優梨愛は演説会場にたびたび姿を見せるようになった。
怜人と優梨愛が楽しそうに話している姿を見るたびに、美晴は胸がキリキリと傷む。
――私が知らない怜人さんのことを、いっぱい知ってるんだろうな。
世の中には、どうにもならないことがある。美晴は今までの人生経験でそれを分かっていた。
――でも、どこかで期待しちゃうんだよね。もしかしたら、私に振り向いてくれるんじゃないかって。……あ、ゆずちゃんと一緒か、私も。振り向いてくれない人を追いかけてる。
その日は青梅駅での演説だった。都心部から離れているにもかかわらず、駅前には1000人以上の観客がつめかけていた。演説が始まる前から、熱気に満ちていた。
美晴がステージに上がろうとすると、突然「お前ら、何をしてるんだ!」と怒号が響き渡る。見ると、何百人もの警官が周りを取り囲んでいる。
数人の警官がこっちに来た。
「ここで何をしてるんだ?」
怜人が美晴をかばうようにして警官の前に出た。
「何って、演説ですけれど」
「誰に許可をもらったんだ?」
「今日、僕らがここで集会をするって許可はちゃんともらってますよ」
「そんなの受理した覚えはない」
「いやいやいや、ホラ、ちゃんと申請してますから」
怜人はスマホで申請書を見せた。
だが、警官はフフンと鼻で笑う。
「そんなの、いくらでも捏造できるだろ? とにかく、ここで集会を開く許可なんて出せないから、今すぐ撤収して」
「そんなわけにはいきませんよ。こんなにも大勢の人が集まって来てるんですから」
「そんなのは我々には関係ない。ただちに撤収しなさい。でなければ、道路交通法違反で逮捕する」
「逮捕したいんなら、逮捕すればいいじゃないですか」
怜人が食い下がると、優梨愛が慌てて怜人の腕をつかんだ。
「ねえ、落ち着いて。今日はいいんじゃない? 警察の言うことに従おうよ」
「なんで従わなきゃいけないんだよ。僕らは、何も間違ったことしてないのに」
「また別の日にすればいいじゃない」
怜人は優梨愛の手を振りほどいた。優梨愛が顔色を変える。
「僕らが申請をした部署に問い合わせてください」
「その必要はないね」
怜人が警官とやりあっていると、「おーい、ここにいる人は迷惑行為で逮捕するぞー」と警官たちが観客に呼びかける。
途端に逃げ出す観客もいれば、「何が迷惑行為だよ、演説を聞くだけだろ!」と警官に喰ってかかる観客もいた。たちまちその場は大混乱になった。
美晴は千鶴たちに、「危ないから、車に乗って!」と指示を出した。
ステージに駆けのぼり、「皆さん、落ち着いて!」とマイクで呼びかけた。警官に取り押さえられている観客もいる。その観客を助け出そうとする人たちも組み伏せられていた。
「おいっ、ステージに立つな!」
警官が何人かステージに駆け寄って来るが、美晴は気にしない。
すると、目の端で誰かが転んだのが見えた――女性だ。美晴はステージを飛び降りた。
女性の上を、逃げ惑う人たちが飛び越えていく。女性につまづく人もいた。女性は頭を両手でかばって、起き上がれずにいる。
警官が女性に手を伸ばそうとする。
美晴はその間に割って入った。
「この人は、転んだだけです!」
女性の前に立ちはだかって、警官から守る。警官はその勢いに気圧されたようだ。
「この方は、何もしてませんよ? それなのに、逮捕するつもりですか?」
「いや、公務執行妨害で」
「具体的に、どんなことで? この方は、あなたに何かをしたんですか?」
気づくと、二人のやりとりを、何人かがスマホで撮影している。警官は「おいっ、やめろ!」とやめさせようとするが、みんな撮影をやめない。
美晴は女性を「大丈夫ですか?」と助け起こした。女性は涙を流してガタガタと震えている。顔から転んだのか、鼻と口から血が出ている。
――ゆずちゃんに看てもらおう。
女性の肩を抱きながら、「あちらで治療してもらいましょう」と歩き出すと、警官が「おいっ、どこに行くんだ!」と声を荒げる。
美晴は静かに「治療するんです」と言い放つ。警官は言葉に詰まって、それ以上、絡んでこなかった。一部始終を撮影されているので、苦々しい表情で背を向ける。
