「美晴さん、今日からよろしく」
 怜人が手を差し出したので、美晴も反射的に手を出した。怜人は力強く握りしめる。
「あ、いきなり名前で呼んでしまったけど、なれなれしかったら申し訳ない」
「いえ、いいです」
「でも、ホント、演説をするって決心してくれて、ありがたいです。男だらけのステージだと、なんか、むさくるしいって言うか、暑苦しいって言うか」
「オレはさわやか系だから、一緒にすんなよ」
 白石が軽口を叩く。
「それは自称な。美晴さんが参加したら、花を添えるって感じで、ステージが明るくなると思うんですよ」
 怜人は口がなかなかうまい。
 その日は横浜で街頭演説をすることになっていた。怜人と白石と、ワゴン車の中で打ち合わせをしていた。

「まず、僕が司会で場を温めるので、それから美晴さんに登場していただきます。話すのは10分ぐらいで。その後、怜人の演説になります」
「10分って、結構長いですよね。何を話せばいいのか……」
「美晴さんは、なんで心理カウンセラーになろうって思ったんですか?」
 怜人は美晴にペットボトルのお茶を渡した。

「中学でも高校でも、心を病んでる人が多くて……スクールカウンセラーも一応いたけど、全然役に立ってなかったんですよね。いじめられてる子を、『あなたにも悪いところがある』って余計に追い込んじゃって、引きこもりになっちゃう子もいたし。いじめてる子は、資産家の子だったら擁護したり」
「最悪じゃないですか」 

「そう、最悪だから、海外でちゃんと学んで、子供達を救えるようになりたいって思ったんです。でも、途中で、子供を救う前に大人を救わなきゃいけないんじゃないかって思うようになって。大人の世界のいじめを止められなきゃ、子供の世界のいじめなんて止められないし。だから、日本に帰って来てからは普通の病院でカウンセリングをする仕事に就いたんです」

「大人の世界のいじめって何ですか?」
「この間まで勤めてた会社がやってることは、まさにいじめでしたね。最初は高い給料を提示して雇っておきながら、半年ぐらい経ってからどんどん引き下げていくんです。それも半額にまで下げちゃう。それで、『頑張ったら、また元の給料をもらえるぞ』ってニンジンをぶら下げて。今は仕事がすぐに見つからないから、みんな我慢しながら働くしかなくて。それなのに、40代になったら否応なくクビを切られちゃうし。もう、みんな自分の仕事にしがみつくために必死になってて、足の引っ張り合いもすごいみたいで」
「それは病んでますね」
「病んでますよ。でも、私の力じゃ、結局何もできなくて……」
 怜人はうんうんと大きくうなずく。
「今の話をそのまま伝えればいいと思いますよ。話を聞きに来る方の多くは、そういう環境で働いてボロボロになってる方ばっかりだし。それに対して、政治でどうやって解決すればいいのか、僕が語ればいいんでしょうね」

 そのとき、車の窓がノックされた。警察官が二人、車を覗き込んでいる。
「なんだよ、またかよ」
 白石が舌打ちをする。
 怜人が車を降りて、警察官に何やら説明している。
「最近、警察の妨害が増えたんですよ。事前に申請して許可をもらってるのに、あれこれ難癖をつけて、演説をさせないようにしてきて」
「それって、警察に睨まれてるってことですか?」
「警察にって言うか、政府にでしょうね。怜人は若者に人気があるから、与党は何とかつぶそうっていろいろ仕掛けてくるんですよ。この間も、演説してる最中に、『旗の立て方が悪い』って警察が難癖つけて来て、支援者が怒って、もみあいになっちゃって」
 白石は苛立ったような表情を浮かべる。

 窓を開けると、怜人は警官に身振り手振りで「だから、事前にちゃんとこの時間で申請してますって!」と説明している。
 気が付くと、まわりに人が寄って来ている。やじうまかと思ったら、どうやら怜人の支援者のようだ。
「また妨害かよ」
「誰に頼まれたんだよ」
「警察って、他にやることがあるんじゃないの? こんなとこでどうでもいいことばっか、注意してないでさ」
 口々に警官に不満をぶつけて、動画を撮影している。警官は決まり悪そうな表情になり、ボソボソと二人で相談してから、去って行った。

 白石と美晴も外に出る。
「何、今日は何だって?」
「演説の時間が違うだろって。今日の午後だったはずだって言って来たから、こっちが送った書類を見せてくれって言ったら、そんなの見せられないの一点張りで」
「元々、こっちから送った書類なのに」
「ああ。言ってることがメチャクチャすぎる」
 怜人はため息をついた。

「まあ、でも、逃げてったから、やらせてもらえるってことかな。さっさと始めちゃおうか」
 怜人は美晴に微笑んだ。
「美晴さんは気にしないで、普通に話してください。何かあったら、僕が対応しますから」
 美晴は、「ハイ」とまっすぐに怜人の瞳を見て答えた。


 それから毎日、怜人と演説を回ることになった。
 最初のうちは、ステージに立つと頭が真っ白になり、足も震えたが、一週間も経つと慣れてきた。美晴の演説の動画は毎日アップされ、何百ものコメントがつく。

「革命のアイドル」
 誰かが美晴をそう呼ぶと、瞬く間にその肩書きが浸透していった。

「すごいわね、美晴さんの人気は」
 受付を手伝いに来た千鶴が、感心したように言う。
「怜人君は、ウケることに関して嗅覚は鋭いのよね。美晴さんを抜擢してから、寄付金も増えたし、ホント助かってる」
「そんな、私なんて、話もまとまりがなくて、いつも怜人さんがうまくまとめてくれるっていうか」
「一生懸命話してる様子が伝わるから、それでみんな心打たれるみたいよ。陸も、毎日、美晴さんの動画見てるし」
「そうなの?」
 陸の顔を見ると、はにかんだように俯いた。

 あれから、美晴が東京にいるときは、千鶴は夕飯に誘ってくれるようになった。美晴も差し入れを持っていったりして、三人で過ごすのはとても心地よかった。陸も交えて、3人で台所に立つこともある。
「美晴さん、うちの近くで空いてるアパート、いくつかあったわよ」
「ホントに⁉ 無職だから、いつまでも今のマンションに住んでられないし。やっぱ、千鶴さん達の近くに引っ越そっと」
「そしたら、もっと美晴さんと会えるし。ねえ」
 千鶴が声をかけると、陸は嬉しそうな表情になった。美晴が来てから陸の笑顔が増えたと、千鶴も喜んでいる。

「美晴ちゃん、そろそろ出番だよ」
 白石が呼びに来た。
 いつの間にか、白石は美晴のことを「美晴ちゃん」と呼ぶようになった。実は、美晴自身はあまり嬉しくない。怜人は「美晴さん」と敬意を持って呼んでくれているのが分かるので、好感を持てた。
 ステージに向かうと、怜人は支援者と話をしていた。
 一緒に活動するようになり、怜人のさまざまな面を知っていった。
 支援者から窮状を訴えかけられたら、真剣に耳を傾けること。次の予定が遅れてでも、決してそれを疎かにしていない。
 支援者ではない人に非難されても、激昂することも、ひるむこともない。冷静に相手の話を聞き、自分の意見を熱意を込めて伝える。その姿に感化されて、非難したのに寄付をして帰る人もいるぐらいだ。
 スタッフへの気遣いも素晴らしい。スタッフたちをしょっちゅう笑わせて、「いつもありがとう」とお礼を言うのも忘れない。

 ――こういう人が国のリーダーだったら、この国はもっとマシになるかもしれない。
 美晴は本気でそう思うようになっていた。