二日後、スティーブのプライベートジェットに、トムと一緒に乗り込んだ。
「ライブに間に合ってよかったね」
 トムは最近ハマっているスマホのゲームをしながら話しかけて来る。
「美晴さんがあんなすごい人だなんて、知らなかったよ」
「うん。ママはすごいの。強いの」
「裕は、美晴さんは昔、国会議事堂に乗り込んで、選挙法案を変えるのを止めようとしたんだって話してたよ」
 スティーブの話は難しくて、二人にはよく分からない。
「まあ、日本がメチャクチャになろうとしたのを、体を張って止めようとしたってことだな。そのときはうまくいかなかったけど、もう一度、チャレンジしようとしてるんだ。それはすごいことなんだよ」
「片田のおじさんは先生と笑里さんを傷つけたし、団地を壊しちゃったし、悪い人だよ。ママはその人と闘おうとしてる。だから、私も逃げないって決めたの」
「いいね、レイナ。強い子だ」
 スティーブはレイナの頭をなでる。

 飛行機の中でじっとしてられなくて、レイナは何度も「まだ日本じゃないの?」「まだ?」と聞いた。やがて、疲れてトムと一緒に眠りこけていたら、肩を揺さぶられた。
「レイナ、日本に着いたぞ」
 スティーブが窓の外を指さす。
 見ると、見慣れた羽田空港に着いていた。レイナは飛び起きる。

 だが、飛行機を降りようとすると、職員がずらりと並んでいた。
「影山レイナさんですね? 申し訳ありませんが、上陸許可が下りていません」
「え?」
「どういうことだ? レイナは、日本人だぞ? 日本に戻って来ただけだぞ?」
「日本でよからぬことを扇動する恐れがあるからと、外務省が上陸許可を出していません」
「いったいどういうことだ?」
「とにかく、ここから先は一歩も入れませんので。お引き取りください」
「オレはアメリカ人だ! アメリカ大使館に連絡をしてくれ!」
「スティーブさんは入国できます。ですが、影山レイナさんは入国できません」
「なんなんだそりゃ、クレイジーな!」

 レイナは何とか職員たちの壁を突破しようとするが、押し戻されてしまう。トムがすり抜けようとしても、同じだ。
「じゃあ、外務省の担当者と話をさせてくれ」
「いえ、そういうわけにはいきません」
「君たちは、オレが誰か分かってないんじゃないか?」
「分かってます。歌手のスティーブさんですよね。スティーブさんは上陸許可が出てますので、どうぞ」
「オレだけ入国しても、意味ないんだよ!」
 何十分も押し問答を続けるが、一向に埒が明かない。
 スティーブのマネジャーがアメリカ大使館に電話で相談したが、スティーブは入国できるので、それ以上にできることはないと言われて、方策が尽きた。

「レイナが入国できるまで、オレはここを動かんぞ」
 職員たちは顔を見合わせて、「ほかの飛行機の到着予定があるので……申し訳ありませんが、格納庫に移動していただけますか」と、まったく申し訳なく思ってない調子で言う。
「格納庫? そんなところで待てるか!」
 スティーブは激怒する。
「いったんアメリカに戻るしかないんじゃないですか。このままここにいても、こいつらは何もしてくれないでしょ」
 マネジャーは肩をすくめる。 
 スティーブはこめかみをピクピクさせて、「お前ら、覚えとけよ? こんな理不尽なマネ、絶対に許さんからな!」と怒鳴りつける。
 レイナは窓に張りついていた。

 ――どうしよう。このままじゃ日本に帰れない。ママに会えない。ライブをできない。

 どんなに焦っても、何も方法を思いつかない。
 スティーブはため息をつきながら、機内に戻って来た。
「レイナ、とりあえずアメリカに戻ろう。アメリカに戻って、何か方法を考えよう」
 レイナの目に悔し涙が浮かぶ。

 ――ダメ。もう泣かないって決めたじゃない!

 ステップがしまわれようとしてるのを見て、「待って!」と出口に駆け寄った。
「レイナ? どうした?」
「私のことを撮って! 早く!」」
 スティーブはレイナが何をしようとしているのか気づいたようだ。スマホを取り出し、レイナに向ける。

「みんな、レイナです。私は今、羽田空港にいます。日本に帰って来たのに、入れてもらえないの。飛行機から降りれないの。だから、アメリカに戻るしかなくって。お願い、私を日本に帰らして。みんなの力を貸して!」
 レイナはカメラのレンズに向かって、訴えかける。
「今、ママが闘ってます。ママと、ママと一緒に闘ってる人たちに、歌を届けたいの。だから、ここで歌います」
 すうっと大きく息を吸う。一拍置いてから、アカペラで歌いだす。

「♪君に一つの花をあげよう」
 ステップの下で聴いている職員はやめさせたくても、飛行機には入って来られない。それに、歌っているだけなら、さすがに止められない。
 レイナは空港をバックにして、全身全霊を込めて歌う。
 機内にいたパイロットやCA、トムやスティーブのスタッフたちは、その迫力に圧倒される。外にいる職員たちも、雷に打たれたように動けないでいた。 
「なんて……なんて切ない声なんだ」
 スティーブが胸に手を当てて、感嘆の声を漏らす。

 ――届いて、ママに。この歌、届いて!


「ねえ、どっかから、歌が聞こえない?」
 飛行機を降りて、空港ビルまで運ぶバスに乗り込もうとしていた乗客が、ふと顔を上げる。
「え? 飛行機でかかってる音楽?」
「違う違う。誰かが遠くで歌ってるみたい」
 その女性は耳を澄ませる。
「すごく哀しい声。泣いてるみたい……」