「朝ご飯は、食べた?」
 ミハルが尋ねると、アミは首を横に振る。
「じゃあ、スープを食べなさい。パンもあるわよ」
 ミハルはアミの分のスープと食パンを用意した。

「目玉焼き、食べる?」
 レイナが半分ほど食べたトーストを差し出すと、アミはちょっと首を傾げた。
「いいよ、食べても。私はそっちのトーストを半分もらうから」
 そういうと、アミは「ありがとう」と口を動かして、目玉焼きをのせたトーストを嬉しそうに頬張った。

「お父さんは、昨夜帰って来なかったの?」
 ミハルが聞くと、アミは小さくうなずく。
「困ったわねえ。またどこかでギャンブルやって、お金をすっちゃったんでしょうね」
 ミハルはため息をつく。

「マサじいさんやジンさんが何度注意しても、ダメみたい」
「そうみたいね。アミちゃん、前にも言ったけど、ヒロさんが夜に帰って来なかったら、うちに来てもいいのよ。一人で眠るのは寂しいでしょ?」
 アミは困ったように首を傾げる。

「お父さんが夜中に帰って来たときにいなかったら、心配するかもしれないってアミは思ってるみたいよ」
 レイナが代弁すると、ミハルは「そう。お父さん想いね」とアミの頭を優しくなでた。アミは、はにかんでうつむく。

 食事を終えてから、レイナはアミの髪をブラシでとかしてあげた。
 アミは8歳だが、3、4歳にしか見えないほど、やせ細っていて、背も低い。2年前に父親のヒロと共にゴミ捨て場に来たときは、まともに歩けないぐらいに小さかった。
 まわりの大人たちが一生懸命、栄養のあるものを食べさせて、ようやく走り回れるぐらいの体型になったのだ。

「トムと家具を見に行くんだけど、行く?」
 尋ねると、アミは元気よくうなずいた。食器を洗うのをミハルに任せて、小屋の外に出る。

 アミが駆けて行こうとするのをレイナはあわてて腕をつかんで、「そっちはトラックがいっぱいいるからダメ」と諭した。

 ミハルから、トラックやショベルカーが行き来している時間帯は、絶対に近づいてはダメだと、今まで何十回も言い聞かされてきた。過去に、トラックやショベルカーに轢かれて大けがをしたり、亡くなった住人が何人もいるのだ。

「それでも、あいつらは何もしないのよ。見て見ぬふりをするだけ。血だらけになった遺体が放置されてたこともあるんだから」
 ミハルは何度もそう言った。

 あいつらとは、トラックやショベルカーを運転している作業員だ。制服を着た作業員たちは、夕方、作業を終えると街に戻って行く。

 レイナは、街がどんなところなのか知らない。
 ただ、ここよりももっといい暮らしをできるところであるのだけは分かる。そして、街で暮らす人達から、ゴミ捨て場の住人は見下されていることも。

 アミと手をつないで南口に向かった。アミに「今日は何があるかなあ」と話しかけても、トラックの轟音で聞こえないらしい。
 レイナは大きく息を吸いこみ、歌いだした。

さあ、立ち上がろう
暗闇でいつまでも膝を抱えていないで
さあ、歩き出そう
真実の光があなたの足元を照らすから
さあ、深呼吸をして
世界は喜びに包まれているから
さあ、手を伸ばして
いつかあなたの夢に手が届くから
さあ、愛し合おう
あなたを愛してくれる人が、きっとそばにいる
きっと、ずっと、あなたを強く抱きしめてくれるから

 ラジオでよく流れているアップテンポの曲だ。レイナのお気に入りで、毎日のように歌っている。

 レイナが歌うと、アミは顔を輝かせて、一緒に歌おうと口を開ける。
 その口から洩れてくるのは声にならない音ばかりだが、嬉しそうにアミは首を左右に振っている。

 レイナはトラックやショベルカーの騒音に負けないように声を張り上げる。歌っている間だけ、自分がゴミ捨て場にいることを忘れられるのだ。

 南口に着くと、ゴミの山に登っているトムが、「ここまで歌が聞こえて来たよー」と手を振った。その横にはタクマがいる。

「おはよう、レイナ」
 タクマはやわらかな微笑みを向ける。
 毛糸の耳当てをして、革ジャンを着ている。髪を後ろで1つに結んでいるのが、タクマのいつものスタイルだ。

「おはよっ、タクマ兄ちゃん」
 レイナとアミは、ゴミの山を駆け上った。
「風邪はもういいの?」
「うん。今は母さんが寝込んでる。僕がうつしちゃったんだけど」
 タクマは青白い顔を少し曇らせた。切れ長の目は、いつもかすかな愁いを帯びている。

「レイナ、あれ見て。あのソファー、オレがもらうんだっ」
 トムは興奮して、ワインカラーのベルベットでできた長ソファを指差す。
「えー、あんな大きいの、小屋に入るの?」
「入らなかったら、外に置くもん。あのソファをベッドにするんだ」
 トムは駆けて行って、ソファの上に寝転んだ。

「確かに、トムが寝るのにはピッタリのサイズだよね。後で、おじさんたちに運んでもらおう」
 タクマはようやく聞き取れるようなか細い声で言う。

 既に、付近ではゴミ捨て場の住人がめぼしいゴミを物色していた。
 ここの住人たちの経歴はさまざまだ。元経営者もいれば、元スポーツ選手や元トラック運転手、元トレーダーも元料理人もいる。

 相手の過去を根掘り葉掘り聞くのは、ここではタブーだ。
 自分が話そうという気になるまで待つようにと、マサじいさんはいつも子供達に言い聞かせている。

「今日は高そうな家具ばっかだね」
「うん。おじさん達は、売れば結構なお金になるって、喜んでるよ」

 レイナは食器棚やタンスを見ながら、「まだキレイなのに、なんで捨てちゃうんだろ」とアミに話しかける。アミはタンスや食器棚の引き出しを開けて、中に何か入っていないか確認している。

「あっ、フォークやスプーンが入ったままだ。これは持って行って、みんなに配ろうよ」
 レイナはダウンジャケットのポケットに、フォークやスプーンを詰めた。アミもダッフルコートのポケットに小さなスプーンやフォークを詰める。

 下の棚を開けると、本が入っている。
「なんだろ」
 レイナは取り出して、「えーと、アメリカ……? これは『ん』だったかな……アメリカン。クッキ……ングかな」とカバーに書いてある文字を読み上げた。

 レイナは学校に通ったことはないが、読み書きはミハルが教えてくれたので、ある程度は読める。
 パラパラとめくると、おいしそうな料理の写真がたくさん載っている。
「これ、ママにあげよ。ママが喜びそう」

 そのとき、「レイナ、あれ見て!」とタクマに呼ばれた。
「あれ、ピアノだ!」