その日の演説はネットで話題になり、動画は一晩で100万回も再生された。
 翌日の演説は前日の倍以上の人数が詰めかけ、その様子を撮影した動画が配信され、さらにそれを見た人が次の日に演説を聞きに来た。
 一週間で怜人と美晴の演説には一日に数千人が聞きに来るようになり、さすがにメディアも無視できなくなったらしい。
「次の選挙で政権交代が起きるかもしれませんね」
「若者たちを中心に、真実の党の人気が爆発的に上がっています」
 テレビでも連日、演説会の様子を報道するようになった。
 美晴も多くのメディアから取材を受けた。美晴はそれが党の宣伝につながるならと、できるだけ協力した。

 そんな多忙の合間を縫って、梓を見舞うために病院を訪れた。
 ゆずに梓のことを話すと、「うちの病院は植物状態の患者さんも受け入れてるから、まだ大丈夫かも」と話していたのだ。それを真希経由で家族に伝えてもらおうかと思っていた。
 梓の病室に入ると、そこには誰もいなかった。

 ――もう転院したのかな。間に合わなかったのかもしれない。
 ナースステーションに行くと、真希がいた。
「真希さん、梓さんは」
 美晴が話しかけると、真希の顔は強張った。
「ちょっと、こっちへ」と美晴を階段まで連れて行く。
「梓さん、転院したんですか?」
 美晴の問いに、真希は首を横に振った。
「私、転院できそうな病院を紹介してもらったんです。だから、ご家族に」
「彼女は亡くなったの」
「え?」
「三日前に亡くなったの」
 美晴は言葉を失った。
「え、それって……病状が悪化して?」
「ううん、違うの」
 真希は話すかどうか迷っているようだ。
「彼女は、治療を打ち切られたの」
「え?」
「国が医療費を削減するために、植物状態の患者の治療を打ち切る方針を決めたって、話したでしょ? それで、彼女は栄養補給をやめることになって……」
「……!」

「それだけじゃないの」
 真希は声を潜める。
「彼女は若いから、臓器は使えるってことになって。それで、彼女の心臓はどこかの金持ちに移植されたの」
「どういうことですか?」
 美晴の声は震えた。
「それって、まるで、臓器売買みたいなもんじゃないですか」
「そう。どうやら、臓器売買のブローカーが、家族に高額で話を持ちかけたらしいのよね」
「そんな、そんな」
 美晴の脳裏に、梓の幼い笑顔がよぎった。
「それじゃ、梓さんは、そのために殺されたようなもんじゃないですか」
 真希は床に目を落とした。
「植物状態の患者の治療を打ち切るのは、臓器売買のためなんじゃないかって、言われてて……どこまでホントか分からないけど」

 美晴は目を閉じる。
 あの、すがるような目。自分をここから救い出してほしいと、訴えていた目。
 ――私はまた、救えなかったんだ……。
「このことは、誰にも言わないで、お願い」
 真希は美晴の腕をつかんだ。
「私も誰にも言うなって言われてて……ただ、美晴さんは熱心にお見舞いに来てたから、せめて伝えようと思って」
 美晴は身体の力が抜けて座り込んだ。
 真希は美晴の背中をさする。

「ショックよね……でも、美晴さんは何も悪くないから。あの家族は、結局、手術の日さえも、病院には来なかったの。遺体も引き取りを拒否したから、彼女の遺体は無縁仏として業者に引き取られることになって。なんで、自分の娘なのに、あそこまで冷酷になれるのかしらね。だから、彼女のことを、最後の最後まで考えてあげてたのは美晴さんだから。もう自分を責めないでほしい」

 床に水滴が落ちる。美晴の目から零れ落ちた涙だった。
 ――それじゃあ、彼女はいったい、何のために生まれて来たの? 親にまで存在を否定されて。
「私、お花屋さんになりたいんだ」
 治療をしていた時、梓がポツリと言ったことがある。
「そお、素敵じゃない。素敵な夢」
「ホントに? でも、うちの親に言っても、そんなしょーもないものになってどうするんだって言われて。花屋なんて、将来なくなる職業だって言われた」
「そうなんだ。どうしてお花屋さんになりたいの?」
「私、花が好きだから。花を見てる時だけ、幸せな気持ちになるんだ。花は私を傷つけないから」
 あの時の、寂しそうな笑み。
 一番好きな花だと、ヒマワリを一輪持って来てくれたこともあった。
 ――彼女は愛されたがっていた。親に愛されたかっただけなのに。こんな仕打ち、むごすぎる。
 涙はたちまち水たまりをつくる。美晴は全身を震わせて、泣いた。声を押し殺して泣いた。


