「それで、どうだった?」
 怜人は美晴を背後から抱きしめていた。
 その晩、美晴が部屋に戻ったのは12時を過ぎていた。怜人は1時ごろに来て、美晴の顔を見るなり抱きしめて、そのままベッドにもつれ込んだ。
 汗ばんだ胸、たくましい腕。背中越しに速い鼓動が伝わってくる。

「うん、的場さんは造反には乗り気だった。もともと的場さんは矢田部と対立していて、冷や飯を食ってたからね。これを機に総理の座を狙えるってのもあるんだろうけど。あの選挙法が通ったら日本は先進国じゃなくなるって、民自党の議員の間でも、反対意見はかなり多いらしいよ」
「じゃあ、大勢が反対に回るの?」
「そこが難しいところで。お金は官房長官が握ってるから、反対したら次の選挙で資金をもらえないかもしれないし。総理を引きずりおろせたら、官房長官も代えられるだろうけど。その確約がないから、迷ってる議員が多いって。だから、的場さんと若手議員数名しか造反に回らないかも。それでも、過半数を割るから、何とかなるけど」

「じゃ、法案は通らないんだ?」
「たぶんね、五分五分かな」
 怜人が「喉乾いたな」と起き上がったので、美晴はTシャツを羽織って冷たい水を持ってきた。
「ありがと」
 怜人は一気に飲み干す。
「ほかの野党の党首は、みんな『これで何とかなる』って喜んでたけど、何が起こるか分からないからね。油断はできない」
 怜人はしばらく考え込む。

「美晴」
 ややあって、怜人は真剣な表情で美晴の瞳をじっと見る。
「オレにもしものことがあったら、じっちゃんの家に行ってほしい」
「じっちゃんって、おじいさんのこと? どうして?」
「じっちゃんはともかく、ばっちゃんなら、かくまってくれると思う」
「もしものことがあったらって、どういうこと?」
 美晴は急に不安になって来た。
「これから、何が起きるかわからないから。昨日の夜のこともあるし、向こうも本気を出してきたら、オレもこれから、どうなるかわからない」
「……」
「オレに何かあったら、迷わずに逃げてほしいんだ。美晴だけでも生き延びてほしい」
「そんな、私、ずっと一緒にいるよ?」
「ありがとう。でも、どうにもできないことはあるからね」
 怜人は美晴を優しく抱き寄せる。

「おじいさんって、確か、政治家だったんでしょ?」
「うん。茨城の県知事を長くやってた。じっちゃんの家は大きくて、地元では有名だから、駅に着いてタクシーで本郷家に行ってほしいって言ったら連れてってくれるんだ」
「へえ、すごい」
 怜人はスマホを取り、美晴に画面を見せてくれた。そこには、今よりもずっと若い怜人が映っている。
「これ、オレの家族の写真。オレと兄貴と、オヤジとお袋と、じっちゃんとばっちゃん」
「へえ~、いつ頃の写真?」
「オレが社会人になりたての頃かな。10年ぐらい前だね。親父はじっちゃんの跡を継いで、政治家になって。国会議員になって、一時期は総裁候補って言われてたんだけどね。対立候補だった矢田部に足元をすくわれて、大臣を失脚させられて、議員宿舎で首を吊ったんだ」
 その事件は覚えている。美晴はまだ大学生だったが、「殺されたんじゃないか」とネットで騒がれていたのだ。
 その後、怜人の兄は議員になることなく渡米し、怜人も後を追ったのだ。
「怜人はもともと政治家になりたかったの?」

「いや、全然。でも、日本がどんどん悪化していくのを見て、黙っていられなかったって言うか。日本の外から見ていたら、歯がゆかったんだよね。アメリカの言いなりになってるし。欧米のマネばっかしてるのが歯がゆくて。それに、日本の悪いところもちゃんとわかってるのに、それを直そうとしないでしょ? それをずっとブログで発信してたんだよね。そしたら、『そこまで思うのなら、日本に帰ってきて、自分の力で国を変えたらどうだ』って批判されることが多くて。そりゃそうだなって思って、政治じゃなくても変えられるんだろうけど、まず政治をやってみようと思って」

 怜人とこういう話をするのは初めてだ。美晴は大事な話なので、一言も聞き漏らさないように集中する。
「それで、じっちゃんのところに相談に行って。ばっちゃんからは『あんな危ない世界には入らないでほしい』って泣かれたけどね。じっちゃんは覚悟を決めたんなら最後までやり抜けって言ってくれて。じっちゃんは支援してくれるって言ってくれたんだけど、自分の力で何とかしたかったから、東京から立候補して、何とか当選したって感じ」