次の日曜日、地元の神社で秋祭りが行われ、奉納演武が無事に終了した。

桜さんも緊張しながらも、抜刀術をしっかりと顔を上げてやり抜いた。本人は「気絶するかと思いました!」と、しばらく血の気のない顔をしていたけれど、入門半年であれだけできれば十分だ。

「椅子は足りてる? 炭はここにあるから」
「差し入れのビールでーす」

演武の後は門人一同、我が家の庭でバーベキューをするのが恒例だ。植木の中の家――要するに植木農家――なので、多少うるさくてもどこからも苦情は来ない。我が家に着く頃には桜さんも落ち着き、「バーベキューって初めてです」とにこにこしていた。

演武の参加者以外にも、うちの父、祥子さんの息子の巽くん、そして輝さんがいる。輝さんは演武の録画も引き受けてくれた。

俺はこの席で桜さんとの結婚を発表するつもりだ。桜さんは演武だけで気持ちがいっぱいいっぱいだったので、これについては確認していないけれど、おそらく問題ないだろう。両方の家族が集合していることだし。

「海老が凍ったままだけど?」
「お皿はどこ~?」

人と声が行き交う中、輝さんは物怖じせず元気に動き回っている。対して桜さんは勝手が分からずおろおろしていたが、いつの間にか母と祥子さんと一緒に食材の下ごしらえをしていた。坂井姉妹は高校生二人とおしゃべりに花を咲かせている雪香と違い、働いている方が落ち着くようだ。

準備が整い、全員それぞれに椅子に落ち着くと、哲ちゃんが立ち上がった。

「今年の演武もみなさんの努力と協力により、無事に終了することができました。お疲れさまでした。ただ今より恒例の打ち上げバーベキューを始めます。まずは乾杯!」
「かんぱーい!」

続けて宗家から一言……となったけれど、大方の注意はすで食べ物に向かっている。「今年は去年のような台風の心配もなく」などと口上を述べている祖父を尻目に、雪香と父が網に野菜や魚介を乗せるのに期待のこもった視線が集まっている。俺は毎年、炭担当だ。

「ピーマン多くない?」
「ホタテがいいなあ、ホタテ」

うきうきした声が飛び交うの中、かしこまって祖父の話を聞いているのは祥子さんと桜さん、そして輝さん。三人とも、祖父の話が終わるまで動けないだろう。

結婚の発表は食事がある程度進んだ頃合いで……かな。

「――ということで、門人それぞれに成長が見られたことを、宗家として誇らしく思います」

それぞれが皿に食べ物を取り始めたころ、祖父のスピーチも終わりに近づいた。終わったら、桜さんに食べ物を持って行ってあげないと。彼女のことだから、遠慮して食べ物に手を出せないのではないだろうか。

「さらに今日は、おめでたい発表があります」

――ん?

一瞬で全員の動きが止まった。誇らし気な祖父の顔に視線が集まる。何か賞でももらったのか?

「実は結婚が決まりまして、その報告を」
「えっ?!」

その場を衝撃が駆け抜けた。

忙しなく見合わせる顔と顔。桜さんが視線を送ってきたが、俺たちのことではない。俺は家族にはまだ伝えていない。

ということは、やっぱり祖父ちゃんが結婚? それは……まあ、本人の自由だけど、あまりにも予想外で――。

「哲也。ほら」

困惑が広がる中、祖父に呼ばれて立ち上がった哲ちゃん。ということは。

「なんだ、哲也さんか!」
「宗家かと思いましたよ~」
「まさか! 何言ってんだよ、あははは」

一気に空気が緩んだ。

哲ちゃんなら結婚すると言われても納得だ。そろそろ五十に手が届くとは言え、若々しいし、性格も申し分ない。逆に今まで結婚しなかったことが不思議だったほどで。

「え~、このまま独身で過ごすのかと思っていたのですが、思わぬ出会いから結婚へと一気に話が進みました」

さっきの乾杯よりも緊張した面持ちで哲ちゃんが口を開いた。

「何しろこの年なのでなるべく早い方が良いとはいえ、あれこれ準備も必要なので春に入籍します。あ、この家で暮らす予定です」

祖父と住んでいる古屋。あの家なら子どもが生まれても部屋数は十分だ。庭は遊び放題だし。

隣で祖父が何か囁くと、哲ちゃんは「分かってるよ!」と煩そうに遮り、一同を見回して「相手は」と言葉を切った。門人たちが静かに見守るその瞬間、視界の隅で動きが。ちょこちょこと横から出てきたのは――。

