよ」
「へえ」
コーラ、飲み終わったら、さっさと帰ってしまおう。そして、今日のこともなかったことにしよう。TVerでドラマみて。
「だから、悪ふざけとかじゃないってことは保証するから。ほら」
そう言って、芦沢は右手の小指を私の前に差し出した。は? と思ったけど、私は右手で小指を結び、指切りをした。なにこれ。
「よし、いい子だね」
「バカにしないでよ」
無神経な芦沢の言葉にだんだんイライラしてきた。だけど、芦沢はそんなの気にしている様子もなく、からかって気持ちがいいかのように笑っていた。
「もっと、会話できないやつなのかと思ってたけど、やっぱり、普通じゃん。菜七子ちゃんって」
「さっきから、馴れ馴れしいんだけど」
「いいじゃん。さっきから、俺のこと、警戒しすぎだよ。ま、それがかわいいんだけど」
「さっきから、なに口説いてきてるの。いじめられっ子のことを」
「え、タイプだから。俺、そういう細かいこと、気にしないんだよね」
こいつ、バカなのか――。私は呆れて、ため息をついた。もし、私が今、突然、芹沢にキスをしたら、どんな反応するんだろう。
「だから、助けるとか、そんなことはしないよ。だって、それは本人の問題じゃん。俺は楽しくやっていれば、それでいいと思ってるだけだから。だけど、耐え切れなさそうにみえたから、言葉は聞くよ。菜七子ちゃんの」
おだやかな波の音が聞こえる。海は午後の黄色い日差しで白くキラキラしていて、その不規則さが心をおだやかにしてくれるような気がした。芦沢はコーラを飲んだあと、ベンチの背もたれに右腕を置き、足を組んで、身体を私のほうに向けている。
私と、芦沢、間を取って座っていた隙間が少しだけ縮まった。
「――先送りしたいの」
「先送り?」と芦沢に聞き返されたから、私は小さく頷いた。
「面倒な問題とか、自尊心の回復とか、世界滅亡時計の秒針が進んだとか、そういうのがものすごくどうでもいいの。今は」
「なるほどね。そういう休みだったんだ」
芦沢はまるで私のすべてをわかった風にそう答えた。このまま、抱きしめられるんじゃないかって一瞬、思ったけど、そんなことは起きなかった。
「死へ向かって、生きるだけだからな。人生って」
「深いようで浅いね」
私は皮肉を込めて、そう返した。
「そんなもんなんじゃない。いじめられているのは気の毒だと思うよ」
「じゃあ、どうにかしてよ」
「いや、悪いけど、それは無理だわ」
「最低だね」
「そう思うなら、そう思えばいいよ。俺はただ、菜七子ちゃんと話がしたかっただけだから」
芦沢はそう言ったあと、コーラの缶を口づけ、一気に飲み干した。だから、私もコーラを一気に半分くらい飲み込んだ。
「俺らの人生って結局、ベルトコンベアなんだよ。だから、俺はベルトコンベアから降りて、ベルトコンベアのオペレーターを襲いたい気持ちを抑えて、好き勝手に人生楽しみたいなって、俺は思ってるんだ。そのなかの一部として、菜七子ちゃんと話したいって思っただけ」
芦沢は左手に持っていたコーラの缶をぐしゃっと潰したから、芦沢のこと、信用していいのかなって、ほんの少しだけ思った。
手を繋いだまま、図書館の先にある海浜公園に着いた。なぜか、芦沢は自販機で缶コーラを買ってくれた。海と砂浜が目の前に広がるベンチに座った。見え透いた下心。いい人ぶりたい自意識過剰。どんな目的なのか、芦沢の正体がわからないまま、コーラを開けた。コーラはいつものようにガスが一気に抜けて、膨らんでいた缶が一気に緩むのを感じた。
「お礼くらい言えよ」
芦沢も私にあわせて、コーラを開けた。ガスが抜ける涼しい音。別に、ナンパされて、無理やり手を繋いでここまで連れてきたクセにお礼まで要求するなんて、面倒なやつだなって、ちょっとだけ思ったけど、せめてもの詫び品がコーラだとしたら、まあ、いいかって思ってしまったこともあり、ちょっとだけ自分が嫌になった。
レンタル彼氏、いや、レンタル彼女なのか私は。そういえば、去年の秋頃、つるんでた友達、カナが彼氏に先っぽだけってお願いされたけど、無理やりゴムをつけたってゲラゲラ笑いながら話していたことを思い出した。だけど、その数ヶ月後、カナは妊娠して退学した。
もう、先っぽどころの話ではなくなってしまった。
6月の始まりの午後、こうして、誰もいないビーチを眺めるのは少しだけ、気持ちがよかった。
「――ありがとう」
不本意だけど、芦沢がコーラを買ってくれた事実は変わらないから、そう適当に返しておいた。
「じゃあ、かんぱーい」と芦沢はそう言って、一方的に私の缶に自分のコーラを当ててきた。コツと缶は鈍い音を立てた。そして、芦沢はコーラを飲み始めた。
