「いいですか、皆さん、ゴミ捨て場から立候補なんて言ってますけどね、もしそんな輩が当選したら、どんなことになると思いますか? ゴミ捨て場で暮らしている住人や、ホームレスは、大体全国に10万人いると言われてます。そいつらが街に戻って来ることになるんですよ? 皆さんが住んでいる、この街に。このキレイな街に。そんなの皆さん、耐えきれますか? 
 今まで働かずにゴミ捨て場に住んでたような奴らがですよ、戻って来たところで仕事なんてできないでしょう。そうしたら、生活保護で税金を食い荒らすだけです。そんなことになったら、皆さんの税金が上がる。そんなの耐えられますか? だから、自分たちの街を守るためにも、あいつらを当選させてはいけないんです」

 片田が声を枯らして街頭演説をしている。
 だが、足を止めて話を聞く人は、相変わらず支援者だけ。支援者からは拍手や「そうだそうだ!」と声援が起きるが、反応は広がらない。
「これはまずいな。とにかく富裕層を取り込むしかないから、経団連の幹部たちとの会食をセッティングして」
 執務室に戻ると、三橋に指示を出す。
「かしこまりました。ところで、総理、あのー」
 三橋が何か言いづらそうにしている。
「何」
「あの、ホームレスの住民票のことなんですが」
「うん」
「どうやら住民票があるようで……立候補した人たちも」
「は? どういうこと?」

「あの、たとえば福島のゴミ捨て場だったら、その近くに真実の党の活動拠点を置いて、候補者とかスタッフがそこに住んでいたらしいんです。で、ホームレスたちは住所をそこにして住民票を取っていたみたいで。あの動画の山脇陸って人物も、それで住民票を取ったらしいです」
「いつから? そんな動き、全然知らないけど」
「ハイ、一年以上前から、各地にそういう拠点ができていたみたいで」
 片田の額に青筋が走る。
「なんでそんなことになってるんだ? あいつらにそんな資金……」
 片田はハッと言葉を切る。
「本郷怜人の祖父か……」
「はい、おそらく……」
「くそっ。で? 何人ぐらいの住民票があるわけ?」
「全国の合計で、10万ちょっとです」
 片田は目を見張る。
「何っ、10万ものホームレスが住民票を取ったってこと?」
「ハイ。ゴミ捨て場以外のホームレスにも声をかけたみたいで」
 片田は「白石っ、白石はどこだ!」と激高する。
「白石は、ちょっと姿が見えなくて」
「こんな大きな動きを見落としてるなんて、あいつの目は節穴か? 白石を連れて来い!」
 他の秘書が、「ハイッ」と飛んで行った。

「それと時効のほうですが……そちらは、内乱の首謀という対象になれば時効は25年になるので、充分罪に問えます。それに、内乱罪は死刑にできます」
「おお、そうか。それはいい話じゃないか」
「ハイ。ただ、影山美晴だけが対象になると思います。他の連中は、あの占拠に関わっていたかどうかは分かりませんし」
「影山美晴だけでも捕まえられたら十分だろう」
「ええ。ただ、もしかしたら、却って火が付くかもしれません。今、影山美晴はネットで英雄扱いなので。逮捕のタイミングを慎重にしなくてはならないかと」
「そうだな。まあ、それまで、好き勝手やらせといてもいいけどね。最後の最後に奈落の底に突き落とせばいいんだから」
 片田はゆがんだ笑みを浮かべる。三橋は満足した表情で、「引き続き、調べます」と辞した。

 ――40代以上の有権者はざっと6000万人。10万ぐらいじゃなんともないけど、他に同調する者が続出したら、やっかいなことになるな。慎重に進めないと。

 そのとき、背後に気配を感じて、片田は振り向く。だが、そこには誰もいない。

 ――何だ。オレは何におびえてるんだ?


「私は、今は無料診療所で働いてます。そこには貧しい生活を送っている方が大勢、治療に来ます。実は、私も一時期、ホームレスだったことがあります。女が一人でホームレスするのって、結構ヤバいんですよね。襲われかけたこともあるし。それを見かねて、今の仕事を紹介してくれた人がいるんです。
 私はきっと、恵まれてます。どん底に落ちる前に助け出してくれる人がいる。そんな人がいるだけで幸運だって思うんです。だけど、今、国を牛耳ってる人には、そんな仲間がいるでしょうか? きっといないでしょう。それは寂しい人生です。悲しい人生です。私は裕福な生活を送ってないけど、大勢の人に助けてもらえて、心までは貧しくなってないって思います」

 それは夜のゴミ捨て場で、キャンドルに照らされながら、一人の女性が切々と語る動画だ。その女性はゆず。
 白石はその動画を車の中で見ていた。
 ゆずは15年前とは見違えるほどにやせ細り、白髪が混じっている。相当苦労したのだろう。それでも、表情は明るい。悲惨なことなどみじんもないような、弾けるような笑顔を時折見せる。
 ゆずも真実の党の候補者の一人だ。応援演説に駆けつけた美晴とゆずは抱き合う。
 白石は、その映像を見ながら、泣けて来た。

 白石を刺した後、ゆずは美晴と逃げて、警察に捕まりかけたという話を聞いた。だが、警視庁周辺は大混乱していたので、いつの間にか姿を消していたのだ。
 そのゆずが、今、表に出て来た。
 さっきから、スマホが何度も震えている。片田が呼び出しているのだろう。

 ――オレは片田にビクビクしてんのにさ。家に帰っても優梨愛はもうオレには愛情なんてないみたいで、邪険にされるし。いや、元々愛情なんてなかったか。片田の秘書になったから結婚したみたいだし、オレも優梨愛に惚れてたわけじゃないし。

 白石の脳裏によみがえるのは、怜人たちと一緒に演説をして回った、あの熱気に包まれた場所。事務所でみんなとワイワイ議論した、あの熱い時間。

 ――オレは何で手放してしまったんだ……あんなにも大事な仲間を、場所を。オレ、何してんだよ。何バカなことしてんだよ。

 ハンドルを何度も何度も叩く。
「怜人……すまん、怜人、すまん」