ジクジクと痛む胸を抑え、私はドアの前に寄りかかる。
拳を握り込み、私はドアの前に寄りかかる。
(……さっきの、男の子の話)
話している先生でも、とても辛そうだった。
なら、その男の子はどれだけの絶望や悲しみだったんだろう。
それは、とても想像できないくらいの痛みだ。
さっきまで曇っていたはずの、今は憎たらしいくらい澄み渡った空を見上げて、私は何度か深呼吸をする。
痛まないはずの胸が、なぜかじくじくと痛みを訴えた。
それが鬱陶しくて胸を掴むと、掴んだシャツに皺が寄る。
邪魔だったリボンを放り投げ、私はその場にしゃがみ込んだ。
シャツ越しに、自分の胸に爪を突き立てる。
呻き声を漏らしながらも、私は止めることができなかった。
痛い、痛い、痛い。
でも、どこが痛いと聞かれたら、私は答えることができない。
いらない、感情なんて。
だって、無い方がずっとずっと、楽だから。
苦しまなくていい。悲しまなくていい。
胸の痛みやドロドロとしたものを抱えながら、笑顔を貼り付けていることに罪悪感も感じなくていい。
渦巻く感情を、しゃがみ込んで必死で抑える。
激情の渦になんとか蓋をしてため息をつくと、なぜか今までの何十倍も胸が酷く重くなった。
◇◇◇
感情が収えながら、どれくらいしゃがんでいたのだろう。
いつのまにか、私は廊下で眠りこけていた。
まだぼんやりしている意識の中で、胸が重いことには気づかないふりをする。
ごしごしと目を擦っていると、ダンッ!!という音がした後、誰かの怒号がした。
いや、誰かのでは無い。
これは、伊吹くんの声だ。
怒っているのに、どこか悲痛な叫び声。
いてもたってもいられずに、私は立ち上がってドアノブを掴む。
だけど、次の瞬間とっさにドアから後ずさった。
そしてドアの前から離れた途端、反対側から勢いよく扉が開く。
「…………お前」
「……い、ぶきくん」
少し驚いたように一瞬目を見開いた後、顔を俯かせて「どけ」と言う。
「で、でも」
「いいからどけ」
そこに、追いついた宮野先生が、酷く辛そうに声をかけた。
「伊吹」
「どけって言ってんだろ!」
口を歪めて肩で息をする伊吹くんをみて、私は直感でこう思う。
ーーーああ、伊吹くんは、私と同じだ。
モザイクがあって見えないけれど、きっと私たちの瞳はーーー昏く淀んでいる。
◇◇◇
「ただいま」
誰もいない家に向かい、俺はぽつりと呟く。
十年前のあの日から帰ってこない返事は、もう慣れたと思っていた。
当たり前の日常をあれほど渇望していたはずなのに、いざ大事な人なしで進む時を目の当たりにすると、それに大きな恐怖を感じた自分に嫌気がさした。
「結局、俺はあの日から変わらないまま、か」
そう言って自分を嘲笑し、カバンを放り投げてベッドに寝転がる。
昔仲が良かった年上の男が言っていた言葉が脳裏に蘇った。
『お前は、変わるべきだ』
あの時はとっさに反論したが、本当はわかっている。自分が一番わかっているからこそ、その選択肢から俺は逃げ続けているのだ。
過去のことは、割り切るべきだ。十年も月日が経っているのなら、なおさら。
だが俺は、それを選ばない。
どれだけ滑稽で愚かでもいい。ただ俺は、大事な人との思い出を守るだけ。
静かな部屋に、何十度も、何百度も聞いてきたことを問う。
「俺はこれであってるよな………ばあちゃん」
そして今日も、その答えは返ってこない。
拳を握り込み、私はドアの前に寄りかかる。
(……さっきの、男の子の話)
話している先生でも、とても辛そうだった。
なら、その男の子はどれだけの絶望や悲しみだったんだろう。
それは、とても想像できないくらいの痛みだ。
さっきまで曇っていたはずの、今は憎たらしいくらい澄み渡った空を見上げて、私は何度か深呼吸をする。
痛まないはずの胸が、なぜかじくじくと痛みを訴えた。
それが鬱陶しくて胸を掴むと、掴んだシャツに皺が寄る。
邪魔だったリボンを放り投げ、私はその場にしゃがみ込んだ。
シャツ越しに、自分の胸に爪を突き立てる。
呻き声を漏らしながらも、私は止めることができなかった。
痛い、痛い、痛い。
でも、どこが痛いと聞かれたら、私は答えることができない。
いらない、感情なんて。
だって、無い方がずっとずっと、楽だから。
苦しまなくていい。悲しまなくていい。
胸の痛みやドロドロとしたものを抱えながら、笑顔を貼り付けていることに罪悪感も感じなくていい。
渦巻く感情を、しゃがみ込んで必死で抑える。
激情の渦になんとか蓋をしてため息をつくと、なぜか今までの何十倍も胸が酷く重くなった。
◇◇◇
感情が収えながら、どれくらいしゃがんでいたのだろう。
いつのまにか、私は廊下で眠りこけていた。
まだぼんやりしている意識の中で、胸が重いことには気づかないふりをする。
ごしごしと目を擦っていると、ダンッ!!という音がした後、誰かの怒号がした。
いや、誰かのでは無い。
これは、伊吹くんの声だ。
怒っているのに、どこか悲痛な叫び声。
いてもたってもいられずに、私は立ち上がってドアノブを掴む。
だけど、次の瞬間とっさにドアから後ずさった。
そしてドアの前から離れた途端、反対側から勢いよく扉が開く。
「…………お前」
「……い、ぶきくん」
少し驚いたように一瞬目を見開いた後、顔を俯かせて「どけ」と言う。
「で、でも」
「いいからどけ」
そこに、追いついた宮野先生が、酷く辛そうに声をかけた。
「伊吹」
「どけって言ってんだろ!」
口を歪めて肩で息をする伊吹くんをみて、私は直感でこう思う。
ーーーああ、伊吹くんは、私と同じだ。
モザイクがあって見えないけれど、きっと私たちの瞳はーーー昏く淀んでいる。
◇◇◇
「ただいま」
誰もいない家に向かい、俺はぽつりと呟く。
十年前のあの日から帰ってこない返事は、もう慣れたと思っていた。
当たり前の日常をあれほど渇望していたはずなのに、いざ大事な人なしで進む時を目の当たりにすると、それに大きな恐怖を感じた自分に嫌気がさした。
「結局、俺はあの日から変わらないまま、か」
そう言って自分を嘲笑し、カバンを放り投げてベッドに寝転がる。
昔仲が良かった年上の男が言っていた言葉が脳裏に蘇った。
『お前は、変わるべきだ』
あの時はとっさに反論したが、本当はわかっている。自分が一番わかっているからこそ、その選択肢から俺は逃げ続けているのだ。
過去のことは、割り切るべきだ。十年も月日が経っているのなら、なおさら。
だが俺は、それを選ばない。
どれだけ滑稽で愚かでもいい。ただ俺は、大事な人との思い出を守るだけ。
静かな部屋に、何十度も、何百度も聞いてきたことを問う。
「俺はこれであってるよな………ばあちゃん」
そして今日も、その答えは返ってこない。