レイナは武道館を見上げて、ポカンと口を開けた。
――こんなに大きな建物、見たことない。ここに人が集まってくるってこと?
レイナの驚きに気づいて、裕は「大きく見えるけど、ゴミ捨て場のほうがもっと広いんじゃないかな」と言った。
「えっ、そうなの?」
「ああ。僕も一回、ゴミ捨て場を一周したけれど、結構な運動になったからね。ゴミ捨て場のほうが広いよ」
「ふうん、そっかあ」
裕に促されて会場の楽屋口に入ったレイナは、落ち着かなくてキョロキョロと辺りを見回した。
「先生、おはようございます」
あちこちから声がかかり、裕はそのたびに「おはよう」と返している。
――もうお昼すぎなのに、おはよう?
レイナが不思議に思っていると、「あの子が、あの?」「ボロボロの服着てるじゃない」「きったない」というヒソヒソ声が耳に届いた。スタッフたちはレイナのことをじろじろ見ている。
レイナは急に恥ずかしくなり、俯いた。
裕がそっと肩に手を置く。見上げると、「大丈夫だよ」と熱のこもった瞳で言った。
裕は「西園寺様」と張り紙がしてある部屋のドアを開けた。
「ここは楽屋って言うんだ。ここでメイクをしたり、衣装を着たりするんだよ」
「ふうん」
鏡がたくさんあるぐらいで、他には何もない。
「飲み物も用意してないのか。誰かに持って来させるかな」
裕がつぶやいたとき、誰かがドアをノックした。
裕が「どうぞ」と答えると、アンソニーが「西園寺先生、おはようございまあす」と顔を出した。
「ああ、おはよう。今日はよろしく」
裕は答えてから、「レイナ、こちらはヘアメイクを担当しているアンソニーだ」と紹介した。
「あらあ、この子がレイナちゃん? 西園寺先生の新しい秘蔵っ子ね。よろしくう」
レイナは目をパチクリさせていた。
女性の言葉遣いをしているが、アンソニーはどう見てもヒゲを生やした男性だ。短く刈り上げた髪は金髪に染め、耳には大きなピアスをしている。
そして、顔だちは白人っぽくない。レイナと同じ人種に見える。
「あ、もしかして、男なのになんで女っぽい言葉を使ってるんだって思ってる?」
アンソニーの問いに、レイナは深くうなずいた。
「まあ、素直ねえ。かわいいわあ」
「アンソニーは見た目はともかく、腕はいいんだよ」
「見た目はともかくって、何よ、失礼ね」
アンソニーは軽く裕を睨む。
「それにしても、この子は磨けば光りそうな逸材じゃないの。西園寺先生が力を入れたがるのも分かるわ」
裕は何も答えずに「衣裳を持って来る」と部屋を出て行った。
「それじゃあ、変身しましょうか、シンデレラ。なあんてクサいことを言う自分が、我ながら嫌になるわあ」
アンソニーはコロコロと笑う。
「あの、なんで、アンソニー?」
「ああ、『キャンディキャンディ』のファンだからよ」
「キャンディ……?」
「そういう名前の昔のマンガがあるの。読んだことない?」と言いながら、レイナを鏡の前に座らせ、キャリーケースからメイクボックスを出してメイク道具を並べる。
レイナは歓声を上げる。
「すごーい、きれーい!! これ、全部、メイクで使うの?」
「そうよお。たくさんあるでしょ?」
レイナは「ママにもあげたいなあ」と、うっとりとため息をつく。
「ママはどんなのを使ってるの?」
アンソニーが聞くと、「ママはメイクをしたことはないよ。でも、キレイなの。世界一、キレイなの」とレイナは答えた。
「……そう。そうね、あなたのママなら、きっとキレイでしょうね」
アンソニーはレイナがつけていたバレッタを外した。
「あ、それ!」
レイナは慌てて受け取る。
「大事なものなの?」
「うん。タクマお兄ちゃんにもらったの」
レイナは愛おしそうにバレッタをなでた。
「そうなの。タクマお兄ちゃんは、今日は観に来るの?」
「うん、たぶん、天国から見てくれると思う」
アンソニーは髪を梳く手を止めた。
「あら、やだ。タクマお兄ちゃんって、もしかして……」
「死んじゃったんだ。トラックに轢かれて。これはお兄ちゃんから、誕生日プレゼントにもらったの」
レイナは自分でも驚くほど、普通にタクマの死について語った。
「あらあ。それじゃ、まるで『キャンディキャンディ』じゃない。私、そういう話に弱いのよお」
アンソニーはハンカチを取り出して目頭を押さえた。
「じゃあ、このバレッタはつけないとね。タクマお兄ちゃんに見えるように」
レイナはコックリとした。
そのとき、裕が「衣裳はこの中から選ぶらしい」とハンガーかけをガラガラと運んで来た。
そこには5着の衣裳がかかっていた。大きなリボンがついたピンクのドレス、肩がシースルーになっている黄色いドレス、白い総レースのワンピース、水色の肩出しドレス、チェックのワンピース。
レイナは釘付けになる。
「キレイ……お姫様みたい。これ、誰が着るの?」
「レイナが着るんだよ」
「えっ、ホントに!?」
レイナは恐る恐るドレスに触ってみる。生地もやわらかくて、いつも自分が来ている服とは大違いだ。
「やっぱり、白だな」
「そうね、この子の無垢な感じを出すのは断然白だと思う」
裕とアンソニーの意見が一致して、白いワンピースを着ることになった。
「それじゃ、後は頼むよ」
裕が部屋を出て行った。
「じゃあ、変身するわよ、お姫様」
アンソニーが目をキラリと光らせた。
――こんなに大きな建物、見たことない。ここに人が集まってくるってこと?
