その日の夜遅く、怜人は事務所に戻ってきた。
 事前に主要メンバーには残ってほしいと言われていたので、美晴は千鶴やゆずと一緒に事務所に残っていた。陸はソファで毛布をかぶってすやすやと眠っている。
「来週、強行採決を取るらしい」
「えっ」
 美晴たちは言葉を失う。

「でも、今、これだけ若者が反対してるでしょ? それなのに強引に進めたら、民自党も支持率が下がるんじゃないの?」
 千鶴の言葉に、「若者が投票できなくなったら、若者にどう思われようと困らないからね。完全に切り捨てに入ったってことだね」と怜人は淡々と語る。
 その目は充血していて、目の下にはくっきりとクマができている。

「それで、各地の若者のリーダーと話したんだけど。強行採決を取る日に、国会議事堂を占拠しようかって」
 美晴たちは言っていることをすぐには呑み込めずに、顔を見合わせる。

「つまり、投票を阻止しようってことなんだけど。もうそれぐらいしか手段はないんじゃないかって。与党が全員賛成したら、その時点で法案は通っちゃうからね。与党で造反する議員が出るかどうかに賭けるのは、危険だって、今回の的場さんで分かったから。そう考えると、どうしてもみんなで議事堂を占拠するしか、防ぐ手立てはないって結論になる」

 怜人は一人一人の顔を見ながら真剣な目で語りかける。
「つまり、何をするってこと?」
 千鶴が不安そうに尋ねる。
「僕らで投票の日に議事堂に乗り込んで、投票されないように占拠するってこと。そこから全世界に向けてメッセージを発信するしかない」
 千鶴は目を丸くする。
「そんなこと、できるの?」
「できるかどうかじゃなくて、やるしかないんだ」
 怜人は大きく息をつく。
「それで、みんなはどう思うか、聞きたかったんだ」
「それはもう、決まったことなの?」
 千鶴が困惑しながら聞く。

「ああ。僕も覚悟は決まったし、デモに参加しているみんなの覚悟も決まってる。もう段取りを話し合っているところなんだ。でも、これは危険なことだから。警官ともみあいになってケガをするかもしれないし、捕まるかもしれないし。捕まったら刑務所に入ることになるかもしれないし。もし占拠に成功したとしても、罪に問われるかもしれないし」
「それって、怜人も捕まるかもしれないってこと?」
 美晴は思わず、みんなの前で「怜人」と呼び捨てで呼んでしまった。
 白石が驚いたような表情で美晴を見る。
「ああ。成功しても失敗しても、オレは捕まる確率は高いと思う」
 怜人は美晴をまっすぐ見る。

「そうしたら、もう議員では……」
「いられなくなるだろうね、当然」
「それでも占拠するってこと?」
「ああ」
「そう」
 美晴はこぶしを強く握る。
「じゃあ、私も行く。私も一緒に占拠する」
 怜人は一瞬、顔をゆがめた。
「危険だから、女性にはあまり参加しないでほしいんだ」
「そんなこと言ってられる場合じゃないでしょ? 人数が多ければ多いほどいいんじゃないの?」
「確かに、そうだけど」

「それなら、私も参加する」
 千鶴が言うと、怜人は「いや、千鶴さんはやめといたほうがいい。陸がいるから」と首を横に振った。
「そうだよ。私や美晴さんのような若手に任せて」
 ゆずは千鶴の肩をポンと軽く叩いた。

「こんなとんでもないことに加担するのは嫌なら、今すぐ抜けてもらって構わないから。ただ、勝手なお願いだけど、このことは誰にも言わないでほしい。僕らが議事堂を占拠することは黙っていてほしい」
 怜人の言葉に、「オレも行きます」「私も」と若手のスタッフはほとんどが手を挙げた。抜けるスタッフは一人も出ずに、議事堂に行かないスタッフは後方支援に回ることになった。
「ありがとう」
 怜人は深々と頭を下げる。
「たぶん強行採決されるまでに一週間あるかないかだけど、それまでに逃げる準備をしておいてほしい。占拠に失敗したら、すぐにどこかに逃げてほしい。そのための資金を、わずかだけど、みんなに渡すようにするから」
「どういうこと?」
 ゆずが聞く。

「失敗したら、みんな共犯者として逮捕されることになると思う。でも、みんなが捕まる必要はないから。僕一人が捕まればいいから。奴らはみんなを捕まえようとするだろうけど、とにかく逃げてほしいんだ。後のことは、僕が何とかする」
 怜人の覚悟が、言葉の端々からひしひしと伝わってくる。千鶴は涙を拭っていた。
「もう、やるしかない」
 美晴はつぶやく。
「そう、やるしかない」
 怜人も自分に言い聞かせるように言った。