その日、事務所で電話やメールの対応に追われていると、午後になってから、白石が事務所に飛び込んで来た。
「怜人は?」
「昨日のスーパーに行って、対応してるみたいですよお」
ゆずが答えると、白石は「んなことしてる場合じゃないぞ」とスマホを取り出した。
「どうしたんですかあ?」
「政府が、選挙法を変える法案を閣議決定したんだ。40歳以上でないと投票できないっていう、ばかげた法案をね」
「えっ、何⁉」
事務所にいた人は、みな固まる。
「そんなことになったら、俺らは間違いなく選挙で負けるぞ。俺らは圧倒的に若者の支持が多いんだから。民自党は俺らをつぶそうとしてるんだ」
美晴は、片田の「これからあなたたちが痛い目にあいますよ」という言葉を思い出した。
――こういうことだったんだ……。
「でも、そんなバカげた法案は、さすがに国会を通せないんじゃない? 野党が止めるし、国民も黙ってないでしょ?」
千鶴は困惑しながら言う。
「国会では与党の議員が3分の2を占めてるんだから、もう国会を通ったも同じようなもんでしょ。国民だって、もともと選挙に行く人は少ないし」
白石は投げやりな感じで言う。
「せっかく、選挙の候補者を募りはじめたところだったのに。これでこの国は終わりだよ」
「まだ終わってませんよ」
美晴は思わず立ち上がった。
「まだ国会を通ってないなら、止める方法を考えないと。ネットで呼びかければ、今度ばかりは国民も声を上げるかもしれないじゃないですか。まだあきらめる段階じゃないと思う」
美晴の勢いに、白石は「う、うん、まあ、そうだけど……」と言いよどんだ。
「とにかく、早く怜人君を呼び戻したほうがいいんじゃない?」
千鶴の言葉で、白石は我に返り、慌てて怜人に電話をかけた。
「今の美晴さんの言葉、まるで怜人君みたい」
千鶴はそっと美晴に囁いた。
「怜人君も、同じことを言ったと思う、きっと」
「そうですか?」
美晴は内心、自分がこんな意見を言うことに驚いていた。数か月前までは、政治なんてまったく興味はなかったのに。
――私だって、本気でこの国を変えたい。そう思うようになったのは、怜人さんのそばにいて、ここの人たちと一緒に過ごしてきたからだ。
投票できるのは40歳からという法案は、ネットでも瞬く間に批判が広がった。
さすがに与党の支持者からも非難の声が出て、政権の支持率は45%から10%台に急落した。
議会は紛糾し、メディアでも連日、この問題が取り上げられ、多くの専門家が政権を批判した。
「デモをしよう。みんなで直接、総理大臣に抗議の声をぶつけよう」
怜人の呼びかけで、官邸前に大勢の人が集まった。
永田町や溜池山王、国会議事堂前の駅から、デモに参加する人が続々と吐き出される。人が多すぎて官邸前にたどり着けず、国会議事堂や議員会館の前でもシュプレヒコールが起きた。
美晴はデモに参加したのは初めてだ。
野党の党首が集まり、ビールケースの上にベニヤ板を載せた仮設ステージに上がって、一人ひとり反対演説をする。
「選挙法改正、反対」「若者を切り捨てるな」「若者の声を聴け」
プラカードには思い思いのメッセージが書かれている。
集まっているのは20代、30代の若者が大半だが、学生服を着ている学生や、中高年、高齢者も大勢来ている。10万人ぐらいは集まって来ていると、野党の党首が興奮気味に語っている。
――みんな、このままじゃいけないって危機感を持ってるんだ。
美晴はジンと来た。
――この勢いなら、本当に政権を倒して世の中を変えられるかもしれない。
「これじゃまるで、40歳未満の若者は何の権利も持ってないって言ってるようなもんじゃないですか。社会に不満があっても、何も言うなって。どんな理不尽なことがあっても、黙って従ってろってことですよ。皆さんはそれを許せますか?」
怜人の呼びかけに、観衆は「許せない」「絶対ダメー!」と声を上げる。いつもの演説会以上の熱気だ。
ふと、優梨愛が最前列で聞いていることに気づいた。怜人を熱いまなざしで見守っている。