「輝ちゃんです」
「わたしでーす」

門人たちの悲鳴じみた驚きの声が響き渡った。

ガシャっという音に振り向くと、桜さんが椅子ごとひっくり返っていた。助け起こされながら、彼女は輝さんに向かって「何も言わなかったじゃん!」と叫んだ。輝さんは自分の姉にも黙っていたらしい。俺のことは疑って調べに来たくせに。

「だって、反対しないって分かってたもん」

しれっとした顔で言い返す輝さんの隣で、哲ちゃんが「申し訳ない」と穏やかに頭を下げた。そして微笑み合う姿は、親子ほどの年齢差はあっても紛れもなく恋人同士だ。

「風音、そっちの野菜の笊とって」

落ち着いた父の声。コンロの周囲にいたほかの面々は、哲ちゃんと輝さんの周りに移動して質問攻めにしている。

父に今回のことを尋ねると、知っていたと返された。昨日、輝さんが桜さんの家に戻る前に挨拶に来たと言う。同じ敷地とは言え哲ちゃんたちの家はうちとは離れているから、母と雪香は気付かずに終わったらしい。

「……祖父ちゃんの結婚じゃなくてちょっとほっとしたけど」

俺の言葉に父は笑った。でも……。

こっちの発表がしづらくなってしまった。あんなにインパクトの強い発表の後では二番煎じの印象を免れない。かと言って後日にしたら、「何故、あの時に言わなかったのか」と言われるに決まっている。べつに驚かせたいわけではないのだけれど……。

桜さんを見ると、哲ちゃんと祖父に妹の結婚相手とその親としての挨拶をされ、恐縮してペコペコしている。あの状況では「自分も」などと言い出すのはやっぱり難しそうだ。

でも。

言わねばならない。今日。

周りの感想など関係ない。この場を逃したら、ますます言い出しにくくなる。秘密にしておく意味もない。

そうだ。言ってしまえ! 一刻も早く!

「お、俺も結婚する」

言葉と同時に立ち上がっていた。

稽古で鍛えられた声はみんなのはしゃぎ声を圧して広がり、全員の注意がこちらに向いた。一瞬固まっていた桜さんが、我に返って慌ててやって来る。

「桜さんと結婚します! 俺たちも……春ごろ?」

最後の部分は桜さんに尋ねてしまった。彼女はうろたえながら「そ、そうですね」と答えた。そして、一同に向かって深々とお辞儀をした。

「それ、全然驚かないから!」

雪香の偉そうな声が響き、同意のうなずきの間から「予想ついてたよね」という声も聞こえてきた。

まあ、年頃から考えてもお似合いだと考えられていたのだろうと想像はつく。けれど、「おめでとう」の言葉も拍手も、さっきに比べると少しおざなりなのは淋しい……。

みんなの興味がすぐに哲ちゃんたちに戻ったので、桜さんに隣の椅子を勧めた。父とは先に初対面の挨拶だけを済ませていた桜さんは、今度は俺の結婚相手としてあらためて挨拶をした。

緊張している彼女に、父が返したのは「よろしく」のひと言だけ。照れているせいのようだが、愛想がない。桜さんの顔に弱気な影がよぎる。

俺が間に立たねば――と口を開きかけたとき、桜さんは「バーベキューは初めてなんです」と柔らかく微笑み、次の作業を父に尋ねた。以前、俺が銀行の窓口みたいだと感じた口調と微笑みだ。すると、父はたちまち打ち解けた様子で「じゃあ、取り皿とってくれる?」と手を差し出した。

その簡単なやり取りをみて納得した。あれは相手を安心させると同時に、彼女自身の緊張を隠す手段だったのだ。決して相手を遠ざけようとしているのではない。他人が苦手な桜さんが、慣れない相手と円滑なコミュニケーションをとるために身に付けた技だ。