レイナの驚きに気づいて、裕は「大きく見えるけど、ゴミ捨て場のほうがもっと広いんじゃないかな」と言った。
「えっ、そうなの?」
「ああ。僕も一回、ゴミ捨て場を一周したけれど、結構な運動になったからね。ゴミ捨て場のほうが広いよ」
「ふうん、そっかあ」
裕に促されて会場の楽屋口に入ったレイナは、落ち着かなくてキョロキョロと辺りを見回した。
「先生、おはようございます」
あちこちから声がかかり、裕はそのたびに「おはよう」と返している。
――もうお昼すぎなのに、おはよう?
レイナが不思議に思っていると、「あの子が、あの?」「ボロボロの服着てるじゃない」「きったない」というヒソヒソ声が耳に届いた。スタッフたちはレイナのことをじろじろ見ている。
レイナは急に恥ずかしくなり、俯いた。
裕がそっと肩に手を置く。見上げると、「大丈夫だよ」と熱のこもった瞳で言った。
裕は「西園寺様」と張り紙がしてある部屋のドアを開けた。
「ここは楽屋って言うんだ。ここでメイクをしたり、衣装を着たりするんだよ」
「ふうん」
鏡がたくさんあるぐらいで、他には何もない。
「飲み物も用意してないのか。誰かに持って来させるかな」
裕がつぶやいたとき、誰かがドアをノックした。
裕が「どうぞ」と答えると、アンソニーが「西園寺先生、おはようございまあす」と顔を出した。
「ああ、おはよう。今日はよろしく」
裕は答えてから、「レイナ、こちらはヘアメイクを担当しているアンソニーだ」と紹介した。
「あらあ、この子がレイナちゃん? 西園寺先生の新しい秘蔵っ子ね。よろしくう」
レイナは目をパチクリさせていた。
女性の言葉遣いをしているが、アンソニーはどう見てもヒゲを生やした男性だ。短く刈り上げた髪は金髪に染め、耳には大きなピアスをしている。
そして、顔だちは白人っぽくない。レイナと同じ人種に見える。
「あ、もしかして、男なのになんで女っぽい言葉を使ってるんだって思ってる?」
アンソニーの問いに、レイナは深くうなずいた。
「まあ、素直ねえ。かわいいわあ」
「アンソニーは見た目はともかく、腕はいいんだよ」
「見た目はともかくって、何よ、失礼ね」
アンソニーは軽く裕を睨む。
「それにしても、この子は磨けば光りそうな逸材じゃないの。西園寺先生が力を入れたがるのも分かるわ」
裕は何も答えずに「衣裳を持って来る」と部屋を出て行った。
「それじゃあ、変身しましょうか、シンデレラ。なあんてクサいことを言う自分が、我ながら嫌になるわあ」
アンソニーはコロコロと笑う。
「あの、なんで、アンソニー?」
「ああ、『キャンディキャンディ』のファンだからよ」
「キャンディ……?」
「そういう名前の昔のマンガがあるの。読んだことない?」と言いながら、レイナを鏡の前に座らせ、キャリーケースからメイクボックスを出してメイク道具を並べる。
レイナは歓声を上げる。
「すごーい、きれーい!! これ、全部、メイクで使うの?」
「そうよお。たくさんあるでしょ?」
レイナは「ママにもあげたいなあ」と、うっとりとため息をつく。
「ママはどんなのを使ってるの?」
アンソニーが聞くと、「ママはメイクをしたことはないよ。でも、キレイなの。世界一、キレイなの」とレイナは答えた。
「……そう。そうね、あなたのママなら、きっとキレイでしょうね」
アンソニーはレイナがつけていたバレッタを外した。
「あ、それ!」
レイナは慌てて受け取る。
「大事なものなの?」
「うん。タクマお兄ちゃんにもらったの」
レイナは愛おしそうにバレッタをなでた。
「そうなの。タクマお兄ちゃんは、今日は観に来るの?」
「うん、たぶん、天国から見てくれると思う」
アンソニーは髪を梳く手を止めた。
「あら、やだ。タクマお兄ちゃんって、もしかして……」
「死んじゃったんだ。トラックに轢かれて。これはお兄ちゃんから、誕生日プレゼントにもらったの」
レイナは自分でも驚くほど、普通にタクマの死について語った。
「あらあ。それじゃ、まるで『キャンディキャンディ』じゃない。私、そういう話に弱いのよお」
アンソニーはハンカチを取り出して目頭を押さえた。
「じゃあ、このバレッタはつけないとね。タクマお兄ちゃんに見えるように」
レイナはコックリとした。
そのとき、裕が「衣裳はこの中から選ぶらしい」とハンガーかけをガラガラと運んで来た。
そこには5着の衣裳がかかっていた。大きなリボンがついたピンクのドレス、肩がシースルーになっている黄色いドレス、白い総レースのワンピース、水色の肩出しドレス、チェックのワンピース。
レイナは釘付けになる。
「キレイ……お姫様みたい。これ、誰が着るの?」
「レイナが着るんだよ」
「えっ、ホントに!?」
レイナは恐る恐るドレスに触ってみる。生地もやわらかくて、いつも自分が来ている服とは大違いだ。
「やっぱり、白だな」
「そうね、この子の無垢な感じを出すのは断然白だと思う」
裕とアンソニーの意見が一致して、白いワンピースを着ることになった。
「それじゃ、後は頼むよ」
裕が部屋を出て行った。
「じゃあ、変身するわよ、お姫様」
アンソニーが目をキラリと光らせた。