ようやく建物を出ると、周囲は警官や消防士が入り乱れて、大騒ぎになっている。
「美晴さん、顔を上げちゃだめだよ」
 ゆずはそのまま、歩く気力がなくなっている美晴を引きずるようにして、人込みをかきわけて警視庁から離れた。大通りに出たところで、タクシーを呼び止める。

 その時、「おい、ちょっと!」と背後から声をかけられた。振り向くと、警官がこちらに向かって歩いて来る。
 ゆずはタクシーの後部座席に美晴を乗せて、「出してください」と運転手に指示を出した。
「ゆずちゃん?」
「美晴さん、ごめんね。私のせいで、こんなことになって。せめて、生き延びて。怜人さんの分も、生きてね」
 ゆずは美晴の耳元で囁いて、両手をギュッと握りしめた。
「ちょ、ゆずちゃん」
「早く出してください!」
 ゆずが体を離すとドアが閉まり、タクシーは走り出した。
 美晴は窓に張りつく。数人の警官がゆずに向かって走って来ているのが見えた。
 ゆずはかすかに微笑んで、美晴に手を振った。

 ――ゆずちゃん!

「お客さん、どちらに行くんですか?」
 運転手に言われて、美晴は「止めてください!」と言った。
「いや、ちょっと、すぐには止められませんよ。追い越し車線に入っちゃったし。警官がここには止めるなって合図してるし」
 道に沿って警官が数メートルごとに立ち並び、「ここには止めないで!」「ここは入れないから」と規制している。
「そんな」
 美晴は力が抜けてシートに沈み込んだ。
 
 ――どうしよう。どこかに止めて戻らなきゃ。

「お客さん、どうします?」
 そのとき、不気味なサイレンが鳴り響いた。
「火事かな?」
 運転手がつぶやいた、次の瞬間。

「緊急警報が発令されました、緊急警報が発令されました」
 機械的な声が街中に響き渡った。どうやら、街頭に設置してあるスピーカーからサイレンと音声は流れているようだ。
「緊急警報?」
 美晴はハッと体を起こした。
「ただいま、千代田区が攻撃されております。皆さん、落ち着いて行動してください。車を運転している方は、速やかに駐車して、車から降りてください」

 ――逃げられなくなる!

「止まらないで、千代田区から早く出てください!」
 美晴は運転手に指示する。
「え、でも、車から降りろって」
「大丈夫です、攻撃なんてされてないから! それよりも、早くここから逃げたほうが安全です!」
「そ、そうですか?」
 運転手は慌てて首都高に乗る。
「いったい、何なんですかね。何が起きてるんですか?」
「たぶん、そのうち、分かります」
「はあ。それで、どこに行けばいいんですか?」

 美晴は怜人の言葉を思い出した。
「二人でじっちゃんのところに逃げよう」
 
 ――茨城のその街に行ったら、駅でタクシーに乗るときに、本郷家の名前を言ったら連れて行ってもらえるって言ってた。

 美晴は、「すみません、茨城に行けますか?」と尋ねた。
「は? 茨城?」
「お金ならありますから」
「そりゃ、お金を払ってもらえるならいいですけど……でも、緊急何とかってのが出てるのに、このまま走ってて、大丈夫ですか?」
「都心から早く離れたほうが、巻き込まれずに済むと思います」
「なんだか分からないけど、おっかないなあ。それなら、都心を出るけど」

 ――ごめんね、ゆずちゃん、助けに行けなくて。どうか、どうか、無事でいて。

 美晴はそっと手を合わせて祈った。