違う。同じじゃない。僕は千尋のように自由には生きられない。パスポートは?預金は?僕は何も準備してきていない。二人でどうやって生きていく?何の罪もない僕の家族を捨てられるか?僕が失踪したら心配や迷惑をかけてしまう人がいるのでは?ずっと好きだった女の子からの愛の告白を前にして、僕は常識という首輪を外すことができない。
僕と千尋は同じではない。千尋は一つ、大きな誤解をしている。僕は、千尋の手を離した。
「青い方が、僕の本当の目の色なんだ」
僕は、日本人の父とイギリス人の母との間に生まれた。日本で生まれて、日本で暮らすのだから、日本人らしい名前をつけてほしかった。一目で外国人と分かってしまう青い目が嫌いだった。色素の薄い髪を何度黒く染めたいと思ったか分からない。平均点がとれない国語の授業が苦痛だった。個性を殺して、周りに溶け込もうと必死だった。
黒い瞳は、僕の中の異端の部分を塗りつぶしたいという願望の表れだ。大海原を求め、自由を選んだ青い瞳の千尋とは、生きていく世界が違う。普通であろうとする僕といる限り、きっと千尋は真の意味で自由にはなれない。
「僕の心は、真っ黒だ。だから、一緒には行けない」
僕は千尋を引き留められない。束縛を嫌う千尋は、人の行動を縛らない。だから、僕を無理矢理連れて行くことはない。僕は可哀想な猫を飼い殺す王様にも、道端の猫を無邪気に追いかける少年にもなれない。
「じゃあ、亜漣の心の色は思い出の色だね。私たちが恋人同士だった夜の色」
僕たちは一夜かぎりの恋を過去形にする。現代のシェヘラザードの語る物語の続きを聞くことは、永遠にない。
「たくさん人の目を見てきたけど、私は亜漣の本当の瞳の色が一番好きだよ」
誰よりも美しい瞳を持つ恋人が、僕の両目の色を肯定してくれた。それだけで僕は生きていける。
「私のこと、忘れないでね」
千尋は振り返らずに歩いてゆく。僕たちは確かに恋人だった。でも、猫は人間に執着しない。僕がいなくても、千尋は幸せになれる。それでも、お姫様気質の君は、君を忘れることを決して許してはくれない。僕はきっと、千尋の面影に執着し続けるのだろう。
夏の朝は早い。空が明るみ始めた。浜辺の足跡は消えない。僕の心に残された足跡も永遠に消えないのだと思う。
昨日の鈴虫の声は幻だったとでも言うように、蝉が求愛の合唱をする。一人きりで合宿所へと歩いた。道中のカーブミラーに映った僕の顔を見る。千尋と僕の瞳の色は、同じではなくて鏡映しだったのだと今更ながら気づいた。
僕と千尋は同じではない。千尋は一つ、大きな誤解をしている。僕は、千尋の手を離した。
「青い方が、僕の本当の目の色なんだ」
僕は、日本人の父とイギリス人の母との間に生まれた。日本で生まれて、日本で暮らすのだから、日本人らしい名前をつけてほしかった。一目で外国人と分かってしまう青い目が嫌いだった。色素の薄い髪を何度黒く染めたいと思ったか分からない。平均点がとれない国語の授業が苦痛だった。個性を殺して、周りに溶け込もうと必死だった。
黒い瞳は、僕の中の異端の部分を塗りつぶしたいという願望の表れだ。大海原を求め、自由を選んだ青い瞳の千尋とは、生きていく世界が違う。普通であろうとする僕といる限り、きっと千尋は真の意味で自由にはなれない。
「僕の心は、真っ黒だ。だから、一緒には行けない」
僕は千尋を引き留められない。束縛を嫌う千尋は、人の行動を縛らない。だから、僕を無理矢理連れて行くことはない。僕は可哀想な猫を飼い殺す王様にも、道端の猫を無邪気に追いかける少年にもなれない。
「じゃあ、亜漣の心の色は思い出の色だね。私たちが恋人同士だった夜の色」
僕たちは一夜かぎりの恋を過去形にする。現代のシェヘラザードの語る物語の続きを聞くことは、永遠にない。
「たくさん人の目を見てきたけど、私は亜漣の本当の瞳の色が一番好きだよ」
誰よりも美しい瞳を持つ恋人が、僕の両目の色を肯定してくれた。それだけで僕は生きていける。
「私のこと、忘れないでね」
千尋は振り返らずに歩いてゆく。僕たちは確かに恋人だった。でも、猫は人間に執着しない。僕がいなくても、千尋は幸せになれる。それでも、お姫様気質の君は、君を忘れることを決して許してはくれない。僕はきっと、千尋の面影に執着し続けるのだろう。
夏の朝は早い。空が明るみ始めた。浜辺の足跡は消えない。僕の心に残された足跡も永遠に消えないのだと思う。
昨日の鈴虫の声は幻だったとでも言うように、蝉が求愛の合唱をする。一人きりで合宿所へと歩いた。道中のカーブミラーに映った僕の顔を見る。千尋と僕の瞳の色は、同じではなくて鏡映しだったのだと今更ながら気づいた。