レイナは袖でスティーブの歌声を聞いていた。太くて伸びやかな声が、会場中に響き渡る。
 観客は熱狂に包まれて、歌に合わせてこぶしを振り上げている。このグルーブ感。
 レイナは目を閉じて、会場全体の空気を全身で感じていた。
「君も、いつかは、あそこに立つんだ」
 裕がレイナの耳元でささやいた。
「あのセンターで、君も歌うんだ」

 曲が終わり、スティーブは客席に手を振りながら袖に入って来た。
「やあ、待っていたよ」
 スティーブはレイナを見ると、ホッとした表情になった。
 それから、「君は強い子だ、レイナ」とレイナを抱きしめる。

「その髪留めを、ちょっと貸してくれないか?」
 スティーブはレイナが両手で握りしめているバレッタを指した。
「ステージでなくしたら困るから。代わりに、君にはこれをあげよう」
 スティーブは胸ポケットに刺していた真っ赤なガーベラを、レイナに渡した。
 アンソニーが、レイナの髪に刺してあげる。
「この花の花言葉は、愛なんだ。君はいつもタクマの愛に包まれている。永遠に消えない愛にね」
 裕が訳してくれる。
 レイナは泣くのを堪えながら、バレッタをスティーブに渡した。

「それから、予定変更だ。君がこれから歌うのは、オレの歌じゃない。タクマが君に作ってくれた歌だ」
 レイナは「え? どういうこと?」と裕の顔を見る。
「ステージに出たら、分かるよ」と裕は柔らかく微笑む。
「それじゃ、オレが呼んだら、出て来てくれ」
 スティーブはレイナの肩をポンと叩き、再びライトの洪水の中に戻って行った。

 スティーブが客席に向かって話しかけている。会場からどっと笑い声が起きた。
 笑里がそっとレイナの手を握った。
「私たちはずっと、ここで観てるからね」
 トムはレイナに親指を立てて、「頑張って」と小声で言った。
 アミは「うーうー」とレイナに握りこぶしをつくってみせる。励ましてくれているのだろう。
「ありがと」
 小さくお礼を言う。

「それじゃ、ここで、オレが日本で一番会いたかった人をみんなにも紹介するよ。みんなも知ってるんじゃないかな?」
 スティーブの言葉に、客席のあちこちから「ヒカリー」と声が上がる。
 スティーブはちょっと困った顔になった。
「イヤ、ヒカリじゃない。彼女には帰ってもらったんだ。彼女は、オレの大切な友達にしてはいけないことをしたからね」
 客席がざわつく。
 裕が背後からレイナの両肩に手を置く。
「気にするな。君は、君の歌を歌えばいい」
 レイナは目を閉じて深呼吸した。

「オレがこれから紹介するのは――レイナだ。ゴミ捨て場に住んでいた少女、レイナ」
 スティーブがこちらを向き、手招きした。
「さあ、出番だ」
 裕は軽くレイナを押し出す。レイナは一歩踏み出した。
 袖からステージに出ると、とたんに客席から嵐のような拍手が起きる。
「ウソっ、レイナって、あのときの?」
「えー、会えると思ってなかった!」
 客の声が途切れ途切れに聞こえる。
 スティーブが手を広げて迎えているところまで、レイナは一歩一歩、向かって行った。

「みんなも知ってるみたいだね。そうだ。マイクが切れても、武道館に響き渡る声で歌った、レイナだ」
 レイナは客席に向かって深々とお辞儀をした。さらに拍手が大きくなる。
「オレもあのときの歌を聞いて、しびれたんだ。あんなに美しくて、パワフルな歌声を聞いたことがない。どうしても一緒に歌いたくなって、今日は来てもらったんだ」
 野外なので、客席の様子が見える。みんな、レイナに釘付けになっている。
 時々、「レイナ―」「かわいーい」という声が飛ぶ。

「今日は、レイナに一曲歌ってもらうんだ。ホントは、オレの歌を一緒に歌う予定だったんだけれど、予定変更」
 スティーブはレイナの肩をつつき、後ろを見るように促した。
 振り向くと、いつの間にか背後にはピアノが一台、置いてある。
 そのピアノは――。
 レイナは小さな声を上げた。

 ――お兄ちゃん!

 ピアノの前には裕が座って、レイナを見て微笑んでいる。
「そう、君の大切な人のピアノだ。分かるね?」
 レイナは何度もうなずく。涙があふれてきた。
「レイナ。歌うんだ、あの曲を。タクマ君が、君に教えてくれた曲を」
 裕はレイナの目を見つめながら、一言一言、言い聞かせた。