「やっぱり、ここにいたんだ」

 校庭の隅にある木陰の下、ベンチに座っている影に声をかける。

「なんだよ、急に」

 その影は不満そうな声を漏らしながら振り向いた。

「探してたんだよ、彰夜」

 言いながら彼の隣に腰掛けた。ここは、いつ来ても涼しくて心地よい、落ち着く場所。

「なんで探してたんだよ。俺に言いたいことでもあったのか?」
「うーん、そうだね……」

 言いたいことは、ある。というより、それを言うためだけに彼を探していたものだから。

「あのさ……」

 切り出してみるも、その後に言葉が続かない。言いたいことがちゃんとあるのに、口を開こうとすると動悸が激しくなる。そのせいで、口籠る。

「っ……」

 だめだ、なんでだろう。どうしても言えない。不思議な感情が、その後の行動を阻めてくる。

「ないなら、俺行くから」
「えっ、ちょっと」

 彰夜は立ち上がって、木陰から出ようとする。その腕を、私は咄嗟に掴んだ。

「好き」

 唐突に口をついたのは、たった二文字だけだった。小川のせせらぎみたいに、口から流れ出た。

「私、彰夜のことが好きなんだ」

 ありがとう、とか、貴方のおかげだよ、とか、感謝よりも先に出てきた。でも、それこそ私が一番言いたかった言葉。伝えたかった想い。

「なんだよ」

 足を止めた彰夜が振り返る。すごく優しげな笑みを讃えて。

「言いたいことあったじゃん」

 ぐっと彼を掴む腕が引かれて、私は前のめりに体が傾いた。倒れる、と思った瞬間、ふわりと暖かさが抱き止めてくれる。

 驚いて目を開くと、私は彰夜の腕の中にいた。

「よくできました」

 ぽんぽんと、華奢な手が頭を撫でた。とても優しい手つきに、再び目を閉じて彰夜の温もりを全身で感じた。

「ねぇ、彰夜」
「何だよ」
「私と付き合って欲しい」

 彼の胸に顔を埋めて、私は言い放つ。こんなこと、自分の口から出るなんて思いもしなかったけど。

 恥ずかしさとか、後の恐怖とかは感じない。ただ、この想いをぶつけたい、その一心だった。

「……ごめん」

 彰夜は静かに私から離れる。体を包み込んでくれた暖かさが消えてしまった。

「えっ、なんで?」
「……」

 問いかけるも、彼は視線を外すだけで答えない。

「なんで、何か言ってよ!」

 堪らず叫んだ。もちろん、ごめんの一言にショックを受けているのは言うまでもない。けれど、それよりも彼が理由を話さない方が辛い。

「俺が言うこと、信じられるか?」
「はっ?」
「俺さ、お前みたいに本心を曝け出せない奴のところに行かなきゃならないんだ」
「何それ、それが理由だって言うの……?」
「……ああ」

 馬鹿げている。それは信じ難い内容で、嘘にしか思えなかった。だけど、彰夜の表情は真剣そのもので、信じざるを得なかった。

「そうなんだ。分かったよ。この気持ち、私だけだったんだね」

 初めての告白だった。こんなにも誰かのことを好きになるなんて、今までなかったのに。

 心の底から込み上げる悲しみに涙がこぼれ落ちそうになった時、また私の視界は遮られた。

「だけど、もし待ってくれるなら、いつか迎えにくる」
「えっ……?」
「だいぶ長くかかるかもしれない。でも、それでいいなら、俺はまた、お前に会いにくるから」
「なんで、そんなこと……」
「だって」

 彰夜は私の耳に顔を近づけて、そっと言った。

「俺もお前のこと、好きだから」

 耳から熱が全身に広がった。多分、今の私の顔は真っ赤だ。

「待ってて、くれるか?」
「……うんっ、もちろん待つよ」

 目頭が熱くなる。不安げな声で尋ねてきた彰夜の体にそっと腕を回した。彼の温もりがまたひとつ増える。

「ずっと待ってる。だから、ちゃんと来て。私、ずっとずっと彰夜を待つから」
「……っ!」

 彼の吐息が耳元で聞こえた。苦しそうな、悲しそうな、だけどその中に喜びも含まれていた。

 抱きしめられる力が強くなる。私も負け時と腕に力を込めた。

「絶対、葉真華を迎えに行くから」

 初めて、彰夜の方から私の名前が出てきた。ドカンと胸が高鳴って、不思議な高揚感に包まれる。

「うん、来てね、彰夜」

 だんだんと、彰夜の力だけが弱くなる。腕を回している感覚が、次第に薄れていく。まるで、空気に触れているみたいに。

「じゃあ、またいつか」

 彰夜がそう囁いた瞬間、私たちを囲むように突風が吹いた。思わず目を閉じて、風の刃をやり過ごす。すると、ふっと雲に触れるように、彰夜の感覚が消えた。

 風が止んで目を開けると、そこに彼の姿はなかった。抱きしめていた腕は、ただ何もない空に伸ばしてあるだけだった。

「彰夜?」

 愛おしいその人の名前を呼ぶも、返事はない。代わりに木の葉がざわめくだけ。

 彰夜はもう、行ってしまった。

 事実を確認した途端に、猛烈な空虚と寂しさが押し寄せてくる。満たされていた空間にぽっかりと穴が空いたような感覚に、どうしようもなく苦しくなる。

 涙が溢れ落ちそうになった。でも。

「ううん、違う。彰夜は、いるから」

 そう、世界から消えたわけじゃない。もう2度と会えないわけじゃない。絶対的に守られたこと、ではないかもしれないけど。それでも、彼はああ言ってくれたから。

 私はもう、一人じゃないから。

「ずっと、待ってるからね」

 そう呟いて、空を仰ぐ。吸い込まれそうなほど澄んでいて、奇跡だと思うほど美しい青空が、私の頭上には広がっていた。

 彰夜、あなたのおかげで、大嫌いなこの世界でも、少しだけ息がしやすくなった気がした。