冬は日暮れるのが速い。
 5時過ぎには夕闇が空を染めはじめて、群青色の空に星が瞬いている。今宵は満月だ。
 会場の周りにいるファンは何度も時計を見ながら、「レイナはまだ?」「もう5時を過ぎたよ」「大丈夫、絶対に来るって!」とソワソワしている。
 そのとき、頭上にバラバラバラと音が響いた。見上げると、ヘリコプターが近づいてきて、至近距離を飛んでいる。
 ファンが見守るなか、ヘリコプターは数百メートル先にある広場に降り立った。
「ねえ、もしかして、あれって」
「レイナが乗ってるとか?」
 ファンは色めき立つ。

 ヘリコプターのドアが開き、軽やかに芝生に飛び降りた人物――レイナだ。パーカーにジーンズ姿で、特殊メイクは落としている。
「さあ、ここから会場まで、たどり着けるかどうか」
 スティーブとトムも降り立った。
「走るぞ!」
 異変に気付いた機動隊が数名、こちらに来る。レイナたちは会場に向かって走り出した。

「ねえ、あれ、レイナじゃない?」
「レイナだ、レイナだ!」
 会場に向かっていたファンたちも気づき、騒ぎだす。
「おいっ、止まりなさい!」
 機動隊の命令なんか聞いてられない。
 レイナもトムも、毎日ゴミ捨て場の山を駆け上り、近くの河原を走り回っていたのだ。機動隊を振りきって、人だかりに突っ込んだ。スティーブはあっという間に置いていかれる。

「おーい、レイナを通してー!」
 トムが叫ぶと、「レイナ?」「ウソッ、本物だ!」と、ファンは大歓声を上げる。
「会場に行きたいのー!」
 レイナが叫ぶと、ファンの波はさっと左右に割れた。会場まで一本の道ができる。
「レイナー!」
「会いたかったー!」
 レイナは走りながら、「みんな、ありがとー!」とファンとハイタッチをしていく。
 機動隊も後に続こうとしたが、ファンも心得ていて、さっと道を閉じる。
「ちょっと通して、通して!」
「道を開けて!」
 あっという間に機動隊はもみくちゃにされる。誰かが機動隊の身体を持ち上げ、ライブのサーフのようにファンの頭上を運んでいく。
「うわあっ。降ろして、降ろして!」
「ちょちょちょっ、危ない、危ない!」
 どんなに叫んでも、機動隊は会場とは反対方向に運ばれてしまった。

 会場のまわりで警備していた機動隊が「おいっ、あそこだ!」とレイナに近づこうとすると、まわりのファンが全力で止める。機動隊は外へ外へと追いやられた。
「あれ、あなた達、ラブ・ロックフェスで会ったよね?」
 レイナは会場の前で、二人の少女に微笑みかけた。
「また来てくれたんだ! ありがとう」
「レイナちゃん……!」
「よかった~、レイナちゃんが帰って来て」
 二人はポロポロと涙をこぼしながら、レイナの手を握る。
「さあ、ライブを始めるよ!」
 わあっと大歓声が地面を揺らす。


「ダメです、人が多すぎて、とても近づけません!」
 イヤホンマイクに向かって話していた男は、何度もレイナに近寄ろうとして、人波に押し返されていた。
「これだけ人が多いと、遠くから銃で狙うのも難しいし……ここからはムリです」
 イヤホンから怒鳴り声が響く。
 男は顔をしかめると、イヤホンを「やってられっか」と投げ捨てて、人込みから抜け出て去って行った。


 会場の扉の前には機動隊がずらりと並んでいる。
「止まりなさい! ここは封鎖されてます!」と叫ぶが、レイナは波に押されるようにグングンと近づいて来る。
「さあっ、行くわよ!」
 茜たちは機動隊にぶつかっていった。
「おいっ、押すな、押すな!」
「やめなさい!」
「つぶれる、つぶれる!」
 大勢が押しくらまんじゅうのように全力で押してくるのだ。盾でも防ぎきれず、「おいっ、横に逃げろ!」「ドアを開けてくれー!」と絶叫が響く。何人かは圧に耐えられず、失神した。

 ドアの外の騒動を聞き、中にいた機動隊がドアを開けると、とたんに大勢がもつれるように倒れ込んだ。中の隊員もその勢いに巻き込まれる。
「ドアが開いたぞー!」
 うわあっと歓声が上がる。
 倒れた機動隊の上をファンたちが駆け抜けて行く。機動隊は悲鳴を上げながら頭をかばう。巻き込まれて倒れたファンは、他のファンがすぐに助け出す。

「レイナちゃんを機動隊に触らせるな!」
「レイナちゃん、こっち、こっち!」
 茜たちがレイナに手を伸ばす。トムはレイナの腰にしがみついていた。
 機動隊は、もはや無力化して、会場に入る二人を止められなかった。茜がレイナの手をつかむ。
「あれ、あなたに会ったことある?」
「ええ。茨城のゴミ捨て場でね」
「あー! そうだあ」
 レイナはパアッと顔を輝かせる。

「レイナちゃん、ごめんな。オレ、あのとき、レイナちゃんの好意を突っぱねちまって」
 隣にいた男がレイナに頭を下げる。
「あっ、あのときの」
「ごめんな。団地に住むよう、誘ってくれたのに」
「ううん、いいの。団地もあの後は大変だったし……みんなを巻き込まないですんで、よかったかも」
 男はレイナの手を握った。
「オレ、ゴミ捨て場から出られるように頑張るよ。そのために、レイナちゃんの母親も頑張ってるんだろ?」
「うん、そうなの」
 レイナは大きくうなずく。
「みんなで街に住もう。ゴミ捨て場から抜け出そう!」