荷物を取りに教室に戻る頃にはすっかり外は暗くなっていて、廊下に灯る蛍光灯の白がやけに眩しく感じた。
廊下には生徒の姿は見られず、時折グラウンドから聞こえる野球部の声と私の足音だけが響いている。
教室のドアを静かに開けると、凍てついた風が肌を突き刺した。先程までいた英語科準備室の寒さなんて比べものにならない冷たい空気に、「さぶっ」と思わず声がこぼれる。
窓が開いていて、ベランダに制服を着た男子生徒の姿が見えた。ドアを開ける音に反応したのか、男子生徒がゆっくりとこちらを振り向く。
短く切られた黒髪が、小さく風に揺れていた。
「あれ、市ヶ谷。まだ残ってたんだ」
そこにいたのは、クラスメイトの荒井渉希くんだった。
寒さに顔を歪めていた私に気づき、彼は室内に戻ると静かに窓を閉めた。
彼は窓際の列にある自分の席に座り、「外寒いよなぁ」と話しかけてくる。荷物を取りに来た私も、流れるまま同じように席についた。
荒井くんの、隣。
半年前にくじ引きで行われた席替えで、私たちはたまたま隣の席になった。
「なんか先生に頼まれてたとか?」
「あ……えっと、うん。瀬戸先生に」
荒井くんが「あー……」と声をこぼす。心なしか、表情が曇ったような気がした。
「結構仲良いよね? 市ヶ谷と瀬戸先生って」
「うまく使われてるだけだと、思うけど」
「……好きとかだったりして」
小さく呟かれたそれに、私は「え?」と聞き返す。聞こえなかったわけじゃないけれど、言葉の意味はすぐに理解できなかった。
瀬戸先生と仲良いよね。好きとかだったりして。
……いやいや、ありえない。
私と瀬戸先生はただの顧問と生徒にすぎないのだ。瀬戸先生にとって私は雑用を頼むにはちょうど良い生徒で、私にとって先生は自分の話ができる貴重な人。
とはいえ、仲が良いと言えるほど、たくさん会話を交わしているわけでもない。
しいて言うなら、私たちの間に絶対結婚できない者同士という共通点があるだけだ。
「いやそんなわけ……」
「ごめん嘘、今のなし。あるあるだよね、顧問が部員頼りがちなの。そんで断る理由がないのも憎い」
否定しようとしたところに被せてそう言われ、私は「あ、うん、だよね」とぎこちない返事しかできなかった。
最後の日までお疲れさま、と言われたので、ありがとうと短く返す。
私たちの会話のキャッチボールは、荒井くんから投げられる球のほうが少し速い。
「荒井くん……は」
「あー、俺はべつに何も用事はないんだけどさ。今日で学校来るの実質終わりなわけじゃん。だからなんか名残惜しかったっつーか。高校生終わっちゃうんだなあって思ったら、今日が終わってほしくなくて」
「自分で言っておいて恥ずいかも」と照れたように彼が言う。
荒井くんってそういう顔もするんだ、と、他人事のように思った。
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