次の日。
色々なことを考えていたら結局一睡もできず、隈を抱えたまま異様に早く学校に来てしまった。
今日は一番だろうかと考えながら静かな廊下を歩き、がらりとドアを開ける。


「……………あ」


すると教室内には先客ーーーーー伊吹くんがいて、私は思わず声を出した。
口を抑えて一歩後ずさると、彼はその音で私に気づいたらしく、視線をちらりと私に向けた。


「………こないの?」
「あ、はい行きます」


怪訝そうな顔で尋ねる伊吹くんに何も言えなくなり、昨日から考えていたセリフとかがすべて吹っ飛んでしまう。
一歩教室へ踏み入ると、廊下よりも少しだけ暖かい空気が頬を撫でた。

それからぎこちなく自分の席へと向かうと、彼の隣が自分だということに気づく。


(えっ…………と)



私の苗字は青山だ。つまり、出席番号一番。
生まれてこの方一番じゃなかったことが全くないので勘違いのしようがない。

そして、彼の苗字は伊吹。ア行であり、最も私に近い番号。
体を動かさずに視線だけ座席表へと向ける。
番号だけで記されたそれには、出席番号一番の隣にしっかりと二番という文字が書かれていた。

事実であることを認めるしかなく、一か月座っている自分の席へと腰を下ろす。
隣ではカリカリというシャーペンの音が絶えず聞こえていて、私は彼に倣って筆記用具をカバンから取り出した。

その拍子に、カタンという小さな音が鳴ってしまい、思わず身をすくめる。
様子を窺うように伊吹くんを見ると、ちょうど彼もこっちを見ていたらしく、顔が私へと向いていた。


「………あのさ」
「あ、はい」
「昨日は、悪かった」
「………………え?」


おおよそ彼には似つかわしくない言葉に目を瞬く。
伊吹くんはシャーペンの上を自身の顎につけ、口をへの字に曲げていた。


「ちょっと、カッとなってて。お前には関係ないのに、悪かった」


それは、昨日怒鳴られたことよりも、今気まずそうにされていることよりも、「関係ない」という言葉が深く胸に突き刺さった。
俯いて押し黙った私に何を思ったのか、伊吹くんは続けて喋る。


「だから………………青山?」
「え……あ、ごめん。大丈夫だよ。なんでもない」


久しぶりに名前を呼ばれたことにより我に返り、笑顔を返す。
その笑顔に伊吹くんは何かを言いかけるように口を小さく開いたが、結局は何も言わずに口を閉じた。

それから気まずい沈黙の時間が続き、カリカリという二人分のシャーペンを動かす音だけが聞こえる。
数学の予習を最後まで終わらせたところで時計を見ると、いつもならとっくにクラスの半分が教室にいる時間だということに気づいた。
だが、教室内には伊吹くんと私以外誰もいない。

まさかという嫌な予感は抱きつつも、さすがにそこまではという疑問の気持ちもわいている。
椅子から急いで立ち上がって先ほどーーーーーと言っても一時間ほど前に開けたドアを再び開いた。


「「「「あっ」」」」」


すると好奇心に満ち溢れた十以上の二対の顔が見え、私は思わずため息をついた。







◇◇◇







「本っ当にごめんってばーー!さっきからずっと謝ってるじゃん!それに、広まってた噂も収拾してきたのに!」
「当たり前でしょ」
「遥~。助けて~」
「ごめん、このことに関しては擁護できないかな」
「そんなぁ」


意外と辛口な遥がすげなく断ると、朱莉はがっくりと肩を落とした。
私は次の時間の準備を机から取り出しながら、手を合わせる朱莉を眉を顰めて見つめた。


「もう、私たちは何にもないって言ってるのに」
「でもさぁ」
「朝ちゃんと見たんでしょ」
「そうだけど、そうだけど!」


それでもなんか二人にはただならぬ関係がある気がするんだよ!という朱莉に対し、遥は私を苦笑いで見つめる。
ため息をついて「次は移動教室だよ」と急かすと、朱莉は諦めたように伸びをした。








昼休憩になり、私はいつも通りお弁当を取り出す。
二人分という慣れてきた重さは、私の心情と同じようにずっしりと感じた。

さてどうしようと隣人を見ると、彼は私を一瞥したのちに立ち上がった。


「行くぞ」
「あ、はい」


そして差し伸べられた手に思わず自身の手を重ね、いつもの場所と思われる目的地へと歩いていく。
後ろで微妙な顔をしている遥と混乱しているような朱莉に「お昼はいつも通り二人で食べてて」と声をかけた。
当たり前のように繋がれている手に視線を向けるが、それは一向に放される気配はなかった。
微かに上気する頬を反対の手で押さえると、ひんやりとした感触に少しだけ冷静になる。


(平常心、平常心)


そうして自分の感情を必死で制御している間に、水面下で再び噂が広がっていることなど、私たちは知る由もなかった。