結局、追い出された住人は区の体育館で一時的に寝泊まりすることになった。
「あの団地のすべてを国が買い取って、国の管理下に置かれたみたいなんです。だから、他の棟に移ることもできなくて」
現場に姿を現した小田沼は、憔悴しきった表情をしている。あちこちに連絡した苦労が伺われる。
「ただ、体育館も、いつまでも住まわせることはできないんです。だから、ホームレス支援団体に相談してみました。何とかしてくれるって思うので、そちらに問い合わせてみてください。ホント、こんなことぐらいしかできなくて申し訳ないけど」
「いや、充分です。ありがとうございます」
「国が買い取った代金は、西園寺さんに支払われると思うんですけど、確認してみたほうがいいと思います。こちら、国の担当の連絡先です」
「ありがとうございます」とメモを受け取りながら、裕の内心は違っていた。
――国は1円も払わないだろう。いろいろ理由をつけて、契約をなかったことにするはずだ。
裕と小田沼が話している最中に、ジンが息せききって西園寺家に駆けつけた。
「おいっ、団地がなくなっていたぞ? どういうことだ?」
芝生に座り込んでいた住人が事情を話すと、「……くそっ。オレがその場にいたら、工事を何が何でも止めたのに!」と悔しがる。
「ジンがいないときを狙ってやったんだろう。国なら、それぐらいのことを調べるのは余裕だろうし」
マサじいさんは笑里と芳野が住人に注いで回っているお茶を飲みながら、いつもの口調で言った。
「お前さんの荷物は、レイナが運び出してくれたよ」
レイナは庭の隅で、膝に顔をうずめていた。クロがその隣に寄り添っている。
「レイナ、大丈夫か?」
ジンが声をかけると、泣きはらした顔を上げる。
「わた、私のせいで」
「レイナのせいじゃないだろ。国が強引にやったんだろ? あいつらは平気でこういうことをするんだから」
「ジンおじさんは、どうするの?」
「オレはトラックの仲間にしばらく泊めてもらう。心配しなくていいから」
ジンはクロをじっと見る。
「そこにはクロを連れてけないかもしれないな。どうするか……」
クロはクウンと寂しそうに鼻を鳴らす。
「それなら、うちでお預かりします。クロはうちのベルと仲がいいし」
裕の言葉に、「そうしてもらえると助かる」とジンは頭を下げる。が、裕とは目を合わさない。
――お前がいながら、なんでこんなことになったんだ?
そんな無言の非難を、裕は感じ取った。
区役所が手配してくれたマイクロバスが到着した。
住人がぞろぞろと乗り込む姿を、レイナはアミと一緒に見送っていた。誰もレイナのほうを見てくれない。団地に移り住んだときは、団地で暮らせることをあんなに喜んでいたのに。
「レイナ、何度も言うが、レイナのせいじゃない。自分を責めんでいいよ」
マサじいさんはレイナの肩に手を置いて言い聞かせる。
だが、レイナはうなずけなかった。
――君がいるだけで、君の大切な人たちが傷つくことになる。
片田の言葉が重くのしかかる。
――私がいるだけで、みんなが。みんなが……。
「ママ、助けて」
去っていくバスを見送りながら、レイナは大粒の涙をこぼす。
――お願い、ママ。助けて。今すぐ、私を迎えに来て。ママに「大丈夫よ」って抱きしめてほしいよ。ママ、ママ。どこにいるの? ママ、ママ。私、どうすればいいの?