別に乾杯にあわせたわけじゃないけど、私もコーラを一口飲んだ。
「毎日、きついな」
は? お前はきつくないだろって思ったけど、その思いをぐっと飲みこんでもう少しだけ、話を聞いてみようと思った。
「――きつくはないでしょ」
「え、菜七子ちゃん、めっちゃきつそうじゃん」
「――5月病、こじらせてるだけだから」
「こじらせ女子か」
人からそう言われると腹が立つ。もしかしたら、こいつから声をかけられることなんて、ほとんどありえないことだから、もしかしたら、この二人きりでいるところをこいつの取り巻きが動画を撮って、ネタにしているのかもしれないって。ふと思った。学校で水曜日のダウンタウン的な展開になったら、最悪だ。節度がない猿が真似ると悪質になる。
「動画とか撮ってるんじゃないの」
「は? なに言ってんの」
「――私に声かけるとか、どういう神経してるの?」
こんなブスに声かけるなんてどうかしてる。
「お前さ、なに勘違いしてるの」
「ありえないでしょ。芦沢が私に都合よく声かけるなんて」
「――俺だって、そうだよ」
その返しが意味不明だった。マジで、何言ってるんだこいつ。
「あ、その。違うわ。そうじゃなくて」
たぶん、顔に表情が出ていたのかもしれない。芦沢は少し慌てたようにそう言った。私は黙ったまま、コーラをもう一口飲んだ。
「俺だって、今日、菜七子ちゃんに会うつもりなんてなかったってことを言いたかっただよ」
「へえ」
コーラ、飲み終わったら、さっさと帰ってしまおう。そして、今日のこともなかったことにしよう。TVerでドラマみて。
「だから、悪ふざけとかじゃないってことは保証するから。ほら」
そう言って、芦沢は右手の小指を私の前に差し出した。は? と思ったけど、私は右手で小指を結び、指切りをした。なにこれ。
「よし、いい子だね」
「バカにしないでよ」
無神経な芦沢の言葉にだんだんイライラしてきた。だけど、芦沢はそんなの気にしている様子もなく、からかって気持ちがいいかのように笑っていた。
「もっと、会話できないやつなのかと思ってたけど、やっぱり、普通じゃん。菜七子ちゃんって」
「さっきから、馴れ馴れしいんだけど」
「いいじゃん。さっきから、俺のこと、警戒しすぎだよ。ま、それがかわいいんだけど」
「さっきから、なに口説いてきてるの。いじめられっ子のことを」
「え、タイプだから。俺、そういう細かいこと、気にしないんだよね」
こいつ、バカなのか――。私は呆れて、ため息をついた。もし、私が今、突然、芹沢にキスをしたら、どんな反応するんだろう。
「だから、助けるとか、そんなことはしないよ。だって、それは本人の問題じゃん。俺は楽しくやっていれば、それでいいと思ってるだけだから。だけど、耐え切れなさそうにみえたから、言葉は聞くよ。菜七子ちゃんの」
おだやかな波の音が聞こえる。海は午後の黄色い日差しで白くキラキラしていて、その不規則さが心をおだやかにしてくれるような気がした。芦沢はコーラを飲んだあと、ベンチの背もたれに右腕を置き、足を組んで、身体を私のほうに向けている。
私と、芦沢、間を取って座っていた隙間が少しだけ縮まった。
「――先送りしたいの」
「先送り?」と芦沢に聞き返されたから、私は小さく頷いた。
「面倒な問題とか、自尊心の回復とか、世界滅亡時計の秒針が進んだとか、そういうのがものすごくどうでもいいの。今は」
「なるほどね。そういう休みだったんだ」
芦沢はまるで私のすべてをわかった風にそう答えた。このまま、抱きしめられるんじゃないかって一瞬、思ったけど、そんなことは起きなかった。
「死へ向かって、生きるだけだからな。人生って」
「深いようで浅いね」
私は皮肉を込めて、そう返した。
「そんなもんなんじゃない。いじめられているのは気の毒だと思うよ」
「じゃあ、どうにかしてよ」
「いや、悪いけど、それは無理だわ」
「最低だね」
「そう思うなら、そう思えばいいよ。俺はただ、菜七子ちゃんと話がしたかっただけだから」
芦沢はそう言ったあと、コーラの缶を口づけ、一気に飲み干した。だから、私もコーラを一気に半分くらい飲み込んだ。
「俺らの人生って結局、ベルトコンベアなんだよ。だから、俺はベルトコンベアから降りて、ベルトコンベアのオペレーターを襲いたい気持ちを抑えて、好き勝手に人生楽しみたいなって、俺は思ってるんだ。そのなかの一部として、菜七子ちゃんと話したいって思っただけ」
芦沢は左手に持っていたコーラの缶をぐしゃっと潰したから、芦沢のこと、信用していいのかなって、ほんの少しだけ思った。