「あなた、怜人を殺したの⁉」
 白石は顔をゆがめる。
「人殺し!」
「いや、俺じゃないよ」
「だって、あなたさっき、ここから出てきたじゃない」
「手をかけたのは俺じゃない。ここに入ってた囚人だよ」
「じゃあ、あなた、ここで何をしてたの?」
「とにかく、ここから逃げよう。あんたも危険なんだから」
 白石は美晴の腕をつかむ。
「いや、離して!」
 美晴は白石の手を振り払って、怜人にしがみつく。
「おいっ、いい加減、やめろって」
 白石はなおも二人を引き離そうとする。美晴が白石の身体を思いきり突き飛ばすと、よろけてしりもちをついた。

「ねえ、いつから裏切ってたの? いつから? ねえ、なんで? なんで怜人を裏切ったの?」
「仕方なかったんだ……っ! オレだって、こんなことしたくなかったっ」
 苦しそうに顔をゆがめる。
「借金が……賭けで負けて、1000万の借金を抱えることになって。ヤクザに脅されてたんだ。それを全部肩代わりしてくれるって言われたんだ」
「誰に?」
「……片田さん」
 美晴は全身に鳥肌が立った。
「何……どういうこと? 片田さんとつながってたの?」
 白石は頭を両手でかきむしる。
「だって……どうしようも、どうしようもなかったんだ! マンションも車も取り上げられそうになって、それしか……」
「1000万の借金のために怜人を裏切ったってこと? たかだか借金のために? 怜人の命を奪ったの?」

「オレは奪ってない。断ったんだ、オレは怜人を殺せないって。そしたら、手伝うだけでいいって言われて……それを断ったら、オレが殺される。オレ、ホントもう、ダメなんだよ。クスリをやってるところも撮られちゃったし。たぶん、あの賭け麻雀も片田さんが仕組んだんだろうし。あの人は怖い人だよ、ホントに。あんな人に歯向かっちゃいけなかったんだよ。だからこんなことにっ」

 美晴は白石を冷たい瞳で見下ろした。

 ――こんな……こんな人のせいで、怜人は。

 怜人の身体を持ち上げる腕が、しびれて感覚がなくなる。

 ――早く下ろさなきゃ。早く、早く。

「もうやめろって、ムダだってば」
 白石は立ち上がり、美晴の腕をつかむ。
「お前は生かしておいてもいいって言われてんだよ、片田さんから。これから片田さんのところに行こう。そうしたら、保護してもらえるから」
「触らないでよっ、離して!」

 もみあっていると、急に白石の動作が止まった。白石は目を見開いている。
「何?」
 白石は振り返った。その背中にはダガーナイフが刺さっている。
 白石の後ろに、ゆずが震えながら立っている。ゆずは涙を流しながら、「あんたなんかを信用するなんてっ……」とつぶやいた。白石は崩れ落ちる。

「美晴さん、逃げようっ」
 ゆずは美晴の肩をつかんだ。
「ゆずちゃん、手伝って。怜人を下ろさなきゃ!」
「下ろしたいけど、もう時間がないよ。下から大勢の人がこっちに向かってるの」
「ダメ、怜人を助けないと」
「美晴さんっ」
 ゆずは美晴の肩を揺さぶる。
「しっかりして! 怜人さんはもう、死んでるよ」
「ウソ、ウソ」
「ううん、ウソじゃない。手が冷たいでしょ?」

 ゆずは美晴に怜人の手を触らせる。
 さっきまで、握り合っていた手。国会議事堂を逃げ回っている時は、しっかりと手をつないで、そこから怜人のぬくもりが伝わって来た。

「怜人……っ。いや、いやあっ」
 美晴は泣き崩れる。
「私はここにいる。ずっと、怜人のそばにいる。離れない。離れないからっ」
「美晴さん、気持ちは分かるけど、怜人さんのためにも逃げなきゃ! 怜人さん、何のために美晴さんを逃がしてくれたの? 美晴さんに生きていてもらいたいからでしょ!」

 白石がうめきながら、ゆずの足首をつかむ。ゆずは「触るな!」と白石の腕を蹴り飛ばす。
 美晴は怜人を見上げる。この表情を忘れないように。目に焼きつけるように。
 怜人の手に口を押し当てる。零れ落ちる涙が、冷たい手の平を濡らす。

「ごめん、ごめんね、怜人」
「早くっ、足音が聞こえる!」
 ゆずは美晴を房から引っ張り出した。
「怜人っ」
 美晴はなおも怜人に手を伸ばす。

 すると、何人もの消防隊が「人がいるぞ!」「大丈夫か?」と留置所に入ってきた。
「私は看護師です! これからケガ人を搬送します」
 ゆずは美晴の脇の下に体を入れて、抱え上げるような姿勢をとった。いつの間にか、腕に赤十字の腕章をつけている。
 消防士たちとは逆の出口に、二人は向かった。消防士たちは一つずつ房を確認している。
「おいっ、人が首を吊ってるぞ!」
「誰か倒れてるっ」
 背後で怒鳴り声が飛び交う。

 ――怜人。怜人。

 廊下には美晴の涙が点々と続いた。