「美晴さん、大丈夫ですか?」
怜人が息せき切って駆けつけた。
「私は大丈夫。この方が、ケガをしてしまって。ゆずちゃんに治療してもらおうかと」
「大丈夫ですか? すみません、大騒ぎになってしまって、巻き込むことになっちゃって」
怜人は女性に頭を下げる。
「いえ、悪いのは、脅かした、警官だから」
女性はしゃくりあげながらも、冷静に言う。
ワゴンに避難していたゆずに女性を預ける。成り行きを見守っていた白石は「ったく、今日は中止にするしかないな」と舌打ちする。
まだあちこちで、警官の怒号と、悲鳴や警官に抗議する声が聞こえてくる。
「捕まっている人達、大丈夫ですか?」
「まあ、警察に連行されるかもしれないけど。警官に喰ってかかっちゃったんだから、捕まっても仕方ないでしょ」
白石は他人事のように言う。
「そんな、私達の演説をそこまでして聞きたいって思ってる方々じゃないですか」
「そう言われても……」
「僕、警察のところに話に行ってくる。白石も、あっちに行って、警官を説得してくれないかな」
怜人の言葉に、白石はあきらかに面倒そうな顔をする。
「このままにしておくわけにはいかんでしょ。僕らの演説を聞きに来て、危険な目にあってるんだから」
「ハイハイ、分かりましたよ」
ため息をつきながら、白石は警官がパトカーに観客を押し込めているところにノロノロと向かった。
「私も」
美晴も行こうとすると、「危ないから美晴さんは、ここにいて。後は僕らで何とかするから」と怜人に制された。
怜人は人だかりに全力で走って行った。
ふと、鋭い視線を感じて振り向くと、優梨愛がものすごい形相で美晴を睨んでいた。
怜人は優梨愛を放って美晴を助けに来たのだ。美晴は会釈をしたが、優梨愛はそっぽをむくと、自分の車に乗り込んで去って行った。
「美晴さん、もう動画がアップされてるわよ」
ワゴン車の中で、千鶴が教えてくれる。
見ると、警官が観客を取り押さえている動画がアップされている。警官の顔は大写しになっているので、これからネット民が調べて個人情報がさらされるだろう。
その夜、陸は興奮してなかなか寝つけなかった。
美晴が『モモ』を読み聞かせても、起き上がって心配そうにドアを見つめている。
「大丈夫よ、誰かが捕まえに来たりしないから」
千鶴が陸を抱きしめて、懸命になだめている。
「子供には刺激が強すぎたみたいね。ケガしてる人を見て、ショックだったみたいで」
「あんなに大勢の警官が襲いかかってきたら、怖くなるのは当然ですよ」
陸が美晴のパジャマをギュッとつかんだ。涙で潤んだ目――。
「大丈夫、私は捕まったりしないから」
美晴は陸の頭を優しくなでる。
「陸は、美晴さんのことが大好きだからねえ」
千鶴が抱っこしたまま背中を優しく叩いてあげているうちに、陸は寝息を立てた。起こさないようにそっと寝かせる。
「しばらく、演説にはつれていかないほうがいいのかしら」
「警察に目をつけられてるみたいだから、毎回、妨害されるかもしれないですよね」
「もう街頭でやるのは難しいかもしれないわね」
千鶴はため息をつく。
――陸君のためにも、もっと安全で安心できる国になれればいいのに。
スヤスヤ眠る陸の頬に、美晴はそっと触れた。
千鶴のスマホが振動し、「もしもし」と台所で電話に出た。
「怜人君、捕まった人たちを解放してもらえなかったって。明日、弁護士を連れて行ってみるって」
「そうですか……」
「怜人君、疲れきった声をしてて……美晴さんのことを心配してた」
「そんな、私のことよりも……」
「とにかく、明日、みんなで話し合いましょ」
美晴は布団に入ってからも、なかなか寝つけなかった。
動画サイトを見ると、美晴が転んだ女性をかばった動画は、既にたくさんのコメントがついている。
「身を挺してかばうなんてカッコいい!」
「さすが革命のアイドル」
怜人が美晴のところに駆け寄る姿も、撮影されていた。その必死な表情。美晴は何回も再生した。
――これだけで、もう充分、幸せだ。