――まだ続いてるんだな。
いくら気にしないと思っても、胸が苦しくなる。
政治家の演説は終わり、法案に反対している識者たちが次々とステージに上がって反対意見を述べた。
「美晴ちゃん、出ないの?」
近くにいた観客に声をかけられた。怜人の支援者だろう。
「私は、今日は出る予定ではなくて」
「革命のアイドルが出ないと、盛り上がらないでしょ」
「いえいえ、そんな」
美晴が固辞すると、観客は「み・は・る、み・は・る」と手拍子をしながら煽った。その輪がどんどん広がっていく。
怜人はそれを見て、「美晴さんも話したほうがいい」と背中を押す。
美晴は戸惑っているうちにステージに引っ張り出されてしまった。拍手がわき起こる。いつもより観客との距離感が近い。
――何を話せばいいんだろ。
美晴は一瞬ためらったが、一呼吸おいてから、話し出した。
「私は3か月前までは、こういうデモの光景を見ても、なんとも思いませんでした。『みんな、暇なのかな』ぐらいに思っていました」
そこで観客から軽く笑いが起きる。
「でも、自分がクビを切られて、ステージで話すようになってから、意識はガラッと変わりました。自由は待っていて手に入るものじゃない。自分からつかみにいくしかないんだって、ようやく分かったんです」
グルリと観客を見渡すと、大きな拍手が起きる。怜人も真剣なまなざしでこちらを見ている。
「今の日本にはまったく自由はありません。怖いのは、私たちはそんな世の中をすでにあきらめていて、変えられないものだと思っていて、自由が奪われることにマヒしてしまっているということです。
選挙なんて行かないから、自分には無関係だ。そう思っている人もいるかもしれません。でも、その結果が、今の世の中です。絶望した若者が次々と命を絶つような、お年寄りも長生きなんてしたくないって言うような、希望が何もない世の中。
このままでいいんですか?
本当にこのままでいいんですか?
このまま絶望したまま、生きていくのでいいんですか?
今回の法案も、多くの人は『またか。日本、終わってるな』で済ませちゃってる。デモなんて、やってもムダだって人もいます。だけど、家の中にいて、何かを変えられますか?
たぶん、これが世の中を変えられる最後のチャンスです。
国民全員がここに集まったら、きっと国を動かせます。一人じゃ何もできなくても、みんなで集まれば、何でもできる。
私たちには、その力があるんです。だから、自分の力を信じて、明日も明後日も、みんなでここに集まりましょう!」
話しながら、渦巻く熱気に押される感じで、美晴はどんどん感情が高ぶっていった。最後に高らかに呼びかけると、どっと拍手が沸いた。
ステージから降りると、怜人が「美晴さん、よかった! 感動した!」と言いながら熱い拍手を送ってくれる。
右手を差し出されて、美晴は握り返す。もう、何度こうやって、握手をしたことか。力強くて、汗ばんでいる手。
「怜人くーん」「サインくださーい」
ファンの女性から声をかけられて、怜人は心よく応じていた。
「ねえ、ちょっと」
背中をつつかれて振り返ると、不機嫌そうな表情で、優梨愛が腕組みをしている。
「あなた、怜人とどういう関係?」
「どういうって……一緒に演説してる関係ですけど」
「怜人は優梨愛と結婚することが決まってるんだから、手を出さないでほしいの」
「手を出してませんよ」
美晴は、さすがにカチンときた。
「そう? でも、あなた、怜人を狙ってるでしょ? 怜人はもう、優梨愛のパパとママに会わせたんだから、余計なことはしないでよね」
「だから、してませんって」
優梨愛は美晴の言葉など聞かずに、ヒールの靴音を響かせながら去って行った。
――怜人さん、なんであんな人を選んだんだろ。
怜人はいつも通り、支援者やファンに囲まれて、話を聞いたり、写真撮影に応じている。
「美晴さん、一緒に写真撮らせてください」
若者が声をかけてきて、美晴は無理やり笑顔をつくった。
