機動隊は会場前で行列しているファンに、「この会場は封鎖されるので、離れてください」と拡声器で呼びかけた。
「はあ? なんだよ、それ」
「どういうことだよ」
「とにかく、危ないので、ここから離れてください」
「危ないって何がだよ?」
 ファンは既に数万人規模になっていた。
 ゴミ捨て場から来た住人もいれば、美晴のデモの映像を観て触発されたファンもいる。
「本日のライブは中止になります」
「えー!? そんな話、聞いてないぞ?」
「どういうことだよ!」
 ファンは機動隊が相手でも負けていない。

 そこに、ジンが運転するマイクロバスが到着した。中から、住人がぞろぞろと出て来る。
「なんだなんだ、警官が大勢いるぞ」
「あれは警官じゃないな。機動隊だ」
 ジンは会場前で見張りに立っている機動隊に、「いったい、どういうことだ?」と尋ねる。
「ここの会場は危険な行為が行われる恐れがあるので、本日は封鎖されることになりました」
「ここも封鎖かよ」
 ジンは呆れた声を上げる。
「困ったら閉めるって、片田のヤツも芸がねえな」
「どういうことですか?」
 ジンは茜たちに何が起きているのかを説明した。
「そんな、せっかくここまで来たのに」
「中止なんてしないさ。レイナもそれを望んでないし、西園寺の先生たちも絶対に許さないだろ」
 ジンは腕時計を見る。

「とにかく、ライブの開始まで、後2時間ある。それまでに何とかするんじゃないか」
「じゃあ、ここにいていいんですね」
「ああ。オレは行くところがあるから、ちょっとここから離れるけど、みんなでライブの中止を阻止してほしい」
「分かりました!」
 ジンはマイクロバスに乗り込んで、あわただしく去って行った。
 茜たちはバリケードを突破したことで、怖いものなどない気になっていた。
「どうやって、ここを突破する?」と作戦を練りはじめる。
 やがて、誰ともなく「レイナ、レイナ」と手拍子しながらレイナを呼ぶ声が上がった。みんなの声が一つになっていく。


「とにかく、投票所を開いてください!」
 官房長官は窓からデモ隊を眺めている片田の背中に向かって、必死の説得をしていた。
「今からでも、まだ間に合います。投票を開始すれば、この騒ぎは収まるんですから! 今、近隣の県の住民が、続々官邸を目指して東京に入ってるんですよ。封鎖なんて、もうほとんど役に立ってませんから」
「投票所を開けたら、民自党は惨敗しますよ? あなたも落選するかもしれないのに、その覚悟はあるんですか?」

「そのときは、そのときですよ。とにかく、僕は投票を強制的に中止した総理の片棒を担いだ官房長官として名前が残るのは避けたいんです。そんなことになったら、それこそ、この先もずっと選挙で落選するだろうし、うちの息子に地盤を引き継げなくなる。今、支援者からも抗議の電話が殺到してるんですよ。過去の総理大臣経験者からも」

「知ってるよ。朝から、元総理大臣の先輩たちから、ひっきりなしに電話がかかって来てるからね。今からでも撤回しろって」
「だったら」
「私は撤回する気はありませんよ。私が投票を中止したことで、あなたたちも生きながらえるんだから、感謝してほしいぐらいですよ」
「こんな状況で政治家を続けられるわけないでしょ? 次の選挙で落とされますって」

「日本の国民は忘れやすいんだから、2、3か月後には忘れますよ。有名人が逮捕されたニュースでも流せば、すぐに関心はそっちに移るでしょ。適当な有名人はいないか、今、調べさせてます」
「いやいやいや、今回ばかりは、そんな簡単な話じゃないでしょう。国連も、予定通りに選挙を行うように緊急で声明を出したんですよ? 世界中が僕らを非難してるんです。ヒットラーやスターリン、毛沢東と同列に並べて」
「そんな歴史的な人物を引き合いに出されるなんて、私もそのうち教科書に載るかな」
 片田は軽く笑った。
「冗談言ってる場合じゃないでしょ!?」
 官房長官はついに語気を荒げる。

「とにかく、今からでも投票所を開ければ、面目は保てるでしょ? 予定通り夜8時までにすれば、時間が短くなった分、投票率は下がるだろうし。ここに来て大声張り上げてる連中は投票には間に合わないだろうし。大差で負けるのは防げるかもしれないでしょうが」

「あなたは甘いね。この窓の外の熱狂を見ていても、そんな呑気なことを言ってられるわけ? 時間を短くしたら、それこそ暴動が起きるよ? 私は、そんなことで名を残したくないんでね。民自党を壊滅させた総理なんて言われたら、この15年間の功績もなくなってしまう」

「それじゃ、延期しましょう。明日が無理なら、一週間後にでも」
「延期なんてしたら、それこそ惨敗でしょ。選挙で落とされるなら、選挙をしなけりゃいい。ただそれだけの話でしょうが。衆院選も参院選も、今後一切、しなけりゃいい。日本では、選挙は今後一切なし。そういう風に法律を改正すればいいだけの話でしょ」
 官房長官は絶句した。

「私の考えに従えないなら、辞めてもらってけっこ」
「分かりました。僕は辞任します」
 片田が言い終わる前に、官房長官は頭を下げた。
「今までお世話になりました」
 官房長官は執務室を出る前に、「君も大変だね。殿が乱心して」と三橋に囁いた。

 二人きりになると、「SAT(特殊急襲部隊)を呼んで」と片田は三橋に命じた。
「もう機動隊があちこちで警備してますよ」
「それだけじゃダメだよ。デモ隊はテロリストなんだから、排除しなきゃ」
 三橋は息を呑む。
「い、いや、さすがにそれは……全世界のメディアが、この騒動を生中継してるんです。デモ隊は声を上げてるだけなのに、武力を使うのは、さすがに」
「そんなの、海外ではしょっちゅう機動隊との衝突が起きてるじゃないか。なんで気にする必要があるんだ」
「それは民衆が大使館を襲ったり、店を壊したり、暴動を起こした場合ですよね」
「そんなの、なんとでもやりようがあるでしょ。あいつらに小突かれたら、暴力を振るわれたって理由で排除できるんだから」

 三橋は思わず目を閉じる。
「今さら、なんだ? 今までもやってきたことじゃないか」
「いえ、今回は世界的な影響力が、ちょっと」
 片田は鋭く三橋をにらむ。
「もういいっ、君も使えないな。警察庁の長官を呼んでよ。直接指示を出すから」
「ハイ……」
 三橋は小さくなって執務室から出て行った。

 デモ隊は今や、何重にも官邸をぐるりと取り囲んでいる。
 ニュースでは、次々と東京の封鎖が突破される様子を報道し、官邸に向かって歩いている人にインタビューをしている。
 その様子が報道されると、さらに官邸を目指す人が増えるのだ。地方から東京に向かうと報告する動画が、次々とSNSにアップされている。「官邸に向かえ」というハッシュタグと共に。

「こうなったら、親子ともども、ひねりつぶしてやる」
 片田は握りこぶしに力を入れた。手のひらには爪の跡がくっきりとつく。