裕と笑里はお台場の会場に着いた。会場の前にはすでに人が集まって来ている。
「もしかして、徹夜で待ってたのかしら?」
「かもな」
 裕は、並んで待っている人の中に、見たことのある顔を見つけた。それは、夏のラブ・ロックフェスの会場で出会った、少女二人だった。

「やあ、あなたたちも見に来てくれたんですね」
 裕は声をかける。
「あっ、レイナちゃんの!」
「こんにちは」
「こんにちは。もしかして、徹夜で待っていてくれたんですか?」
「ハイ。レイナちゃんが日本に戻って来るって聞いたら、どうしてもライブを見たくて」
「当日券も出るって聞いて、それで」
「そうですか。そんなに早くから並んでくれて、本当にありがとう。レイナもきっと喜ぶと思います」
「いえ、私たちより、もっと早くから待ってた人もこんなにいるんですよ!」
「昨日の朝から並んでたって人もいるんです」
「そうなんですか」
 少女たちより前で並んでいた人は、どこか誇らしげな顔をしている。

「皆さん、ありがとうございます。レイナを待っててくれて。レイナは必ず、ライブまでにここに来ます」
 裕は並んでいた人に頭を下げる。
「日本に入れてもらえないって聞いたけど」
「それは何とかなったみたいです。直に着くと思いますよ」
「よかった!」
 みんな安堵と歓喜がまざりあった感情を爆発させる。

 裕と笑里が楽屋口から入ると、行列に並んでいた男が、おもむろにイヤホンマイクで話し出した。
「もしもし……なんか、レイナは既に日本に入ってるみたいですよ。いえ、どこから入ったのかは分からないんですが……直にここに着くって言ってました。ええ。ハイ。分かりました。引き続き、ここで見張ってます」


 裕がバンドのメンバーと打ち合わせていると、森口から電話がかかってきた。森口は福島のゴミ捨て場から住人をつれてくる役割だった。
「先生、すみません、東京に入れないみたいなんです」
 森口の声は動揺している。裕はそこで初めて、東京に入る道路や鉄道が封鎖され、行き来できないことを知った。
「どうしたらいいのか……とりあえず、いつ封鎖が解かれるか分からないので、ギリギリのところで待機することにします」
「分かりました。こちらでも、何か方法がないか、探してみます」
「どうしたの?」
 そばで聞いていた笑里に事情を話すと、「それなら、ジンさんとか他の人も入れないってこと? 観客が集まらないじゃない」と泣き出しそうな顔になる。
「最悪の場合、表で待っている人たち全員に入ってもらおう」
「それだと、ゴミ捨て場の人を招待するっていう趣旨からずれちゃうわよね」
「うん、だから、それは最悪の場合の話だ。とにかく、ライブまでまだ時間はあるから、何か方法はないか考えてみよう」
 裕は笑里を落ち着かせるために、背中をポンポンと軽く叩いた。

「レイナちゃんは東京に入れたのかしら」
「どうだろう。封鎖される前に入れたのならいいんだけど、そうでないなら……」
 裕は表情を曇らせる。
「そっちのほうが大事よね。レイナちゃんが来れなかったら、ライブをできないんだから」
「ああ。こればかりは、天に祈るしかないな」



「まったく、あいつは」
 片田は官邸の窓から、「投票中止、反対!」「投票所、開けろ!」とシュプレヒコールを上げている群衆を見下ろしていた。
 最初は真実の党のメンバーだけだったのが、続々と人が集まり、あっという間に数千人規模に膨らんだ。
「堂々とこんな場所に出て来るなんて」
 ギリギリと歯ぎしりをする。昨晩は一睡もできず、目の下にはクッキリとクマができていた。

「とりあえず、東京につながる鉄道や道路は止めました」
 同じく徹夜をした三橋が、青白い顔で報告する。片田はハアアと大きなため息をつく。
「こういう事態を見越して、夕べから封鎖しておくべきだったね。対応が遅いよ」
「はあ、すみません……」
「それにしても、朝から、スタッフが少ないみたいだけど? みんな出勤はしてるんだよね」
「ハ、ハイ、あの、みんな、朝から各方面の調整に走り回ってまして」
「ならいいんだけど。万が一、あいつらが官邸に入って来たときのために、非番のスタッフも呼んでおいてよ」
「はい、ただちに」

 三橋は執務室を出ると、とたんにうつろな目になる。
 昨日の討論会以降、多くのスタッフと連絡が取れなくなってしまった。みんな片田の命運が尽きたと見て、どこかに逃げたのだろう。

「オレも逃げようかな」
 官邸の廊下にも、「投票所、開けろ」というシュプレヒコールは聞こえて来た。
 なぜ、今、自分はここにいるのか。あっち側にいたほうがよかったのではないか?
 そんな想いが沸き上がって来る。

 ――あっち側の人間になりたくなくて、子供の頃から死ぬほど努力してきたのに。その結果がこれかよ……。

 階段を降りる足が、鉛のように重く感じられた。