――ダメ。今は余計なことを考えずに、自分がすべきことに集中しなきゃ。
「怜人は?」
「昨日のスーパーに行って、対応してるみたいですよお」
ゆずが答えると、白石は「んなことしてる場合じゃないぞ」とスマホを取り出した。
「どうしたんですかあ?」
「政府が、選挙法を変える法案を閣議決定したんだ。40歳以上でないと投票できないっていう、ばかげた法案をね」
「えっ、何⁉」
事務所にいた人は、みな固まる。
「そんなことになったら、俺らは間違いなく選挙で負けるぞ。俺らは圧倒的に若者の支持が多いんだから。民自党は俺らをつぶそうとしてるんだ」
美晴は、片田の「これからあなたたちが痛い目にあいますよ」という言葉を思い出した。
――こういうことだったんだ……。
「でも、そんなバカげた法案は、さすがに国会を通せないんじゃない? 野党が止めるし、国民も黙ってないでしょ?」
千鶴は困惑しながら言う。
「国会では与党の議員が3分の2を占めてるんだから、もう国会を通ったも同じようなもんでしょ。国民だって、もともと選挙に行く人は少ないし」
白石は投げやりな感じで言う。
「せっかく、選挙の候補者を募りはじめたところだったのに。これでこの国は終わりだよ」
「まだ終わってませんよ」
美晴は思わず立ち上がった。
「まだ国会を通ってないなら、止める方法を考えないと。ネットで呼びかければ、今度ばかりは国民も声を上げるかもしれないじゃないですか。まだあきらめる段階じゃないと思う」
美晴の勢いに、白石は「う、うん、まあ、そうだけど……」と言いよどんだ。
「とにかく、早く怜人君を呼び戻したほうがいいんじゃない?」
千鶴の言葉で、白石は我に返り、慌てて怜人に電話をかけた。
「今の美晴さんの言葉、まるで怜人君みたい」
千鶴はそっと美晴に囁いた。
「怜人君も、同じことを言ったと思う、きっと」
「そうですか?」
美晴は内心、自分がこんな意見を言うことに驚いていた。数か月前までは、政治なんてまったく興味はなかったのに。
――私だって、本気でこの国を変えたい。そう思うようになったのは、怜人さんのそばにいて、ここの人たちと一緒に過ごしてきたからだ。
投票できるのは40歳からという法案は、ネットでも瞬く間に批判が広がった。
さすがに与党の支持者からも非難の声が出て、政権の支持率は45%から10%台に急落した。
議会は紛糾し、メディアでも連日、この問題が取り上げられ、多くの専門家が政権を批判した。
「デモをしよう。みんなで直接、総理大臣に抗議の声をぶつけよう」
怜人の呼びかけで、官邸前に大勢の人が集まった。
永田町や溜池山王、国会議事堂前の駅から、デモに参加する人が続々と吐き出される。人が多すぎて官邸前にたどり着けず、国会議事堂や議員会館の前でもシュプレヒコールが起きた。
美晴はデモに参加したのは初めてだ。
野党の党首が集まり、ビールケースの上にベニヤ板を載せた仮設ステージに上がって、一人ひとり反対演説をする。
「選挙法改正、反対」「若者を切り捨てるな」「若者の声を聴け」
プラカードには思い思いのメッセージが書かれている。
集まっているのは20代、30代の若者が大半だが、学生服を着ている学生や、中高年、高齢者も大勢来ている。10万人ぐらいは集まって来ていると、野党の党首が興奮気味に語っている。
――みんな、このままじゃいけないって危機感を持ってるんだ。
美晴はジンと来た。
――この勢いなら、本当に政権を倒して世の中を変えられるかもしれない。
「これじゃまるで、40歳未満の若者は何の権利も持ってないって言ってるようなもんじゃないですか。社会に不満があっても、何も言うなって。どんな理不尽なことがあっても、黙って従ってろってことですよ。皆さんはそれを許せますか?」
怜人の呼びかけに、観衆は「許せない」「絶対ダメー!」と声を上げる。いつもの演説会以上の熱気だ。
ふと、優梨愛が最前列で聞いていることに気づいた。怜人を熱いまなざしで見守っている。
――まだ続いてるんだな。