スマホを思わず抱きしめる。
怜人と優梨愛が楽しそうに話している姿を見るたびに、美晴は胸がキリキリと傷む。
――私が知らない怜人さんのことを、いっぱい知ってるんだろうな。
世の中には、どうにもならないことがある。美晴は今までの人生経験でそれを分かっていた。
――でも、どこかで期待しちゃうんだよね。もしかしたら、私に振り向いてくれるんじゃないかって。……あ、ゆずちゃんと一緒か、私も。振り向いてくれない人を追いかけてる。
その日は青梅駅での演説だった。都心部から離れているにもかかわらず、駅前には1000人以上の観客がつめかけていた。演説が始まる前から、熱気に満ちていた。
美晴がステージに上がろうとすると、突然「お前ら、何をしてるんだ!」と怒号が響き渡る。見ると、何百人もの警官が周りを取り囲んでいる。
数人の警官がこっちに来た。
「ここで何をしてるんだ?」
怜人が美晴をかばうようにして警官の前に出た。
「何って、演説ですけれど」
「誰に許可をもらったんだ?」
「今日、僕らがここで集会をするって許可はちゃんともらってますよ」
「そんなの受理した覚えはない」
「いやいやいや、ホラ、ちゃんと申請してますから」
怜人はスマホで申請書を見せた。
だが、警官はフフンと鼻で笑う。
「そんなの、いくらでも捏造できるだろ? とにかく、ここで集会を開く許可なんて出せないから、今すぐ撤収して」
「そんなわけにはいきませんよ。こんなにも大勢の人が集まって来てるんですから」
「そんなのは我々には関係ない。ただちに撤収しなさい。でなければ、道路交通法違反で逮捕する」
「逮捕したいんなら、逮捕すればいいじゃないですか」
怜人が食い下がると、優梨愛が慌てて怜人の腕をつかんだ。
「ねえ、落ち着いて。今日はいいんじゃない? 警察の言うことに従おうよ」
「なんで従わなきゃいけないんだよ。僕らは、何も間違ったことしてないのに」
「また別の日にすればいいじゃない」
怜人は優梨愛の手を振りほどいた。優梨愛が顔色を変える。
「僕らが申請をした部署に問い合わせてください」
「その必要はないね」
怜人が警官とやりあっていると、「おーい、ここにいる人は迷惑行為で逮捕するぞー」と警官たちが観客に呼びかける。
途端に逃げ出す観客もいれば、「何が迷惑行為だよ、演説を聞くだけだろ!」と警官に喰ってかかる観客もいた。たちまちその場は大混乱になった。
美晴は千鶴たちに、「危ないから、車に乗って!」と指示を出した。
ステージに駆けのぼり、「皆さん、落ち着いて!」とマイクで呼びかけた。警官に取り押さえられている観客もいる。その観客を助け出そうとする人たちも組み伏せられていた。
「おいっ、ステージに立つな!」
警官が何人かステージに駆け寄って来るが、美晴は気にしない。
すると、目の端で誰かが転んだのが見えた――女性だ。美晴はステージを飛び降りた。
女性の上を、逃げ惑う人たちが飛び越えていく。女性につまづく人もいた。女性は頭を両手でかばって、起き上がれずにいる。
警官が女性に手を伸ばそうとする。
美晴はその間に割って入った。
「この人は、転んだだけです!」
女性の前に立ちはだかって、警官から守る。警官はその勢いに気圧されたようだ。
「この方は、何もしてませんよ? それなのに、逮捕するつもりですか?」
「いや、公務執行妨害で」
「具体的に、どんなことで? この方は、あなたに何かをしたんですか?」
気づくと、二人のやりとりを、何人かがスマホで撮影している。警官は「おいっ、やめろ!」とやめさせようとするが、みんな撮影をやめない。
美晴は女性を「大丈夫ですか?」と助け起こした。女性は涙を流してガタガタと震えている。顔から転んだのか、鼻と口から血が出ている。
――ゆずちゃんに看てもらおう。
女性の肩を抱きながら、「あちらで治療してもらいましょう」と歩き出すと、警官が「おいっ、どこに行くんだ!」と声を荒げる。
美晴は静かに「治療するんです」と言い放つ。警官は言葉に詰まって、それ以上、絡んでこなかった。一部始終を撮影されているので、苦々しい表情で背を向ける。