「家族が一気に二人も増えるなあ」

俺たちに加わった祖父は缶ビールを手に、嬉しそうだ。

「しかも、息子と孫が同時に結婚するなんて、本当に目出度い。あはははは」
「結婚式も一緒にやるとか?」
「ああ、それもいいかも知れないなあ」

父と祖父のやりとりを、網の上のものを皿に取り分けていた桜さんは控えめに微笑んで聞いている。目立ちたくない彼女は結婚式は――特に披露宴は――しなくてもいい派なのだ。けれどたぶん、祖父が希望すれば、その気持ちを優先してくれるのだろう。彼女はそういうひとだ。

まあ、新郎新婦が二組ならみんなの注意は分散するし、式の内容を小ぢんまりするという方法もある。俺としては花嫁姿の桜さんを見られればいい。

「ね、大きい肉あったでしょ? あれ焼こうよ」

雪香が催促に来た。すかさず桜さんがクーラーボックスへと走り、分厚いステーキ肉のパックを持って来る。

俺が炭の調整をし、父が肉を網に乗せるのを、桜さんは興味津々で見守った。それを俺が目を細めて見ているわけで……。

大きな肉の登場で、一同が火の周りに集まった。取り皿をそれぞれに取って、またおしゃべりに花が咲く。

「お姉ちゃんが結婚したら、近所の人たちびっくりするかな?」

輝さんが尋ねている。桜さんは「たぶんね」と思案顔だ。

「わたしに相手がいるとは思われていないだろうから……」

そう答えた桜さんには申し訳ないけれど、俺は隣の人に姿を見られている。桜さんを送っていった翌朝、合鍵を託されて桜さんより後にあの家を出た俺は、家の前を掃除していた隣の人と挨拶を交わしたのだ。

女性ひとりで暮らしている家から男が出てきたからぎょっとしただろうし、挨拶をされたら身内かそれに近い者だと思ったはずだ。どちらにしても、印象に残っただろう。

――あ、そうか。

突然、彼女が近所の目をやたらと気にしていた理由が分かった。あれも、お母さんのことがそもそもの原因だったに違いない。

外に聞こえてしまうほどの怒鳴り声。家事をやっている様子のない母親。それらは、変だと感じれば、ある程度は事態を推測することができる。

けれど、桜さんは子ども時代からずっと、家の中のことを誰にも知られたくなかった。周囲には普通の家庭だと思っていてほしかった。そのために彼女は近所に対しても、模範的な娘を演じてきたのだろう。もちろん、お母さんを怒らせないためでもあったのだろうけれど。

――でも、あれは挨拶するのが正しかったよな。

朝に家からこそこそと出て行ったりしたら、それこそ桜さんの評判に傷がつく。挨拶したことで怪しさは軽減されたはずだ。これからも度々出入りするわけだし、俺も好印象を残しておくに越したことはない。

そのうち、俺が隣家に来ている植木屋の孫だったと分かったら、あの植木屋は仕事をしながら孫の結婚相手を探している、なんて言われてしまうのだろうか……。

まあ、そういうことも笑って事実を話せばいい。後ろめたいことなどないのだから。

結婚式も住むところも、具体的な話はこれから。忙しそうだけれど、きっと楽しい。俺たちの冒険の始まりだ。いったいどんなことに出会うだろう?

「この肉で結婚式のあれができるんじゃないですか? ほら、新郎新婦がケーキにやるやつ」
「あ、いいね! お母さん、ナイフどこ?」
「せっかくだから真剣で切ってみるとか」

結婚する当人よりもはしゃいでいる莉眞さんと雪香。

「みなさんが笑顔で祝ってくださって嬉しいです」

桜さんがおだやかな笑顔をこちらに向けた。

そうだ。とても嬉しく、幸せなことだ。

これまではひとりで、誰にも頼らずに、向かい風の中を歩いてきた桜さん。これからは、俺という味方がいることを覚えておいてほしい。

俺以外にもたくさん、桜さんが好きで、手助けしたいと思っているひとがいることを、忘れないでほしい。