 駐車場で待っていたゆずは、美晴が号泣しながら戻って来たので、目を丸くした。
「車、出して、お願い」
 美晴に頼まれて、ゆずはとりあえず車を走らせた。近くのショッピングセンターに入り、駐車場で車を止めた。
 ゆずには今日ここに来た事情を話してあるので、何も説明しないわけにはいかない。
「患者さんが亡くなってて……」
 その一言で、「植物状態だったよね、その人」とゆずの顔色が変わった。
「もしかして、臓器を取られたりしてない?」
 美晴が何も答えられないでいると、「他のところでもあるんだ……」とつぶやいた。

「看護師の友達の病院で、植物状態の患者さんが臓器移植の対象になったって……でも、すっごい戒厳令が敷かれて、その手術に関わるのはごくごくわずかで、深夜に手術が行われたんだって。友達は、たまたまそのチームに加わることになったんだけど、そのチームにはものすごい手当が振り込まれて、これじゃ口止め料だって、その子、怖がってて」
「そんなことが起きてるの?」
「まだ聞いたのは、それだけなんだけど……ヤバイヤバイ、怖いよ、それ」
 ゆずは身体をブルッと震わせた。
「このことは誰にも言わないでね。怜人さん達にも」
「もちろん。その友達もすっごい怖がってたから、誰かに知られたらヤバイってのは分かってる」

 ゆずは大きくため息をついた。
「なんか、ホントに、怖い世の中になっちゃったな。私も病院から、真実の党の手伝いをしてるのをうるさく言われるようになったし」
「そうなの?」
「うん。上の人から、国に目をつけられる前に抜けろって言われてる」
「国って、じゃあ、やっぱり妨害してるのは今の政権?」
「そうだと思う。でもね、私ね」

 ゆずはしばらくためらってから、「白石さんと一緒にいたくて。振り向いてくれないってことは分かってるんだけど」と小さく言った。
 今は恋愛の話をしてくれるほうが、気が楽になる。
「うん。ゆずちゃんは本気で白石さんのことを好きなんだよね」
「やっぱ、バレてるか。そうなの。でも、白石さんは美晴さんのことを好きだよね」
「うーん、どうだろ。でも、私は白石さんのことをそういう目で見れないしね」
「美晴さんは、怜人さんのことを好きでしょ?」
 ゆずの問いに、美晴は素直にうなずいた。

「やっぱね。私、あの優梨愛って人より、美晴さんのほうが怜人さんには合ってるって思うよ。優梨愛さんって、怜人さんの活動は全然手伝う気はないみたいだし。怜人さんは元々、民衆党の党首になれるって言われてたんだよね。そうすれば、総理大臣になれる可能性もゼロじゃないでしょ? だから優梨愛さんも応援してたみたい。それなのに党を飛び出しちゃったから、優梨愛さんは猛反対して、アメリカに行っちゃったって。今戻って来たのは、怜人さんが注目されてるからじゃないかな。すっごい打算的な人だって思う」

 ゆずは意外と深く洞察していることに、美晴は内心驚いていた。
「だから、怜人さんには美晴さんがいいのに。怜人さんも、ホントは美晴さんのことを好きなんじゃないかな」
「そんなこと」
「ううん、ゆずのこういうカンは当たるんだから」
「だといいんだけどね」
 美晴はため息をついた。ゆずと話しているうちに、気分は少し落ち着いてきた。

「白石さんのどこが好き?」
「クールなところかな。私、昔から、自分を振り向いてくれない人を追いかけちゃうんだよね。ダメなんだよね~」
「もしかして、白石さんとは」
「うん。何回かエッチした。でも、次の日は何もなかったみたいな態度取るんだもん。LINEのメッセージも既読になっても、返事は全然来ないし。電話にも出てくれないし。事務所の他の女の子にも手を出してるのは知ってるんだけど。ひどい男だよね、ホント」
「ひどい男だって思ってても、嫌いにはなれないんだ」
「そうなの。振り向いてくれないって分かってるのにね」

 何度も「振り向いてくれない」と言うところを見ると、相当思いを募らせているのだろう。
 白石は、おそらく人間的に尊敬できるタイプではない。だが、ここまで入れ込んでいる人に忠告しても何にもならないということを、美晴は分かっていた。
「だからね、美晴さんにも時々嫉妬するんだ。ホント言うと。でも、美晴さんは絶対白石さんのようなタイプにはなびかないなって分かってるから、安心してるって言うか」
 ゆずは美晴の肩に頭をもたせかけた。

「美晴さん、けなげだから、私、好きだな」
「私もゆずちゃんのこと、好き」
「なんだ、うちら、相思相愛か?」
「だね」
 二人でしばらく窓の外をぼんやりと見つめていた。