「美晴さん、大丈夫ですか?」
怜人が息せき切って駆けつけた。
「私は大丈夫。この方が、ケガをしてしまって。ゆずちゃんに治療してもらおうかと」
「大丈夫ですか? すみません、大騒ぎになってしまって、巻き込むことになっちゃって」
怜人は女性に頭を下げる。
「いえ、悪いのは、脅かした、警官だから」
女性はしゃくりあげながらも、冷静に言う。
ワゴンに避難していたゆずに女性を預ける。成り行きを見守っていた白石は「ったく、今日は中止にするしかないな」と舌打ちする。
まだあちこちで、警官の怒号と、悲鳴や警官に抗議する声が聞こえてくる。
「捕まっている人達、大丈夫ですか?」
「まあ、警察に連行されるかもしれないけど。警官に喰ってかかっちゃったんだから、捕まっても仕方ないでしょ」
白石は他人事のように言う。
「そんな、私達の演説をそこまでして聞きたいって思ってる方々じゃないですか」
「そう言われても……」
「僕、警察のところに話に行ってくる。白石も、あっちに行って、警官を説得してくれないかな」
怜人の言葉に、白石はあきらかに面倒そうな顔をする。
「このままにしておくわけにはいかんでしょ。僕らの演説を聞きに来て、危険な目にあってるんだから」
「ハイハイ、分かりましたよ」
ため息をつきながら、白石は警官がパトカーに観客を押し込めているところにノロノロと向かった。
「私も」
美晴も行こうとすると、「危ないから美晴さんは、ここにいて。後は僕らで何とかするから」と怜人に制された。
怜人は人だかりに全力で走って行った。
ふと、鋭い視線を感じて振り向くと、優梨愛がものすごい形相で美晴を睨んでいた。
怜人は優梨愛を放って美晴を助けに来たのだ。美晴は会釈をしたが、優梨愛はそっぽをむくと、自分の車に乗り込んで去って行った。
「美晴さん、もう動画がアップされてるわよ」
ワゴン車の中で、千鶴が教えてくれる。
見ると、警官が観客を取り押さえている動画がアップされている。警官の顔は大写しになっているので、これからネット民が調べて個人情報がさらされるだろう。
その夜、陸は興奮してなかなか寝つけなかった。
美晴が『モモ』を読み聞かせても、起き上がって心配そうにドアを見つめている。
「大丈夫よ、誰かが捕まえに来たりしないから」
千鶴が陸を抱きしめて、懸命になだめている。
「子供には刺激が強すぎたみたいね。ケガしてる人を見て、ショックだったみたいで」
「あんなに大勢の警官が襲いかかってきたら、怖くなるのは当然ですよ」
陸が美晴のパジャマをギュッとつかんだ。涙で潤んだ目――。
「大丈夫、私は捕まったりしないから」
美晴は陸の頭を優しくなでる。
「陸は、美晴さんのことが大好きだからねえ」
千鶴が抱っこしたまま背中を優しく叩いてあげているうちに、陸は寝息を立てた。起こさないようにそっと寝かせる。
「しばらく、演説にはつれていかないほうがいいのかしら」
「警察に目をつけられてるみたいだから、毎回、妨害されるかもしれないですよね」
「もう街頭でやるのは難しいかもしれないわね」
千鶴はため息をつく。
――陸君のためにも、もっと安全で安心できる国になれればいいのに。
スヤスヤ眠る陸の頬に、美晴はそっと触れた。
千鶴のスマホが振動し、「もしもし」と台所で電話に出た。
「怜人君、捕まった人たちを解放してもらえなかったって。明日、弁護士を連れて行ってみるって」
「そうですか……」
「怜人君、疲れきった声をしてて……美晴さんのことを心配してた」
「そんな、私のことよりも……」
「とにかく、明日、みんなで話し合いましょ」
美晴は布団に入ってからも、なかなか寝つけなかった。
動画サイトを見ると、美晴が転んだ女性をかばった動画は、既にたくさんのコメントがついている。
「身を挺してかばうなんてカッコいい!」
「さすが革命のアイドル」
怜人が美晴のところに駆け寄る姿も、撮影されていた。その必死な表情。美晴は何回も再生した。
――これだけで、もう充分、幸せだ。
スマホを思わず抱きしめる。