それから私は、自分を偽ることをやめた。少しずつだけども、本心を曝け出していった。

 例えば、課題研究の内容を決める時。

 私のグループは、生物の研究をするか化学の研究をするかで迷っていた。その割合は、3対2。

「生物の方がいいって!近くにいる生き物とかを捕まえてくればいいんだよ!」
「でもさ、生き物を扱うのは難しい気もするよ。だったら洗剤とかの成分を調べたりする方がやりやすい気がするんだけど」
「えー、なんかつまらない」
「でもさ……」

 激しく議論を進める二つの派閥。その中間にいる私。口論が飛び交って、声を挟む間もない。

「生物にしようよ!楽しそうだし!」
「結局それじゃん!もうちょっと先を見越して考えてよ」 
「えー、どうにかなるって」
「どうにかって……あ、そうだ。ねぇ」

 誰かが思い出したように顔を上げる。そして。

「葉真華はどうなの?」

 唐突に向けられる質問に、静かに息を呑んだ。自分に集まる鋭い視線に心臓が縮こまる。

「どうって……?」
「葉真華は、どっちがやりたいのかってこと。今まだ意見を言ってないのは葉真華だけだから」

 うんうん、と私を除いたグループのみんなが頷く。てっきり、観衆目線になっていた。グループ内にいる自分の存在をすっかり忘れていた。

「うーん……」

 腕を組んで頭を抱える。どっちの言い分も正しい、とは思う。間違いとかはないし、それぞれに思いや考えがあるからぶつかる。

「どっち?葉真華はどっちの研究をやりたい?」
「生物!生物だよね!?」
「ちょっとうるさい……」

 目を閉じて思考を巡らせても、頭のモヤは拭えない。

 今までなら、即座に答えられていた。「どっちでもいい」、と。もしくは、人数の多い方に意見を合わせていた。そっちの方が対立がなくなって楽だから。

 そう、つまり、今なら生物の方に賛成するのがいい方法。そうすれば、一瞬にして決まる。対立なんてあっという間に終わる。

 だけど、それは私の意見じゃない。周りの意見を聞いて合わせるんじゃ意味がない。

 暗い視界の中で考えを巡らせた後、注目しているみんなの顔を見回す。

「私は化学がいいな」

 はっきり言い切る。みんなは目を丸くした。驚きこの上ない、といった表情を浮かべている。

「……えっと、か、化学?」
「そう、科学がやりたい」

 躊躇いなく意見を述べる私を、私じゃないみたいな目で見てくる。その視線は、少し痛くて気持ち悪かった。だけど、私は間違ってない。

「そ、そっか……。じゃあ、同じ人数になったし尚更考えなきゃね……」
「う、うん、そうだね」

 誰もが戸惑いを隠せていない表情になり、流石に胸が痛んだ。けれどもそれは、今までよりずっと楽な感覚だった。


 例えば、日直が黒板を消し忘れていた時。

 白いチョークの粉が緑色にこびりつき、それ以上は文字を書けないという極限状態にも関わらず、担当の男子らは遊んでいた。

「おいお前それ取んなって!」
「ははっ、これいいやつじゃん見せろよ」
「返せよ!」

 なんて言い合いながら笑い声を振り撒く彼らを、私は静かに眺める。が、ついに我慢できなくなって立ち上がった。

 うるさい奴ら。仕事ぐらいちゃんとしろよ。そんな怒りを抑えつつ、黒板の前まで来てくるりと回った。教室の中がよく見える。

「ちょっとそこの男子!」

 私は声を張り上げる。戯れていた奴らの動きが止まる。飛び交っていた話し声が途絶える。クラスメイトの視線が余すことなく私に集まったのが分かった。

「黒板、綺麗にして」

 至って真面目な表情で言ったつもりだった。が、彼らは驚きから一転、へらりと笑うだけ。

「えー、面倒くさいし。どうせ先生がやるでしょ」
「迷惑だって分からないの?」
「そんなに言うなら葉真華が消してくれよ」

 男子の一人が当たり前のように言った。地球が回るみたいに、そう言えば全て片付くと本気で思ってるみたいで。

 今までの私だったら、「しょうがないなぁ」なんてわざと呟いて黒板を貸してあげていた。

 でも今は違う。そんな都合のいい、召使のような人間じゃない。
 
「日直の仕事でしょ?人に任せっきりにしないで」

 思ったこと、そのまんま口にした。男子らは先ほどよりもより大きく目を見開いて、空いた口が閉じない様子になる。

 その間に、私は黒板消しを持って行って彼らに握らせた。

「ほら、さっさとやる。もうすぐ授業始まるよ」
「わ、分かったよ……」

 呆気に取られたまま、それでも男子らは黒板を消し始める。背後からは、なんとも言えない視線がずっと刺さっていた。

 やがて、不満そうな男子たちは白い文字を消し終え、私に憎らしそうな視線を送りながら戻る。

 恨まれたかもしれない、なんて思う。でも、私は私の意見を言っただけだから。今までのように苦しみが込み上げてくることはない。

「よし」

 清々しい思いのままに頷いて、私はトイレに向かった。スマホを片手に個室に入って、静かに鍵を閉める。狭い空間に、自分一人きり。誰にも見られない、安全な状況でLINEを開く。

 トークの部分、一番上にあるオープンチャットのグループをタップして、メニューボタンを押した。

 現れる「退会」の文字。
 
 伸ばした指が、いつの間にか震えていた。押そうとして、だけど今までのことを思い出して少し躊躇う。

 私の心の声を聞いてくれた、唯一の存在。胸の内に蓄積される悪いものを吐き出すことが許された、特別な場所。そんなところを失うのは、正直寂しい気もする。

 でも、このまま立ち止まっててはいけない。やはり、一歩を踏み出さなきゃいけない。

 それに。

「私はもう、大丈夫だ」

 分かってくれる仲間がいる。ありのままの私を受け入れてくれる仲間がいる。もう、昔のようなことにはならない。

「さよなら」

 感謝と蕭索(しょうさく)を胸に、「退会」のボタンをそっと押して、そのグループのアイコンは目の前から消え去った。