「影山美晴を狙え!」
 片田は血走った目で命じる。SATの隊員は、その場で固まった。
「いや、さすがに、デモを扇動しているだけの人を撃つのは……官邸に侵入したって言うのならともかく、何も危害を加えてないんですよね」
 隊長がおずおずと片田に進言する。
「大丈夫だ、現場は混乱してるから、どこから撃たれたかなんて分からないから」
「いえ、そういう問題じゃなく、私たちはそういう訓練を受けていないんです。テロ行為や立てこもりがあったときを想定しての訓練で」
「あいつらのやってることは、テロじゃないか!」
「そんな、大声で抗議しているだけなので、テロには当てはまらないかと」
「いいんだ、オレがテロだって言ったら、テロになるんだ!」
「総理、落ち着いてください」
 隊長は困惑していた。
「とにかく、警察庁長官と相談してみますので」
「長官にはオレから話したよ。で、あんたらを派遣してもらったんだ。ってことは、オレの命令に従ってもいいってことだ」
「でも、長官からは……」
 隊長はそこで言葉を切る。

「長官が何だ。何て言ったんだ」
「総理を説得しろと……」
「はあ? 何寝ぼけたこと言ってるんだ! とにかく、あいつらは凶悪犯なんだよ! オレを総理の座から引きずり下ろそうとしてるんだから」
「……」
 隊長はしばらく言葉を探していたようだが、「おい、撤収だ」と背後に控えていた部下たちに呼びかける。
「待て、どういうことだ?」
「命令には従えないってことです。こんなことで人を撃ってしまったら、私たちに抗議が殺到して、裁かれることになります。とても責任を負えません」
「そこはオレが何とかしてやるから、心配するな」
「いえ、申し訳ありませんが」

 隊長が深々とお辞儀をして辞去しようとすると、「君の名前は野々村君だったね」と片田は抑揚のない声で言う。
「君はまだ結婚して間もないんじゃないか? 子供が生まれたばかりだろう。今、職を失ったら大変じゃないか。せっかく公務員になれたのに。あの、外で大声でわめいている連中と同じようになりたいのか? ゴミ捨て場で暮らすようになってもいいのか?」
 野々村の顔はみるみる青ざめていく。
「それは、どういう意味でしょう。脅しているように聞こえますが」
「そうだよ、脅してるんだ。オレの命令に従えってね。従えないなら、あんたも、あんたの部下も、一生、警察で働けないようにしてやる。警察だけじゃない。公務員でいられなくしてやる。今の時代、公務員でなくなったらどうなるのかってことぐらい、分かっているだろ? せっかく特権階級にいるのに、棒に振る気なのか。たいしたもんだねえ」

 野々村は拳を握りしめ、気持ちを落ち着かせるために目をつぶる。
「隊長……」
 部下たちはうろたえて、野々村と片田の顔を交互に見比べる。
「……分かりました。それなら、この任務は私一人で遂行します。部下はみな、帰してください」
「そんな、隊長!」
「自分もやります!」
「いや、こんな理不尽な任務、私一人で十分だ」
 片田は手を叩きながら、大笑いする。
「いいねえ、上司と部下で庇いあう、美しい姿だ。これこそ日本人だ」
「いくらなんでも、笑うなんて失礼じゃありませんか?」
「いや、失礼、失礼。久々にいいものを見せてもらったよ」
 片田は笑顔のまま、立ち上がる。
「それじゃ、野々村君、屋上に行こうか」


「あれ、ヘリコプターが帰って行く」
「諦めたのかな」
「いや、SATのメンバーだけ下ろして帰るんじゃね?」
 陸たちはヘリコプターを見上げていた。
「もう7時か……」
「今から投票場を開けても、1時間もないよな」
「明日に変更してもらうしかない」
「今日中に片田は折れるかな」
「側近が次々に辞めてるんだから、さすがに」

 そのとき、突然、パン、パンと花火のような破裂音がした。
 あちこちで、デモ隊の足元で白い煙が上がる。
「――催涙弾だ!」
「離れろ、離れろ!」
 悲鳴が上がり、逃げ惑う人でたちまち現場は大混乱になる。もろに煙を浴びて、悲鳴を上げて転がっている人もいた。