「どうしよう、このままじゃライブに間に合わない」
 レイナはスティーブの家で、裕とスカイプで話していた。
「そうだね。こっちで外務省に問い合わせても、なしのつぶてで」
「なし?」
「ああ、何も返事をもらえないってことだよ」
 裕はフウとため息をつく。
「選挙が終わるまで、レイナを入国させるつもりはないんだろうな」
「そんなあ。それだとライブはどうすればいいの?」
「まだ中止するつもりはないよ。ギリギリまで待とう」
 レイナは不安そうな表情を変えない。

「空港での歌を聞いたよ。あの動画は政府が何度も消してるみたいだけど、すぐにファンがアップしてくれて、世界中に拡散されてるよ」
 後ろでアミがパチパチと手を叩いている。
「よあった」
「アミも感動してたよ。素晴らしい歌声だ。声が戻って、ホントによかった」
「うん」
 レイナは少し元気が出たようだ。
「笑里さんは?」
「仕事を探しに行ってるよ。レイナが歌ってるのを見て、『こうしちゃいられない』って、自分が出られそうな舞台がないか、昔の仲間に相談しに行ったんだ」
「笑里さん、また歌うの?」
「ああ。『私にはやっぱり歌しかない』って言ってたよ」
 裕は柔らかな笑みを浮かべる。

「とにかく、こっちは大丈夫だから、心配しなくていいよ。こっちでも、レイナが入国する手段がないか探してみるけど、スティーブと相談して決めたほうがいい。たぶん、このやりとりも国に監視されていて、国はいろいろ妨害してくるだろう。だから、僕たちと、こういうやりとりはしないほうがいいと思う」
 レイナの後ろで、スティーブも「確かにそうだな」と同意した。
「とにかく、まだあきらめるような段階じゃない。ライブに向けて、レッスンだけはしとくんだよ」
「分かった」
 レイナは力強くうなずいた。


「総理、あの」
 三橋が言いづらそうに片田に話しかける。
「官邸のホームページや総理のフェイスブックに、メッセージが殺到していまして」
「ああ、応援メッセージ?」
「いえ、あの、影山レイナを入国させないなんてどういうことだって、世界中から抗議のメッセージが」
 片田の目が鈍く光る。

「あ、あの、抗議というか、意見というか」
「そんなの、日本以外の国の人が何と言おうと関係ないでしょ。これは我が国の問題だ。とにかく、影山レイナは選挙が終わるまで入国させない。投票日にライブをするなんて、何が起きるか分からないからな。何があっても、それだけは阻止してくれよ」
「かしこまりました」
 三橋は深くお辞儀をする。
「今日の応援演説も、退屈だねえ。早々に切り上げていいんじゃないか?」
「あー、でも、早瀬先生からは、総理の人気で何とかしてほしいって泣きつかれてまして……」
「仕方ないな。落選されても困るしねえ」
 片田は面倒そうに選挙カーに登った。


 ゆずは、山谷のドヤ街にある商店街の入り口で演説をしていた。
 日雇い労働者やホームレスがパラパラと、遠巻きに見ている。ゆずが勤めている診療所の同僚たちが、通りすがりの人に「真実の党の徳永ゆずをお願いします」とチラシを渡していた。
 演説が終わり、次の場所に移動するために後片付けをしていると、その様子をじっと見つめている人がいることに気づいた――白石だった。
 白石はゆっくりとゆずに近づいて来る。

「やあ、久しぶり」
「どうも」
 ゆずは目を合わさず、そっけなく返した。
「あれから15年か。ずいぶん変わっちゃったね」
「……」
「オレ、お前に刺されて、大変だったんだよ? 結構、傷が深くて、右半身がマヒしちゃってさ。リハビリで何とか歩けるようになったけど、今も足を引きずってるし」
「それぐらいで済んでよかったんじゃない? 怜人さんは殺されたんだから。命があるだけ、マシでしょ」
 ゆずは白石をキッと睨む。

「怜人さんはあんたを信頼していたのに。よく平気で殺せたよね。あんたには良心ってものがないの?」
「いやいやいや、オレは直接手を下してないって。片田が頼んだ殺し屋がやったんだよ」
「同じことでしょ? 怜人さんが殺されるのを止めなかったんだから! 人殺しの裏切者っ」
 ゆずの目はメラメラと怒りに燃えている。

「あんた、私から情報を盗んだんでしょ? そのせいで、看護師さんも殺されてたじゃない。あんたのせいで、何人が犠牲になったって思ってんのよっ」
「いや、それは」
 白石はタジタジとなる。以前のゆずなら、白石の言うことは何でも聞いてくれた。きっと、今でも好意を抱いてくれてるんじゃないかと思っていた自分が甘かった。

「それに、みんなバラバラになっちゃって。事務所の人も、何人もつかまっちゃったじゃないの。何年も刑務所に入ってた人もいるし。みんなの人生をあんたがメチャクチャにした。私の人生も、美晴さんの人生もね。あんたは、どうやって罪を償うつもり?」
「そ、それでさ、今更だけど、オレ、みんなの力になりたいなって。オレにも何か手伝わせてくれないかな」
「冗談やめてよ!」
 ゆずは吐き捨てるように言った。

「美晴さんに近づこうとしてるんでしょ? それで? 今度は美晴さんを殺すわけ?」
 白石は引きつった笑いを浮かべる。
「ま、まさか、そんな。オレは純粋にゆずの力になりたくて」
 ゆずの肩に手を置く。ゆずはものすごい力で振り払う。
「帰れっ」
 怒声を浴びせた。
「もう二度と私の前に姿を現さないで!」

「ゆず、どうした?」
 チラシを配っていた同僚たちがゆずの様子に気づいて、走り寄って来る。白石は舌打ちをして、走り去った。
「大丈夫か? あいつに何かされたのか?」
 同僚が顔を覗き込むと、ゆずは涙を手の甲で拭った。
「大丈夫。ちょっと、自分が情けなくて」
 それから無理に笑顔をつくり、「さ、次の場所に行こっか」と言った。