その日の夜、怜人はほかの野党党首とともに、民自党の議員何名かと会食をすることになっていた。選挙法案で造反するかもしれないと噂されている議員たちだ。
 怜人は真希につける盗聴器などを手配してくれた。

「ねえ、美晴さん、怜人さんと何かあった?」
 病院近くの路上に車を止めて、二人で待っている時に、ふいにゆずは尋ねた。
「えっ、なななんで、そう思うの?」
「やっぱ、そうなんだ。だって、今日、二人が事務所で話してるところ見て、なんかいつもと違うなって思って」
「そ、そんなこと、ないと思うけど?」
「怜人さん、割と単純だから、美晴さんと話している時にウキウキしている様子を隠しきれてなかったし、美晴さんも怜人さんと話す時は、目がキラキラしてたよ?」
 美晴は誤魔化しきれないと観念した。
「するどいなあ、ゆずちゃんは」
「うん、私は恋愛に関しては敏感だから」

 ――心理カウンセラーなのに、自分の気持ちを隠しきれないなんて。
 美晴は自分自身に苦笑した。

「二人がつきあい始めたんなら、よかった。優梨愛さんとはもう終わったんだ?」
「うん、最初から別れ話をしてたみたい。優梨愛さんがなかなか納得しなかったんだって」
「じゃあ、白石さんはそこのスキをついたってことか」
「ん? どういうこと?」
「あの二人はつきあってるよ。白石さんのマンションに優梨愛さんが入って行くの、見た」
 美晴は絶句した。

 ――ってことは、ゆずちゃんも、白石さんのマンションまで行ったってことだよね。たぶん、物陰からこっそり様子を伺ってたんだろうけど。

 それについては触れないでおこうと、美晴は思った。
「そのこと、怜人さんも知ってるのかな?」
「どうだろ。つきあいはじめたばっかだから、気づいてないかも」
「そうなんだ……でも、友達の元婚約者とそんなことをするなんて」
「ねえ。最低な男だよね」

 でも、好き。
 ゆずの顔にはそう書いてあった。

 ――恋愛って、理性でどうにかできるもんじゃないしね。最低だって分かってても嫌いになれないなんて、相当苦しんでるだろうな。

 美晴はゆずの肩に頭を乗せた。
「でも、私、ゆずちゃんのことも好きだから」
「そんなの、当たり前でしょ? うちらの仲は怜人さんだって割けないし」
 二人で軽口を言い合っていると、「あ、誰か来た!」とゆずは言った。
 見ると、病院に黒塗りの車が3台入っていく。

「こんな時間に、あんな車が来るなんて、怪しすぎる」
 美晴は怜人から借りた双眼鏡で車から人が降りてくるのを見た。顔までは見えないが、スーツを着た男が次々と車から降りてくる。
 ゆずは体を隠しながら望遠レンズつきのカメラでシャッターを切る。
「ここだと、よく見えないから、もうちょっと近くまで行ってくる」
 ゆずが車から出ようとしたので、美晴は「危ないから、やめて」と止めた。
「大丈夫。カメラは持ってかないから」 

 スマホだけを持って、「もしもし?」と誰かと会話をするフリをしながら、ゆずは駐車場に近づいた。
 真ん中の車から、杖をついた一人の老人が降りてきた。まわりの人がすかさず手を貸す。
 おそらく、あの老人が移植手術を受けるのだろう。老人はどこかで入院していたのか、寝間着用の浴衣を着ている。まるで、仙人のような長いひげ。

 ――誰だろう。あの人、どこかで見たことがある気がするんだけど……。

 女性も一人、降り立った。顔はよく見えないが、美晴を片田に引き合わせた女性ではないかと感じた。

 ――やっぱり、あの人、臓器移植の関係者なのかな。

 そのとき、スマホが震えた。見ると、真希からカルテの画像が送られてきていた。危険を冒して撮影して、送ってくれたのだろう。
 臓器を提供する側と提供される側、両方のカルテがある。提供される側には片田雄一郎と名前の欄に書いてある。
 美晴はそれを怜人に転送した。怜人からはすぐに電話が来た。

「これ、片田雄一郎って、片田官房長官の父親だよ」
 怜人は興奮した声だ。
「片田さんの親が入院してるって話は聞いたけど……まさかとは思うけど、片田さんも病院に来てる?」
「私のいる場所からは、病院に入ってく人の顔はよく見えないんだけど、たぶん、来てないんじゃないかな。そんなに小柄の人はいなかったし」
「さすがに、本人は来ないか」

「でも、そんな偉い人だったら、普通に臓器移植を受けられるんじゃないの?」
「いや、血液型が合わないといけないし、年齢は79歳って書いてあるでしょ? 高齢者の移植手術はリスクが高いから、大体65歳までしかできないんだよ。79歳で移植って……しかも、心臓って書いてあるよね、これ」
 美晴もカルテの画像を見てみた。
「ホントだ……それに、臓器を提供する側は18歳って、若いのに」
「たぶん、心臓以外の臓器も移植されるんじゃないかな。別の人に」
 怜人は「美晴」と改まった声を出した。

「これがホントなら、選挙法の改正を止められるどころか、政権を転覆させる証拠になる。でも、それは同時に、ものすごく危険なネタってことになる。命を狙われてもおかしくない。だから、少しでも危なかったら、逃げてほしい。絶対、無茶しないでほしい」
「うん、分かった。何か分かったら、また連絡するね」

 美晴は電話を切り、臓器を提供する側のカルテを読んだ。
 18歳の男性。1か月前に、夜勤明けの帰宅途中に赤信号で横断歩道を渡り、車にはねられたと書いてある。その後、目覚めることはなかったのだろう。家族はどういう想いで、この手術を承諾したのだろうか。

 ――夜勤明けってことは、激務で正常な判断ができなかったってことなんだろうな……。疲れきってて、赤信号で渡っちゃって。高木君、私、あなたのような人を増やしたくないのに。

 その時、駐車場にワゴン車が入っていくのが見えた。別の臓器を受け取る患者かもしれない。その後も続々と車が到着する。美晴は死体に群がるハイエナみたいだ、と思った。

 ゆずが戻って来た。
「車が次々に来たけど……これ、全部、移植する人たちなのかな」
 撮った画像を見せてくれる。白杖をついている人がいるのは、角膜の移植も行われるということだろう。
「これ、車のナンバーから所有者が分かるかも」
 その画像をゆずから怜人に送ってもらった。