「ママがいなくなっちゃったの」
「ああ」
「ディズニーランドに行ってる間に、ママがいなくなっちゃったの。ディズニーランドになんて、行かなきゃよかった」
 レイナは膝に顔を埋める。

「私たちが頼まれたんだ。レイナをしばらくどこかに連れて行ってほしいって。その間に、身を隠すからって。本当は、ディズニーランドから戻って来たら話すつもりだったんだけど、まだ話してなくて申し訳ない」
 裕は穏やかな声音で、諭すように語りかける。
「ここにいると、君も危険な目に遭うんだって言っていた。だから、しばらく私たちが君を預かることにしたんだ」
「しばらくって、いつまで?」
「それは分からない。だけど、ミハルさんは、君を捨てるようなことはない。それはレイナ自身がよく分かっているだろう?」
 レイナは肩を震わせて泣きじゃくるばかりだ。
 
 裕はジャケットのポケットから、封筒を取り出した。
「これ、ミハルさんから預かってる」
 レイナは顔を上げた。
「君に渡してくれって頼まれたんだ」
 レイナは震える手で封筒を受け取る。封を切ろうとしても、うまくいかない。
 代わりに裕が封筒の端っこを切って、便箋を出してくれた。
 見慣れたミハルの美しい文字。

『レイナへ
 だまっていなくなってしまって、ごめんなさい。
 ママにはやらなければいけないことがあります。
 それがおわったら、かならずむかえに来るから。
 それまでは西園寺せんせいたちといっしょにくらして、歌のレッスンをうけてください。
 ママはレイナの歌声を、かならずどこかできいています。
 だから、ママのために歌ってね。天国にいるタクマくんのためにも。

 レイナ、私のたいせつなむすめ。
 あなたのほんとうのなまえは「怜奈(れいな)」です。
 あなたのお父さんから、一字とってつけました。
 怜奈、ママはせかいいち、あなたをあいしています。
 だから、しんじてまっていてほしい。
 またいつかいっしょにくらせる日が、ぜったいに来るからね。
 ママはどこにいても、ずっとずっと、あなたの幸せだけをねがっています。
                                美晴(ミハル)』

 レイナは読み終えると、床に突っ伏して泣いた。ただひたすら泣いた。
 笑里は、その背中を優しくさすった。裕もそばで見守ってくれる。
 やがて、涙が枯れて放心状態になったレイナは、裕と笑里に連れられて小屋を出た。待っていたジンがレイナに小包を渡した。
「これ、ミハルさんから預かってる。レイナが街に行って一週間したら、レイナに送ってほしいって言われてたんだ」
「ママから……?」
 レイナは憔悴しきっていたので、笑里が受け取った。

「レイナ、行っちゃうの?」
 トムとアミがレイナに抱きついた。
「行っちゃやだよお。タクマもいなくなって、レイナまでいなくなるのは、嫌だよお」
 トムは涙声で訴えかける。アミも「やー」と泣きながらレイナの腰にしがみつく。
「たまに、レイナを連れてここに戻って来るから。君たちも、街に来ればいい」
 裕が言い聞かせると、「そんなのウソだ。絶対に戻って来ない」とトムは睨みつける。

「トム、アミ。行かせてやれ」
 ジンとマサじいさんが二人を引き離す。
「それがミハルさんの望みなんだ」
「レイナあ」 
「あー、あー」
 レイナはみんなにお別れを言う気力もなく、裕と笑里に抱えられるようにゴミ捨て場を後にした。


「本当にすみません。事情が分からないのに、ここまで連れてきてしまって」
 森口が裕に詫びている。
「いや、いいんだ。レイナを思ってのことなんだから。早めに伝えなかった私達が悪かったんだ」
 裕は森口を責めることなく、いつものように穏やかな口調で言う。

 笑里は、「これ、開けてみる?」と小包を指した。
 レイナは窓の外をぼんやり見ていて、無反応だ。その手には、ミハルからの手紙と、ミハルに渡すつもりだったお土産が握りしめられている。ミハルに似合うだろうと思って買ったイヤリングだ。
 笑里は包みを丁寧に開ける。なかから、絵本と童話が数冊、アルバムが出てきた。
「これ、何の本だか分かる?」
 笑里が見せると、レイナはハッとした。
「これ、ママが」

 ――小さいころ、ずっと読んで聞かせてくれた本だ。文字もこの本から覚えたんだっけ。

「ママが読んでいた本」
「そう。宝物ね。だから持たせてくれたのね。大事にしないと」
 青い表紙のアルバムだけ、見覚えがない。
 笑里から受け取って開いてみると、幼いころのタクマと若いマヤの写真がいっぱい貼ってあった。ゴミ捨て場に来る前に、家族で撮った写真なのだろう。タクマの父親らしき人も映っている。
 ミハルが、タクマの小屋から持ち出したらしい。

 ――お兄ちゃん。ママ。

 レイナの頬に、再び涙が伝う。

 ――どうして、いなくなっちゃったの。私、一人ぼっちになっちゃったよ。

 笑里がそっと抱きしめてくれる。
「いいのよ、好きなだけ泣いて。いいの、いいの」
 レイナは再び声を出して泣き出した。
 裕はバックミラー越しにレイナの様子を見守っている。
 車は街に向かって、緩やかにスピードを上げた。