その日の午後。
 裕がレイナの二枚目のアルバムの曲をつくっていると、車を車庫入れする音が聞こえて来た。笑里と森口が帰って来たようだ。
「裕さん、大変!」
 笑里が部屋に飛び込んで来た。
「どうした?」

「大学でね、突然、講義を打ち切られたの! 教室に入れさせてもらえなくて、生徒にお別れもできなくて……。そんな話、寝耳に水だから、学長にどういうことかって聞いても、教えてくれないのよ。講義の刷新を図るとかなんとか言って。で、学長の秘書さんがこっそり、官邸から私を解雇するように要請があったって教えてくれて。これって、片田が私のクビを切るように仕向けたってことでしょ?」

「たぶんそうだろうね。僕も今朝、ミズキの契約を切られたよ」
「えっ、どういうこと?」
 裕が今朝のやりとりを説明すると、「そんな……私たち、そろって総理大臣に目をつけられてるってこと?」と、笑里はソファに座り込んだ。
「そういうことになるね」
「何てこと」
 笑里は両手で顔を覆った。
「あの……あんのクソオヤジ!」
 笑里の一言に、裕は爆笑してしまった。

「動揺しているのかと思ったら、充分元気じゃないか」
「当たり前じゃない。こんな話聞いたら、腹が立って腹が立って。動揺してる場合じゃないわよ!」
「そうだな。まあ、二人とも仕事がなくなっても、今すぐに生活が苦しくなるわけじゃないし」
「レイナちゃんのレーベルはどうなのかしら。さすがに、官邸に出すなって言われても抵抗するとは思うけど。あれだけの稼ぎ頭だし」
「そうだな。それを祈るしかない」
「レイナちゃんには話したほうがいい?」
「しばらく様子を見よう。また状況が変わるかもしれないし」

 そのとき、「ただいまあ!」とレイナが勢いよく玄関のドアを開ける音がした。
「お帰りぃ」
 笑里が1階に降りていくと、「あれ、今日は早かったんだね」と目を丸くする。
「うん、今日は早めに講義が終わって」
 笑里はあいまいな笑みを浮かべる。

「今ね、ジンおじさんに誕生日のライブのことを話したの。そしたら、バスを借りて来て、ゴミ捨て場から会場まで人を運んでくれるって」
「まあ、そうなの。ジンさん、優しいわね」
「ねっ。ジンさんの仲間にも声をかけてくれるって」
「そうしたら、どこのゴミ捨て場にするのか、考えないとね。全国のゴミ捨て場から連れて来るのはムリだし」
「そうかあ。どこがいいかな。人数が多いところがいいよね」
 ウキウキしている様子のレイナの頭を、笑里は優しくなでる。
「ん? 何?」
「なんでもない。レイナちゃんはかわいいなあって」
「えー、何それえ」
 まるで本当の親子のようにやりとりしている二人の様子を、裕は階段の上からじっと見守っていた。


 裕が懸念していた通り、他のレコード会社との契約も次々と打ち切られてしまった。
 高圧的に「契約を切ります」と言ってきた会社もあれば、ミズキのマネジャーのように平身低頭して謝った会社もある。

 ――どの会社と長くつきあえるのかを判断する、いいきっかけになったかもしれないな。

 裕は前向きにとらえるようにした。
 なかには、「ペンネームを使ったらどうか」と提案してくれる人もいた。
 だが、そんな小手先の方法では官邸にすぐバレるだろう。印税の振込先をたどったら、すぐ裕にたどり着く。
 レイナのレーベルだけ、まだ何の連絡もない。
 二枚目のアルバムをつくるところだし、抵抗してくれているのだろうと、裕は楽観的に考えていた。

 アルバムのレコーディングを始める日。
 レイナと裕はレーベルが用意してくれたスタジオに向かった。
「バンドの人たちは、また同じなの?」
「うん。既に録音は済ませてるはずだよ」
「そっかあ。今日は会えないのかな。ドラムの龍さんと会うの、楽しみにしてたのに」
「龍さんにそう伝えとくよ。きっと喜ぶから」
 車の中でワイワイと話しているうちに、スタジオに着いた。

 車から降りると、レコード会社の社長とレイナ担当の男性がいた。二人とも、顔がこわばっている。
「あ、原さん、こんにちはー!」
 レイナは無邪気に挨拶するが、瞬時に裕は何が起きたのか悟る。二人はレイナの顔を直視できない。
「ほんっとうに、申し訳ない!」
 社長の嶋根は頭を下げ続ける。原はうっすらと涙を浮かべていた。
「もう他のレーベルの話も聞いています。うちも、西園寺先生の曲を配信停止するように言われまして。レイナちゃんだけは認めてほしいと、私も官邸に足を運んでお願いしたんです」
「そこまでしていただいたんですか」

「でも、総理の秘書から、例外は認められないって突っぱねられて。従わないと、うちの会社で出している曲、西園寺先生以外の曲もすべて配信停止にするぞって言われて」
「それは脅迫ですね」
「おっしゃる通りです。脅迫に屈するなんて、僕としても情けない限りで。でも、会社をつぶすわけにはいかないし……」
 裕はため息をついて肩を落とす。
 レイナは「どういうこと?」と二人の顔を交互に見比べる。

「すまない、レイナ。レコーディングはもうできないんだ。二枚目のアルバムは出せなくなった。それだけじゃない。一枚目も、もう売れなくなる。CDも出せないし、音楽配信サイトで出すこともできなくなったんだ」
「なんで? どういうこと?」
「それは、帰りの車でゆっくりと説明するから」
 裕は不安がっているレイナに、優しく諭す。

「それより、バンドのメンバーは大丈夫ですか? もう録音は済んでたんですよね」
「彼らには、これから伝えます。報酬はちゃんと払うつもりです……先生にも、わずかですが。曲は10曲仕上げていただいているので、その分だけでも」
「何とかならないんですか? 海外で発売するとか」
 それまで唇を噛んで黙っていた原が口を開く。
「海外で出すなら、官邸も手も口も出せないですよね」

「その場合は、うちの会社は一切関わらないことになる。海外の会社に著作権を譲ることになるかな。もちろん、それで曲が生き残るのなら、譲ってもいい。こんな名曲を埋もれさせるわけにはいかないし」
「スティーブさんに相談してみたらどうですか?」 
 二人が本気で曲の行く末を案じていることに、裕はわずかな救いを感じる。
「いろいろと考えていただいて、ありがとうございます」
 二人に深々と頭を下げた。