翌朝、レイナはいつも通りの時間に目が覚めた。
昨日の出来事を思い出すと、すぐにはベッドから降りられない。だが、ベルが待っているはずだと、何とか起き上がって下に降りた。
胸に重石が入っているかのように、ずうんと重たい。
芳野がキッチンから「おはよう、レイナちゃん」と声をかける。
「おはよう」
そう口を動かしたが、声は音となって出なかった。
「……?」
レイナは何度も声を出そうとする。だが、喉から漏れるのは息だけだ。
芳野は怪訝な顔をしている。
「どうしたの? レイナちゃん」
レイナは涙をためて、口をパクパクさせている。
「もしかして……声が出ないの?」
レイナはコクコクとうなずく。
「大変!」
芳野は、裕と笑里を起こしに飛んで行った。
「あの団地のすべてを国が買い取って、国の管理下に置かれたみたいなんです。だから、他の棟に移ることもできなくて」
現場に姿を現した小田沼は、憔悴しきった表情をしている。あちこちに連絡した苦労が伺われる。
「ただ、体育館も、いつまでも住まわせることはできないんです。だから、ホームレス支援団体に相談してみました。何とかしてくれるって思うので、そちらに問い合わせてみてください。ホント、こんなことぐらいしかできなくて申し訳ないけど」
「いや、充分です。ありがとうございます」
「国が買い取った代金は、西園寺さんに支払われると思うんですけど、確認してみたほうがいいと思います。こちら、国の担当の連絡先です」
「ありがとうございます」とメモを受け取りながら、裕の内心は違っていた。
――国は1円も払わないだろう。いろいろ理由をつけて、契約をなかったことにするはずだ。
裕と小田沼が話している最中に、ジンが息せききって西園寺家に駆けつけた。
「おいっ、団地がなくなっていたぞ? どういうことだ?」
芝生に座り込んでいた住人が事情を話すと、「……くそっ。オレがその場にいたら、工事を何が何でも止めたのに!」と悔しがる。
「ジンがいないときを狙ってやったんだろう。国なら、それぐらいのことを調べるのは余裕だろうし」
マサじいさんは笑里と芳野が住人に注いで回っているお茶を飲みながら、いつもの口調で言った。
「お前さんの荷物は、レイナが運び出してくれたよ」
レイナは庭の隅で、膝に顔をうずめていた。クロがその隣に寄り添っている。
「レイナ、大丈夫か?」
ジンが声をかけると、泣きはらした顔を上げる。
「わた、私のせいで」
「レイナのせいじゃないだろ。国が強引にやったんだろ? あいつらは平気でこういうことをするんだから」
「ジンおじさんは、どうするの?」
「オレはトラックの仲間にしばらく泊めてもらう。心配しなくていいから」
ジンはクロをじっと見る。
「そこにはクロを連れてけないかもしれないな。どうするか……」
クロはクウンと寂しそうに鼻を鳴らす。
「それなら、うちでお預かりします。クロはうちのベルと仲がいいし」
裕の言葉に、「そうしてもらえると助かる」とジンは頭を下げる。が、裕とは目を合わさない。
――お前がいながら、なんでこんなことになったんだ?
そんな無言の非難を、裕は感じ取った。
区役所が手配してくれたマイクロバスが到着した。
住人がぞろぞろと乗り込む姿を、レイナはアミと一緒に見送っていた。誰もレイナのほうを見てくれない。団地に移り住んだときは、団地で暮らせることをあんなに喜んでいたのに。
「レイナ、何度も言うが、レイナのせいじゃない。自分を責めんでいいよ」
マサじいさんはレイナの肩に手を置いて言い聞かせる。
だが、レイナはうなずけなかった。
――君がいるだけで、君の大切な人たちが傷つくことになる。
片田の言葉が重くのしかかる。
――私がいるだけで、みんなが。みんなが……。
「ママ、助けて」
去っていくバスを見送りながら、レイナは大粒の涙をこぼす。
――お願い、ママ。助けて。今すぐ、私を迎えに来て。ママに「大丈夫よ」って抱きしめてほしいよ。ママ、ママ。どこにいるの? ママ、ママ。私、どうすればいいの?
翌朝、レイナはいつも通りの時間に目が覚めた。
昨日の出来事を思い出すと、すぐにはベッドから降りられない。だが、ベルが待っているはずだと、何とか起き上がって下に降りた。
胸に重石が入っているかのように、ずうんと重たい。
芳野がキッチンから「おはよう、レイナちゃん」と声をかける。
「おはよう」
そう口を動かしたが、声は音となって出なかった。
「……?」
レイナは何度も声を出そうとする。だが、喉から漏れるのは息だけだ。
芳野は怪訝な顔をしている。
「どうしたの? レイナちゃん」
レイナは涙をためて、口をパクパクさせている。
「もしかして……声が出ないの?」
レイナはコクコクとうなずく。
「大変!」
芳野は、裕と笑里を起こしに飛んで行った。