いくら気にしないと思っても、胸が苦しくなる。
政治家の演説は終わり、法案に反対している識者たちが次々とステージに上がって反対意見を述べた。
「美晴ちゃん、出ないの?」
近くにいた観客に声をかけられた。怜人の支援者だろう。
「私は、今日は出る予定ではなくて」
「革命のアイドルが出ないと、盛り上がらないでしょ」
「いえいえ、そんな」
美晴が固辞すると、観客は「み・は・る、み・は・る」と手拍子をしながら煽った。その輪がどんどん広がっていく。
怜人はそれを見て、「美晴さんも話したほうがいい」と背中を押す。
美晴は戸惑っているうちにステージに引っ張り出されてしまった。拍手がわき起こる。いつもより観客との距離感が近い。
――何を話せばいいんだろ。
美晴は一瞬ためらったが、一呼吸おいてから、話し出した。
「私は3か月前までは、こういうデモの光景を見ても、なんとも思いませんでした。『みんな、暇なのかな』ぐらいに思っていました」
そこで観客から軽く笑いが起きる。
「でも、自分がクビを切られて、ステージで話すようになってから、意識はガラッと変わりました。自由は待っていて手に入るものじゃない。自分からつかみにいくしかないんだって、ようやく分かったんです」
グルリと観客を見渡すと、大きな拍手が起きる。怜人も真剣なまなざしでこちらを見ている。
「今の日本にはまったく自由はありません。怖いのは、私たちはそんな世の中をすでにあきらめていて、変えられないものだと思っていて、自由が奪われることにマヒしてしまっているということです。
選挙なんて行かないから、自分には無関係だ。そう思っている人もいるかもしれません。でも、その結果が、今の世の中です。絶望した若者が次々と命を絶つような、お年寄りも長生きなんてしたくないって言うような、希望が何もない世の中。
このままでいいんですか?
本当にこのままでいいんですか?
このまま絶望したまま、生きていくのでいいんですか?
今回の法案も、多くの人は『またか。日本、終わってるな』で済ませちゃってる。デモなんて、やってもムダだって人もいます。だけど、家の中にいて、何かを変えられますか?
たぶん、これが世の中を変えられる最後のチャンスです。
国民全員がここに集まったら、きっと国を動かせます。一人じゃ何もできなくても、みんなで集まれば、何でもできる。
私たちには、その力があるんです。だから、自分の力を信じて、明日も明後日も、みんなでここに集まりましょう!」
話しながら、渦巻く熱気に押される感じで、美晴はどんどん感情が高ぶっていった。最後に高らかに呼びかけると、どっと拍手が沸いた。
ステージから降りると、怜人が「美晴さん、よかった! 感動した!」と言いながら熱い拍手を送ってくれる。
右手を差し出されて、美晴は握り返す。もう、何度こうやって、握手をしたことか。力強くて、汗ばんでいる手。
「怜人くーん」「サインくださーい」
ファンの女性から声をかけられて、怜人は心よく応じていた。
「ねえ、ちょっと」
背中をつつかれて振り返ると、不機嫌そうな表情で、優梨愛が腕組みをしている。
「あなた、怜人とどういう関係?」
「どういうって……一緒に演説してる関係ですけど」
「怜人は優梨愛と結婚することが決まってるんだから、手を出さないでほしいの」
「手を出してませんよ」
美晴は、さすがにカチンときた。
「そう? でも、あなた、怜人を狙ってるでしょ? 怜人はもう、優梨愛のパパとママに会わせたんだから、余計なことはしないでよね」
「だから、してませんって」
優梨愛は美晴の言葉など聞かずに、ヒールの靴音を響かせながら去って行った。
――怜人さん、なんであんな人を選んだんだろ。
怜人はいつも通り、支援者やファンに囲まれて、話を聞いたり、写真撮影に応じている。
「美晴さん、一緒に写真撮らせてください」
若者が声をかけてきて、美晴は無理やり笑顔をつくった。
――ダメ。今は余計なことを考えずに、自分がすべきことに集中しなきゃ。